2013/12/31
行く人来る人
わたしが身元保証人しているカレン難民男性の妻と子どもが4月13日にビルマに帰国した。
一家そろって難民認定申請中だったのだけど,妻のほうがストレスで精神的に参ってしまった。
わたしが2月にビルマに行くためにビザを取ろうと大使館に行くと,彼女がいて互いに大いに驚いた。
大使館員と帰国の相談をするために来ていたのだった。偶然とは恐ろしい。
彼女の帰国については,反対する人もいた。もう少し頑張れば一家で難民として認められるのに,というのだ。わたしもそう思っていた。もっとも,わたしはそれを口に出さなかったが。
しかし,状況はもっと切羽詰まっていたようだ。あるカレン人は彼女の帰国について聞くと「そが一番いい」と安心した。彼の親族は日本で自殺していた。
4月13日はアウンサンスーチーさんが来日した日でもある。わたしは在日ビルマ人たちの熱気のこもった歓迎会に身を置きながら,ひっそりとビルマに帰る母子がこの日本でどれだけのものを失ったかを考えずにはいられなかった。
先日のこと,あるカレン人が残された夫をからかった。
「スーチーさんと一緒にデモクラシーがやって来た」
民主主義もつかの間の独身生活も解放といえば解放だ,というのだ。
「こっちはもう寂しくてしょうがないのに!」と夫のほうが憤慨してた。
一家そろって難民認定申請中だったのだけど,妻のほうがストレスで精神的に参ってしまった。
わたしが2月にビルマに行くためにビザを取ろうと大使館に行くと,彼女がいて互いに大いに驚いた。
大使館員と帰国の相談をするために来ていたのだった。偶然とは恐ろしい。
彼女の帰国については,反対する人もいた。もう少し頑張れば一家で難民として認められるのに,というのだ。わたしもそう思っていた。もっとも,わたしはそれを口に出さなかったが。
しかし,状況はもっと切羽詰まっていたようだ。あるカレン人は彼女の帰国について聞くと「そが一番いい」と安心した。彼の親族は日本で自殺していた。
4月13日はアウンサンスーチーさんが来日した日でもある。わたしは在日ビルマ人たちの熱気のこもった歓迎会に身を置きながら,ひっそりとビルマに帰る母子がこの日本でどれだけのものを失ったかを考えずにはいられなかった。
先日のこと,あるカレン人が残された夫をからかった。
「スーチーさんと一緒にデモクラシーがやって来た」
民主主義もつかの間の独身生活も解放といえば解放だ,というのだ。
「こっちはもう寂しくてしょうがないのに!」と夫のほうが憤慨してた。
非リア充
12月24日,茨城県牛久の東日本入国管理センターに行った。
年末にそんなところに行きたくはなかったが,2人のBRSAメンバーが収容されているとあっては仕方がない。仮放免申請の打ち合わせだ。
クリスマス・イブというと,非リア充と自嘲する連中がいろいろ騒ぎ出す。
わたしはこうしたくだらないことを言う連中をまとめて入管にぶち込んでやりたい。
そうすれば本当に充実していない空疎な人生というものが身に染みて分かることだろう。
入管の収容所は刑務所とは違う。その収容は刑罰ではなく,刑期もない。したがって勤め上げるということもない。いつ出られるかもわからない。時間を,命をただ浪費するためだけの施設だ。
非リア充という言葉はきらいだが,わたしはこれを聞くといつも入管の被収容者のことを思い出すのだ。
ところで,この日面会した人が,わたしに渡したいものがあると言ってきた。それは数枚の宝くじで,当否の確認をしてほしいというのだ。
いつだって希望を失ってはならぬ,というわけだ。
年末にそんなところに行きたくはなかったが,2人のBRSAメンバーが収容されているとあっては仕方がない。仮放免申請の打ち合わせだ。
クリスマス・イブというと,非リア充と自嘲する連中がいろいろ騒ぎ出す。
わたしはこうしたくだらないことを言う連中をまとめて入管にぶち込んでやりたい。
そうすれば本当に充実していない空疎な人生というものが身に染みて分かることだろう。
入管の収容所は刑務所とは違う。その収容は刑罰ではなく,刑期もない。したがって勤め上げるということもない。いつ出られるかもわからない。時間を,命をただ浪費するためだけの施設だ。
非リア充という言葉はきらいだが,わたしはこれを聞くといつも入管の被収容者のことを思い出すのだ。
ところで,この日面会した人が,わたしに渡したいものがあると言ってきた。それは数枚の宝くじで,当否の確認をしてほしいというのだ。
いつだって希望を失ってはならぬ,というわけだ。
新婦の涙
先週の日曜日の結婚式と披露宴の後,いつものカレンの人の家に集まることになった。
その部屋の主は「全然片付けしてないよ! ネズミの巣だよ」とぼやいている。
男たちが集団生活しているところなので,汚い。
ネズミばかりでなく,ちっちゃいゴキブリも歩いている。しかし,みんなで集まって飲み食いしているとそうしたことはあまり気にならない。
しばらくすると,新郎新婦が合流した。披露宴の後いったん家に帰って,短い礼拝をしてからやってきたのだ。
新婦は涙を流している。
おいおいこいつは新婚早々穏やかじゃないですよ,とわたしは新郎の顔を見るが変わった様子はない。
聞けば,自分の結婚式に両親が出席できなかったのが悲しいのだと。
ビルマから,たぶんビザが間に合わなかったか,老齢のかの理由で親が来れなかったのだ。彼女はシクシク泣いていた。
以前カチンの女性が日本で式を挙げた時も似たようなことがあり,このときはビザの問題で両親が来日できなかった。
兄がインドで暮らしていたが,その兄もやはりビザの問題で結婚式に出席するのは難しかった。
花嫁は毎晩泣いていたそうだ。わたしはその話を聞きながら,難民の不自由さをあらためて思った。
さて,その晩の飲み会は,「バチェラー・ナイト(独身者の夜)」が結婚式の前日の夜を指すのか,それとも式が終わって新郎新婦が床に就くまでの夜を指すのか,という点に関して激論が交わされた。
2013/12/30
花嫁衣装
12月29日,早稲田の東京平和教会で在日カレン人が結婚式を挙げた。
式がはじまるのは午後4時だったが,わたしは勘違いしていて5時過ぎに着いた。披露宴の真っ最中だ。
新郎はわたしもメンバーである海外カレン機構(日本)の人で,新婦も何度か会ったことがある。
ほとんど誰も知らないことだが,この結婚式はわたしの存在なくしては不可能であった。というのも,新婦の花嫁衣装とアクセサリーをヤンゴンから日本へと運んだのはこのわたしだからだ。それはヤンゴン,アロウンのカレン人の仕立て屋で作られたものだった。
知り合いの牧師が持ってってくれ,というのでは断れるはずもない。
それは帰国する前日の夜のことで,わたしはカレン人の友人と一緒にヤンゴンのレストランでビールを飲んでいた。牧師はその店にやって来て,わたしに花嫁衣装の入った包みを託したのであった。
われわれはずいぶん飲んでいた。そのレストランを出て,あちこち歩き回り,別の店でまたビールを飲んだ。
よく失くさなかったものだ……。
式がはじまるのは午後4時だったが,わたしは勘違いしていて5時過ぎに着いた。披露宴の真っ最中だ。
新郎はわたしもメンバーである海外カレン機構(日本)の人で,新婦も何度か会ったことがある。
ほとんど誰も知らないことだが,この結婚式はわたしの存在なくしては不可能であった。というのも,新婦の花嫁衣装とアクセサリーをヤンゴンから日本へと運んだのはこのわたしだからだ。それはヤンゴン,アロウンのカレン人の仕立て屋で作られたものだった。
それは帰国する前日の夜のことで,わたしはカレン人の友人と一緒にヤンゴンのレストランでビールを飲んでいた。牧師はその店にやって来て,わたしに花嫁衣装の入った包みを託したのであった。
われわれはずいぶん飲んでいた。そのレストランを出て,あちこち歩き回り,別の店でまたビールを飲んだ。
よく失くさなかったものだ……。
「乾杯」
カレン人の友人が結婚式を挙げたのだが,その披露宴で新郎新婦の友人たちがいくつか歌を歌った。
そのうちのひとつに,聞き慣れたメロディがある。ビルマ語なのですぐには分からなかったが,長渕剛の「乾杯」だ。
ビルマの人の心に長渕剛の曲は響くようで,カラオケに一緒に行くと必ず誰かひとりは歌う。
わたしは彼の歌は「巡恋歌」以外は認めないという厳しい立場ゆえ,同調しがたい部分は多々あるが,まあわたしも大人なので興ざめすることはいわない。
このビルマ語バージョンについて尋ねてみたら,Y Wineという人のものらしい。
YouTubeにも上がっている。
ビルマ語のタイトルは「Phay Theint Lite(ピェテインライッ)」。歌詞の内容は「くじけず頑張れ」みたいなものとのこと。
著作権的なことはどうなってるのか分からないが……。
そのうちのひとつに,聞き慣れたメロディがある。ビルマ語なのですぐには分からなかったが,長渕剛の「乾杯」だ。
ビルマの人の心に長渕剛の曲は響くようで,カラオケに一緒に行くと必ず誰かひとりは歌う。
わたしは彼の歌は「巡恋歌」以外は認めないという厳しい立場ゆえ,同調しがたい部分は多々あるが,まあわたしも大人なので興ざめすることはいわない。
このビルマ語バージョンについて尋ねてみたら,Y Wineという人のものらしい。
YouTubeにも上がっている。
ビルマ語のタイトルは「Phay Theint Lite(ピェテインライッ)」。歌詞の内容は「くじけず頑張れ」みたいなものとのこと。
著作権的なことはどうなってるのか分からないが……。
2013/12/22
東京拘置所(3)
一般受付窓口の奥には面会検査室があり,順番の来た面会者は面会整理票を提示し,そこでセキュリティーチェックを受ける。
金属探知のゲートを通過し,さらに金属探知機の検査を受け,そして面会に不要なもの,例えば携帯電話とか,コンピュータとか,アーマライトM16ライフルとかをロッカーに入れるのである。
チェックが済むと検査室の奥にある扉を開いて進むのだが,これがちょっと興奮する。というのも扉の向こうは部屋や通路ではなく,円形の空間になっているからだ。まるでダンジョンや秘密基地に来た感じだ。
面会者の前には2つの通路が伸びている。左手のは出口と記され,もう右手のものは面会室へと至る。この通路もまたいい感じで気分を盛り上げてくれる。
まず誰もいない。そして通路が長い。最初のほうで斜めに曲がる以外一直線だ。宇宙戦艦の内部!
ドキドキしながらこの通路を通過する。「大使館員弁護士待合室」と「大型面会室」2つの部屋の表示がある。
そしてこの通路は,おお,なんとうれしいことに,湾曲する回廊に接続される! 中央部のマザー・コンピュータまであと少しだ……。
グーグルかなんかで見れば分かるが,東京拘置所はXの形をしている。はじめの長い直線通路が,このX字の1本の端から中央に至る道であり,そして円形の回廊は筒状のこの中央部を回る道である。回廊の内側には小さく細長い窓があり,その内部,つまり東京拘置所の本当の中心部を少しだけ覗き見ることができる。それは草のはえた地面と何かの建物だった。
さて中央部の回廊を円周の1/4ほど歩くと,エレベーターホールがある。このホールもやはり円に近い形をしている。
エレベーターは向かい合わせに2基あり,わたしはそれで10階まで昇った。
エレベータを下りるとベンチが並び,その前にガラスで区切られた小部屋があり,制服姿の職員が2人いる。面会整理票を見せると,面会室を威張った感じで指示される。
面会室はこの小部屋を中心に左右に5室ずつあり,10まで番号が振られている。わたしが入ったのは3だ。扉の上には四角いランプがあり,面会中は赤く灯る。
面会室は小さな部屋で,真ん中が透明アクリル板で区切られたカウンターになっている。それぞれに2人ずつ座ることができる。しかし,これは入管の面会室と変わらないので,それほど面白くはない。椅子に座ってしばらくすると,我が友人が連行されてきた。
面会時間中は被拘置者の隣に職員が付き,書見台で会話を逐一記録している。
さてわたしは時計を持っていなかったので,面会時間については分からないが,面会検査室に入ったのが13:07で,出たのが13:35であったから,15分ぐらいというところだろう。
普段行かないところに来たせいか,まるで夢の国に来たような印象を抱きつつ,わたしは東拘ディテイニー・ランドを後にしたのであった。
金属探知のゲートを通過し,さらに金属探知機の検査を受け,そして面会に不要なもの,例えば携帯電話とか,コンピュータとか,アーマライトM16ライフルとかをロッカーに入れるのである。
チェックが済むと検査室の奥にある扉を開いて進むのだが,これがちょっと興奮する。というのも扉の向こうは部屋や通路ではなく,円形の空間になっているからだ。まるでダンジョンや秘密基地に来た感じだ。
面会者の前には2つの通路が伸びている。左手のは出口と記され,もう右手のものは面会室へと至る。この通路もまたいい感じで気分を盛り上げてくれる。
まず誰もいない。そして通路が長い。最初のほうで斜めに曲がる以外一直線だ。宇宙戦艦の内部!
ドキドキしながらこの通路を通過する。「大使館員弁護士待合室」と「大型面会室」2つの部屋の表示がある。
そしてこの通路は,おお,なんとうれしいことに,湾曲する回廊に接続される! 中央部のマザー・コンピュータまであと少しだ……。
グーグルかなんかで見れば分かるが,東京拘置所はXの形をしている。はじめの長い直線通路が,このX字の1本の端から中央に至る道であり,そして円形の回廊は筒状のこの中央部を回る道である。回廊の内側には小さく細長い窓があり,その内部,つまり東京拘置所の本当の中心部を少しだけ覗き見ることができる。それは草のはえた地面と何かの建物だった。
さて中央部の回廊を円周の1/4ほど歩くと,エレベーターホールがある。このホールもやはり円に近い形をしている。
エレベーターは向かい合わせに2基あり,わたしはそれで10階まで昇った。
エレベータを下りるとベンチが並び,その前にガラスで区切られた小部屋があり,制服姿の職員が2人いる。面会整理票を見せると,面会室を威張った感じで指示される。
面会室はこの小部屋を中心に左右に5室ずつあり,10まで番号が振られている。わたしが入ったのは3だ。扉の上には四角いランプがあり,面会中は赤く灯る。
面会室は小さな部屋で,真ん中が透明アクリル板で区切られたカウンターになっている。それぞれに2人ずつ座ることができる。しかし,これは入管の面会室と変わらないので,それほど面白くはない。椅子に座ってしばらくすると,我が友人が連行されてきた。
面会時間中は被拘置者の隣に職員が付き,書見台で会話を逐一記録している。
さてわたしは時計を持っていなかったので,面会時間については分からないが,面会検査室に入ったのが13:07で,出たのが13:35であったから,15分ぐらいというところだろう。
普段行かないところに来たせいか,まるで夢の国に来たような印象を抱きつつ,わたしは東拘ディテイニー・ランドを後にしたのであった。
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