2013/02/10

カレンの日報告

カレンの日」に書いた通り、2月3日はカレンのみならずいくつもビルマ関係の行事があった(書き漏らしたものに、夜に池袋で開催されたビルマ人歌手たちのコンサートがある)。

わたしはといえば、午前中に駒込地域文化創造館で行われた在日カレン民族同盟(KNU-Japan)主催のカレン民族記念日とKNU記念日の式典、お昼は海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の副会長のお父さんのメモリアル・サービス、夕方は在日カレン民族連盟(KNL-Japan)主催のカレン民族記念日式典(品川区立 中小企業センター)に、4歳の娘を連れて参加した。

在日カレン人には娘と同年代の子どもがけっこういて、退屈しないだろうと思っていたが、はたしてその通りで、すっかり同い年の子と仲良くなって夜にはもう帰りたがらなくなっていた。

カレン民族記念日とKNU記念日の式典では、OKO-Japanの1人として急に挨拶を頼まれた。いい内容も思いつかず、しまりのない話になってしまった。しかし、後になってOKO-Japanの議長が来てちゃんとスピーチをしてくれたので助かった。


さてその次だが、メモリアル・サービスといっても蒲田の家でみんなに食事をふるまうもので、オノ・カオソエ(ココナッツのカレーのラーメン)と鴨・牛・海老・魚・羊のおかずが供されていた。


夕方のカレン民族記念日式典は、少し変わった趣向で、堅苦しいことはあまりいわずにみんなで夕食を楽しもうというもの。式典の始まる前からたくさんのカレン料理がテーブルに並べられていた。



カレン民族記念日についての話があった後に、乾杯をして食事というわけだ。予期せぬことだったが、KNL-Japanのソウ・バラティンさんから乾杯の音頭を急に頼まれた。

わたしは実はすこし蒲田で飲んでいて、すでに乾杯済みだったわけだが、有り難くお役目を頂戴した(もっともこちらはソフトドリンクのみだったのだが)。

慌てて携帯で「乾杯の音頭」を検索し、文案を練りはじめる。事前の乾杯のおかげであろうか、何とか形になった。さあ、いよいよ乾杯の時間だ。と、娘が言った。

「おしっこ!」

……お友達のお母さんが連れて行ってくれた。

話の内容はだいたい次のようなもの。

「カレン民族記念日の式典でこのようにみんなでご飯を食べるということには2つの意味があるように思います。ひとつはみんなとともに食べることがカレン人の文化においてとても大事な意味を持っているということです。もうひとつはともに同じものを分け合って食べるということにカレン民族記念日の出発点である民族の平等の精神という願いが託されていることです。そのような意味でこの夕食はこの記念日にふさわしく思います。」

しかし、わたしは残念ながらこの意義深い夕食を味わうことはできなかった。子どもを連れ歩くには少々遅すぎ、大急ぎで帰宅しなくてはならなかったのだ。