2011/03/15

不運

イギリスのテレビ局BBCが、番組の中で二重被爆者の山口彊さんを「世界一不運な男」としたことが最近問題となった。具体的にどのような取り上げ方をしたのかはわからないが、広島や長崎で被爆した人々やその家族にとっては憤ろしいものであったようだ。

でも、そうであっても、なんか笑ってしまうんだよね、この途方もない不運には。もちろん、その笑いは人によっては不謹慎なものと映るに違いないのだけど、それだけでは切り捨てることのできない陽性の響きがあるみたいで。

3月11日の地震のあと、あるカレンの女性と電話で話したのだが、彼女はこんなことを言った。

「ビルマの家族もわたしたちのことをすごく心配していて、向こうから見ると、まるで日本全部が津波に飲み込まれたみたいに見えるらしくて、それで、インターネットで連絡が取れたときは、大喜びで。でね、いとこがこう言うの、お前はナルギス・サイクロンで飛んだ目にあって、それで逃げた日本でまたひどい災害に遭うとは、なんて不運な女なんだって笑ったの、もちろん冗談でね」

これが笑い話になるのは、彼女が生きているからである。

二重の被爆が笑いを生み出すとしたら、それはまさしくそうした体験をした人が極端な不幸にもかかわらず生き延びたからに違いない。死んでしまったならば、そもそも笑う気にすらならない。

人間の生を肯定し、喜べるときだけ、途轍もない不運は笑い事となる。明るい響きを帯びる。

笑うなんて金輪際不可能に見える今回の地震だが、それでも生き延びた人々は、再会を果たした人々は笑うことができる、生を喜ぶことができる。そうした笑いが一つでも多ければいいと思う。