2013/02/05

デヴィッド・トウさん

昨年暮れの「KNU新議長」で触れたデヴィッド・トウさんだが、彼は昨年10月に亡くなったのだという。

KNUの中央部の許可なくビルマ政府と交渉を行い、そのため交渉役から解任されたのが10月の初めのことだ。当時彼はビルマ政府との交渉のためヤンゴンにおり、その2週間ほどのちに体調を悪くし、ヤンゴン市内の病院に運び込まれ、そのまま死亡した。

遺体はKNU地域に送られ、そこで葬儀ののち、KNUの功労者の眠る墓地に葬られたという。

デヴィッドさんとともにKNUから交渉役を解任された人が、現在のKNU議長のムトゥセーポーで、もしも彼が存命ならば、今頃KNUの中心人物として返り咲いていたことだろう。

さて、現在のムトゥセーポー議長率いるKNUはビルマ政府との融和派が中心となっており、ビルマ政府に対して長年の恨みを持つカレン人の間では評判が悪い。

デヴィッドさんについても「売国奴」に近いニュアンスで語る人もいる。わたしには判断はできない事柄だが、少なくとも彼が彼なりの仕方でカレン人のために働いたということは否定しきれない事実であろう。人間のなしたことは一筋縄では理解できないものだ。いつの日か、彼についての評伝が書かれることを期待したい。

彼はヤンゴンのインセインの人で、1960年代に役人の地位を捨ててヤンゴンから逃げ、KNUに加わった。長い亡命生活の果て、いわば最後の最後にふるさとに帰りそこで亡くなったという事実には感慨深いものがある。