2013/07/19

バイオリンとカチン

昨年の6月,カチン独立機構本部のあるライザに行ったときのこと,当時,総司令部はライザの中心部にあるライザホテルに置かれていた。

わたしはそこに入れてもらうことができたのだが,その話はまた別の機会にするとして,このライザホテルの隣に,旅行代理店のようなオフィスがあり,ある晩,その前を通り過ぎると,カウンターに座った若い女性がバイオリンを弾いているのが目に入った。暇つぶしに練習しているようだった。

戦場の町にバイオリンというのがなんともいえぬ取り合わせだったのだが,この間,AERAにカチン民族の記事があり,やはりバイオリンを弾くライザのカチン人の写真が載っていた。

これは教会の賛美歌の伴奏で使うためのもので,日本のカチン人の教会でも,礼拝中にバイオリンを弾く女性がいる(ただし,この人はカチン語を話すカレン人だ)。また,中国のカチン人のクリスチャンがこの弦楽器を弾いている写真をどこかで見た記憶がある。

チンの礼拝でもカレンの礼拝でも,わたしはあまりバイオリンの伴奏は見たことがないから,もしかしたら,カチンのクリスチャンとバイオリンの間には何か特別な関係というか伝統があるのかもしれない。

さて,ある在日カチンの少女が教会で弾くためにバイオリンを練習していて,有料のレッスンにも通っていた。親は難民認定申請中の状態で,生活も苦しかったが,親子の暮らす自治体が子どものための手当をいくらか出してくれていた。親はそのお金の一部をレッスン費に当てていたのだった。

少女の母が,カトリック系の難民支援団体にボランティアとして行ったときのことだ。彼女はそこのスタッフと雑談していて,何かのおりに自分の娘がバイオリンを学んでいることを話したのだそうだ。

すると,そのスタッフは「バイオリンなんて金持ちがやるものだ。そんなことに税金を使うのはおかしい」と非難したのだという。

まるで難民にそんな贅沢は許せないとでもいうような口ぶりで,余計なお世話だと言い返したくなるが,この人も,カチン民族にとってバイオリンはもっと身近なものであり,教会を支える大切なものであることを知っていたら,そんなザンコクなことは言わなかったろうと思う。