5.招待状
水掛け祭が終わって4日後の4月10日、カレン情報スペース宛にメールが届いた。カレン情報スペース(KIS)というのは、当時ぼくが在日カレン人と毎月一回都内で開催していた催し物で、カレン人と日本人が集っていろいろな情報を交換し合う広場ができればと思ってはじめたものだった。このKIS宛のメールは次のような内容だった(実際のメールに基づくが、そのままの引用ではない)。
カレン情報スペース様
6月にビルマの現状を記録した写真展を開催します。
在日のたくさんの団体さんとも共同行動を行います。
カレン情報スペース様もぜひ協賛団体としてお誘いさせていただきたいと思いご連絡いたしました。
その翌日に出したぼくの返信は次の通り。
担当者様
写真展の共同行動のお誘いありがとうございます。ぜひとも、協力させていただきます。
ところで、KNA-Japanの他に、新たにカレン海外協会(日本)OKA-Japanというやはり在日カレン人を中心とした民主化グループがこの春に結成されました。日曜日にそちらの団体の会議があるので、協賛の相談をしてみたいと思いますがよろしいでしょうか。
すぐにKISとしての協賛に対する感謝を記したメールが返ってきた。さらに担当者はKNA-Japanの責任者と連絡が取れないと述べ、協賛するかどうかについて代わりに確認してほしいと頼んできたのである。そして、もちろんのことぼくはその頼み事を果たしたが、形式的にしたにすぎない。というのも、そのときぼくはKNA-Japanが、いやそれどころかビルマ民主化団体、少数民族団体のほとんどが、この写真展の協賛を拒否していたことを知っていたからだった。