2014/12/26

マナウVSクリスマス

多くの在日カチン民族が通う早稲田の東京平和教会に、非常に絵の上手な教会員の方がいる。ビルマにいたときは絵の仕事をされていたということだが、その方がクリスマスのために描いた絵を、別のカチン人教会員の方がFacebookに投稿した。

みれば、ジンポー柄のロンジーに被り物、マナウ模様の縁取りの上着に、銀の飾りのカチンバッグをぶら下げて、プレゼント袋からのぞくは、男柱(おばしら)女柱(めばしら)のマナウ柱に民族刀、見事なサンタのカチンぶり。しかも袋の白ならぬ緑、サンタ服の赤と合わさって、これはまさしくカチン民族のシンボル・カラー。

クリスマスには少し遅いが、載せぬわけにはいかぬ。

2014/12/25

マナウの種類(5)

8)ニンタン・マナウ(Ninghtan Manau)
「わたしたちカチン民族は各地にドゥ(Du、貴族)がいます。例えばラパイ・ドゥ、マラン・ドゥ、ラトウ・ドゥと言うのがそれですが、その人たちが戦争が避けられないと悟ると、血縁関係にあるドゥを呼び、『わたしたちはこれこれと戦争をします』と宣言し、指揮官や参謀を決めます。出陣の前に行うのがこのマナウです。(マナウ・リーダー)」

また、これは開戦にさいして士気を高める目的もある(Traditionsp33)。

9)クムルン・マナウ(カチン文字表記不明)
「戦争の前には本当ならば、ニンタン・マナウを行うべきです。しかし、(2011年6月に)ビルマ政府が突然攻撃してきたため、ニンタン・マナウを行うことができませんでした。現在は戦争中なので、(2012年4月に東京で)クムルン・マナウを行いました。このマナウの目的は、遠方にいる自分たちの兄弟姉妹、同じ民族に『今わたしたちは攻撃されています、迫害されています、どうか助けてください』というメッセージを太鼓に合わせて広く伝えることにあります。中国、インド、タイ、ビルマのカチン民族、それ以外の場所にいるすべてのカチン民族に向けられています。(マナウ・リーダー)」

10)ジュビリー・マナウ(Jubilee Manau)
このマナウはキリスト教化によって生まれたマナウである。ジュビリーは旧約聖書のヨベル書に由来し、キリスト教では25年ごとに開催される記念式典を指す。「これは25年、50年、75年、100年とキリスト教信仰を節目節目で記念するマナウです。わたしたちの時代になって始まったもので、地域によってそれぞれです。例えばその土地の教会建設75周年などに開催され、すべてのカチン人に告げ知らせ、来てもらいます。(マナウ・リーダー)」

カチン人にはバプテスト派かカトリックが多く、双方とも19世紀後半に宣教師によってもたらされた。1977年はバプテスト派の福音伝来100周年に当たり、盛大なジュビリー・マナウが開催され、20万人以上のカチン人がビルマ中、世界中から集まったという。

また、バンマイサマキでも2010年に村の25周年を祝うジュビリー・マナウを開催している。

ナウションの衣服に刺繍されたカチン民族の印とマナウ柱

マナウの種類(4)

6)シャディッ・マナウ(Shadip Manau)
「シャディッと言うのは建設する、打ち立てるという意味です。この地に自分の領土を建設した、この土地はわたしたちが勝ち取った場所であり、わたしたちの領土である、という意味を込めてこのマナウを行います。(マナウ・リーダー)」

このシャディッは、そもそも地の精霊の名前であり(カチン語辞書)、この精霊に新しい場所を示し悪霊を祓うという目的があった(Traditions、p32)。

7)パダン・マナウ(Padang Manau)
パダンとは「勝利」の意で、カチンの首長間で、あるいは異民族との戦争に勝利したときのマナウである。リーチはこのマナウが土地の権利と首長の権力に結びついていることを記している。

あるリニージから他のリニージへの土地の譲渡のしるしとなるのは、両者の手で行われる祝典「勝利のマナウ」(パダン・マナウpadangmanau)である。それ以後、自分が太ももを食う首長だという新たな首長の主張の効力は、このパダン・マナウが行われたという公認の事実にもとづくことになる。(p174)

現代ではこのマナウは、イギリスからの独立とカチン州の獲得に結びつけられている。

「1948年1月10日にパダン・マナウが行われました。イギリスから独立し、ビルマ連邦ができました。そして、それと同時にカチン州ができました。自分たちの解放と、カチン州、つまり自分たちの領土の確立を勝利ととらえ、このマナウを行ったのです。(マナウ・リーダー)」

1月10日はカチン州記念日とされ、1948年以来、3年に一度、大きなマナウが開催されていた。しかし、1960年代にカチン独立機構とビルマ政府との戦争が始まると開催できなくなり、1994年の停戦まで再開されることはなかった。

「2000年以降はほとんど毎年行っていましたが、今年(2012)は、また戦争のためにできませんでした。(マナウ・リーダー)」

この戦争とは2011年6月からはじまったビルマ政府軍によるカチン州への攻撃を指す。

ナウションの衣装に描かれた竜

マナウの種類(3)

3)ティンタン・マナウ(Htinghtang Manau)
「このマナウは、喜ばしい集いや、親睦の集い、宴において開催されます。カチンのすべての地域で見られるものです。(マナウ・リーダー)」

その費用をまかなうことのできる者が行い、通常のマナウの2倍の日数行われる(Traditions、p33)。


カチン語辞書によればこのマナウは「ダブル・ダンス(首長の家の前と後ろで同時に行われるもの)、時に男の双子が生まれた時に開催される」とある。

4)ティンラム・マナウ(Htingram Manau)
「家族や姻戚関係にある家族内の敵対的関係を取り除くために開催される。家族和解を目的としている(Traditions、p33)。」

5)クムラン・マナウ(Kumran Manau、TraditionではGumran)
クムランとは、「家族が別れる」(カチン語辞書)という意味で、その名の通り、村や村落群で人口が増えたため土地が足りなくなり、一族の一部が新しい土地を目指して出発することが議論され、それが決まったときに行われるマナウである。旅立つ人々によい土地が見つかるようにという願いを込めて太鼓が打ち鳴らされ、一族が別れを告げるのである。

ナウションの衣服に描かれたクジャク

マナウの種類(2)

1)ジュー・マナウ(Ju Manau)
カチン民族の偉人や民族のために貢献した人、長老の死のさいに行われるマナウ。マナウでは太鼓が重要な役割を果たすが、その太鼓を打ち鳴らして、例えば「わたしたちの村の長が亡くなりました」と近隣の村々に伝えるのである。Traditions(p32)には、重い病からの平癒や、女性の懐妊のためにも開催されるとある。


オラ・ハンソンのカチン語辞書(Ora Hanson、Kachin Dictionary、1906。以後、カチン語辞書と略す)によれば、Juはマナウとほぼ同じ意味のようだ。また、ジュー・マナウは、イラワディ川(マリ川)東側の首長たちによって主に執り行われるとある。

2)スッ・マナウ(Sut Manau)
「スッ・マナウは特別な財産を得た時、翡翠、金銀などの新たな鉱山を見つけた時、収穫が豊かな時などに執り行われる喜びのマナウです。キリスト教徒になってからは全能の神に対して感謝を捧げるものとなりました。現代でも巨大な財産を得たときなどに個人で行うこともあります。2011年にカチン州の首相になったLajawan Ngan Sengの父であるLajawn Tu Hkawngは、巨額の財産の持ち主で、このマナウを個人で開催しました。これはわたしが実際に見たスッ・マナウです。(マナウ・リーダー)」。

どれくらいの財産を得た時に行うのか、という問いに対して、マナウ・リーダーは「ちょっとした利益ではやりません。並の金持ちにできることではないのです。参加したすべての人々に何日もご馳走するから、ウシとブタが何十匹も必要です。招待客の宿泊場所、交通費全部負担するので、かなりの資産が必要です」と答えた。

なお、スッ(Sut)というのは、カチン語で「富」を意味するが、リーチによればこのスッに含まれるのは、食物、ウシなどの家畜、儀礼的交換に用いられる品の3種に分類される動産であり、土地などの不動産は含まれないという(p158)。

マナウの銅鑼

マナウの種類(1)

2012年4月に東京でマナウが行われたときわたしはナウションにインタビューを行い、マナウに9つの種類のあることを知った。

Lasi Bawk Nawさんの"Traditions, Beliefs and Practices: Links with Nature Concervation in Kachin State (2007)"(以下、Traditions)には8種のマナウが挙げられ、そのうちひとつは上述のインタビューには出てこないものであった。

2012年7月に中国の昆明と瑞麗に行ったときに、中国語で書かれたカチン文化の本を数冊買ったが、そのうちには15種のマナウを記しているものもある。もっとも、語学力の問題で正確には分からないが。

ここではインタビューで得た9種のマナウにTraditionsの1種のマナウを加えた以下の10種について説明しよう。

1)ジュー・マナウ(Ju Manau)

2)スッ・マナウ(Sut Manau)

3)ティンタン・マナウ(Htinghtang Manau)

4)ティンラム・マナウ(Htingram Manau)

5)クムラン・マナウ(Kumran Manau、TraditionではGumran)

6)シャディッ・マナウ(Shadip Manau)

7)パダン・マナウ(Padang Manau)

8)ニンタン・マナウ(Ninghtan Manau)

9)クムルン・マナウ(カチン文字不明)

10)ジュビリー・マナウ(Jubilee Manau)

ナウションの冠

Wunli Hkridip Manau

2012年4月に東京でマナウが行われたとき、わたしはナウションにインタビューを行い、ナウションの役割、マナウの歴史と種類、マナウ柱の名称と意味などについて学んだ。

2013年11月に再び東京でマナウを開催するというので、このときわたしはインタビューをまとめてマナウに関するパンフレットを製作した。そのときにいくつかの文献も利用したが、そのうちにカチンの友人が貸してくれた非常に有益な書物が、このLasi Bawk Nawさんの2冊の本であった。

わたしは彼にそのことを伝え、さっそくこんな質問をした。

「このマナウはウンリークリディッ・マナウ(Wunli Hkridip Manau)と題されていますが、これは新しい種類のマナウなのでしょうか?」

だが、彼の答えを記す前にマナウの種類について説明しておく必要があろう。