2013/05/22

夫婦と親子

仮放免手続きのために茨城県牛久の東日本入国管理センターに行った。

手続きを始めてから、収容されていた人が最終的に「シャバ」に出てくるまで、遠くの銀行までタクシーで保証金を収めに行ったりする手間を含めて約2時間ばかりかかる。

半分ぐらいが待ち時間だ。

さて、その日はわたしの他に手続きをしている人がもう1人いた。

フィリピン人の女性で夫を待っているのだという。彼女はわたしも同じ境遇、つまり妻か家族の誰かの仮放免のためにここにいるのかと思って話しかけてきたのだ。

もっとも、わたしのほうには出てくる人との間になにも格別なものはない。在日ビルマ難民たすけあいの会の仕事のひとつだ。

わたしの素性を知ると彼女は興味をなくしたようだった。その後わたしたちは別々のタクシーに乗って、常陽銀行龍ヶ崎支店に行き、それぞれ保証金を納入し、再び別のタクシーで牛久の入管に戻った。

そこでさらに待つと、いよいよお呼びがかかる。わたしたちは入国管理局の担当職員に連れられて、建物の外に出て、収容棟の一角で待機させられる。通常は入ることのできない部分だ。

せっかくなのでわたしは彼女から話を聞く。夫はペルー人で収容されて2年間になる。2人は日本で出会って結婚したのだが、日本政府が2人を夫婦と認めてくれない、つまり、以前日本人と結婚していたことがあり、ビザを持っている彼女の配偶者として彼を認めてくれないのだ。それで、彼は不法滞在者として収容され、今回は12回目の仮放免申請なのだという。

仮放免申請からその結果が出るまで通常5〜6週間かかる。だから、2年に12回ということは、ほとんど間隔を空けずに申請し続けていたということだろう。

やがて、2人の男たちが荷物を抱えて収容所と外部を隔てる鉄の門をくぐり抜けてくる。彼らはいわば国境を越えたのだ。

わたしたちは収容棟の待合室を出る。フィリピンの女性は夫に抱きついている。優しそうな大男だった。

今回、彼女が払った保証金は10万円。わたしのほうはといえば30万円。この違いが何を意味するのか分からないが、夫婦にとって良い徴であればいいと思う。

抱き合う2人を尻目に、わたしはわたしで自分の連れと歩き出す。彼も1年と1ヶ月ぶりの外だ。絵が上手な人で、ヤンゴンに残した2人の息子の顔を丁寧に描いた鉛筆画を面会のさいに見せてもらったことがある。