「どれかひとつの民族ではなくて、すべての民族が一緒に発展していかなくてはダメだ」
こういう彼に、ぼくは「それはそうかもしれないけれど、ほかの民族のことはよく知らないしなあ、どうしたらいいかもわかんないよ」と見事なアホ面で切り返した。タンさんはこれに的確な助言を与えた。
「あなたにとってカレンというのは入り口だ。そこから、カチン、チン、アラカンなどのほかの民族へ広げていくのが大事なんだ」
格好いい言葉や甘い言葉は、歪んだ心の持ち主でも話すことができる。だが、公正な言葉はそうではない。公正とは何か、公正であるとはどういうことかを、日常的に考える習慣のある人でなければ、そうした言葉はでてこない。タンさんに関する噂は間違いか、何かの誤解に基づくものだろう、ぼくはそう判断した。そして、その判断は誤りではなかったと思う。
のちにぼくは、他人のために私心なく働いている人ほど悪い噂を立てられたり、疑われたりするというビルマ社会の奇妙な性質を間近に見ることとなる(ただし困ったことに逆は真ならず。悪くいわれる人の中には本当にそれに値する人もいるのだ)。