2012/12/04

アンセイフ・ドリーム

『アンセイフ・ステイト』は最初は今年の夏に出す予定だったが、9月にずれ、10月にずれ、とうとう11月になってしまった。

出版記念集会をする関係で場所を押さえなくてはならない。わたしはCWO-Japanの会長のドウ・ニンザルンさんに11月11日には絶対に間に合うと請け合い、彼女はわたしの言葉を信じて、その日に下神明の品川区中小企業センターの会議室を予約した。

この本は2007年の出版で、それからビルマの情勢もいろいろ変わった。それで、わたしは2007年当時と現在のチン州の状況を橋渡しするような解説が不可欠であろうと考えた。

オリジナルを出版したのはチンランド女性連盟(WLC)で、わたしはこの本の刊行を主導したチェリー・ザハウさんにインタビューするのが一番よいと考えたが、いろいろな事情でこれは実現しなかった。

それでどうしよう、と考えていたところ、折よくチン民族戦線(CNF)の外務局のサライ・トゥラヘイさんが日本財団の招きで他の非ビルマ民族政治家とともに来日した。わたしは短い時間ではあるが彼から話を聞くことができ、なんとか最新の状況を解説に含めることができた。

こうした経緯もあり、印刷に出すのは本当にもうギリギリで、印刷屋とのやり取りを経て、完成品が手元に届いたのが、11月9日のことだった。

現物を見るまでわたしはもう気が気でなかった。11日に間に合わなかったら、とんでもない恥さらしだ。わたし1人なら大して気にもしないが、CWO-Japanのみんなに迷惑をかけるわけにはいかない。

そんなこんなで、11月9日の未明、わたしは本来は左綴じであるべきこの小冊子が、おのれの発注ミスで右綴じで届けられるという悪夢を見たのであった。

アンセイフ・ステイト—女性には危険すぎる土地

2007年にチン民族の女性団体が出版した「Unsafe State」の日本語版『アンセイフ・ステイト—女性には危険すぎる土地:チン州におけるビルマ政府公認の性暴力』が先月出版された。発行したのは在日チン女性機構(CWO-Japan)で、翻訳の大部分は難民支援協会。わたしも一部翻訳したが、元の訳にいろいろ手を加えたほか、編集作業などいろいろ細々したことをあらかた行った。また、現在のチン州の状況について記した解説も書いている。

難民支援協会の翻訳は2年前ぐらいに出来上がっていたが、CWO-Japanやわたしの都合で結局、実際の作業に移るまでかなりの時間がかかってしまった。50ページに満たない小冊子だが、わたしはずいぶん時間を費やしている。

11月11日にCWO-Japanがこの本の発行を記念して集会を開いた。チンの人や他の民族の活動家たち、日本人などいろいろな人が集まった。そのとき、パラウン民族の活動家のマイチョーウーさん(在日パラウン民族協会、PNS-Japan)が「ビルマが変わりつつある現在だからこそ、こうした本が出るのは意味がある」と言ってくれた。

わたしもCWO-Japanのみんなも、もっと早く出せばよかった、と内心思わないでもなかっただけに、この言葉はとてもありがたかった。

2012/12/03

キャラバンはついに到らず

詳しい話はできない類いの話だが、以前、ある母子が家を逃げ出すのを手伝ったことがある。

夫がいろいろ苛めるから、というのがその理由だが、本当のところはわからないし、その正否の判断はわたしのすることではない。

わたしはただその母親の友人であり、そしてもう1人やはり別の友人と一緒に、昼間に彼女の家に行き、夫が働きに出ている間に、引っ越し屋に荷物を積み込む手伝いをしたのである。

とはいえ、わたしがしたのは引っ越しそのものの作業ではなく、夫が不意に帰ってこないか、最寄りの駅でただひたすら見張ることであった。

わたしは夫に数度会ったことがあるから、見かければわかる。で、もし見かけたら、すぐに電話で警報を発するというわけだ。夏の暑い日で、立っているだけでもしんどかった。わたしはそうやって半日過ごした。

完了の報告が入ったのでわたしは彼女の家に戻った。アパートの2階にあるその部屋からはほとんどのものが運び出されていた。残っているものといえば、冷蔵庫とテーブルと夫の私物のみ。冷蔵庫を見ると、幼い子どもが描いた「お父さんの絵」が貼ってあり、何とも無惨な気持ちにさせた。

「今、俺が目にしているのは、妻子に逃げられた男が帰ってきて最初に見る光景に違いない。そのとき彼はどんな顔をしているだろうか。どんなふうに叫び、罵り、泣くのだろうか。この目で見てみたいものだ」

まず叶うことのあり得ないこれらの欲求に駆り立てられたわたしは、自慢のiPhone4Sを取り出すと、せめてばかりとあたりの写真を撮りはじめた。

「もぬけの殻の実情を収めたこれらの写真は」とわたしは思った「必ずや世の男性諸氏にとっての戒めとなるだろう。そうだ、写真展を開こう、都庁の一階かどこかで! それだけの価値はある。いや、この出来事を歌にもしよう、一篇のバラッドに! そしてトゥルバドールのごとく全国を吟遊して回るのだ、写真引っさげて。全国キャラバンのはじまりだ……」

猛暑の中ずっと立ちっぱなしだったせいですっかり頭をやられてた。その証拠に、夜風が吹く頃には、この結構な計画もすっかりわたしの心から掃き出されてしまっていた。

さて、この間のこと、友人のビルマ人がやってきて相談したいことがあると言った。ひどい喧嘩をして、妻が生まれたばかりの子どもを連れて、家を出てしまったのだというのだ。仕事から帰ってみると何にもない! 電話をしても出てくれない! 一回出たが、もうこの電話も解約するって! どこにいるかもわからない。一目子どもに会いたい!

その憔悴しきった顔をわたしはまじまじと見つめる。 おお、キャラバンはついに到らず! 全国などといわずに近場だけでも回ってりゃあ今頃こんな……(だけど、そのおかげでわたしゃ江戸の敵をビルマで討ったというわけで)。

さて、彼から「どうしたらいいか」と聞かれたが、わたしにわかろうはずもない。子どものこともあるから、とりあえず役所の児童福祉相談の窓口に行ったほうがいいよ、とだけ言っておいた。

2012/12/02

ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史(11月30日)配布資料

カチン・イヤー11月のイベント
「ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史」
2012年11月30日(金曜日)午後7時ー午後8時30分
南大塚地域文化創造館第2会議室

今、国際的な注目を集めるビルマの民主化の影で、ビルマ政府とカチン独立機構政府との間で戦争が行われています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では10万人にもおよぶ難民・国内避難民が発生しています。

NPO法人ビルマ・コンサーンは、日本国内および紛争地域のカチン人と協力して、今回のこの戦争とそれによって生み出された難民の実態について報告を行ってまいりました。  

今回はこれまでの報告会とは異なり、在日非ビルマ民族政治運動の立役者の1人であり、またカチン民族機構−日本の議長でもあるピーター・ブランセン(Peter Bran Seng)氏をお招きし、現在ビルマ政府と交戦しているカチン民族機構(KIO)の一員でもあった氏の経験を交えつつ、カチン民族の民族運動についてお話しいただきたいと思っております。 

【報告会の内容】
1)イントロダクション:カチン・ビルマ戦争と戦争難民
                          熊切 拓(ビルマ・コンサーン)

2)ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史
                        ピーター・ブランセン(カチン民族機構−日本議長)
3)ディスカッション 

1)カチン・ビルマ戦争と戦争難民 
【カチン・ビルマ戦争】  
1994年からの17年間にわたるカチン民族機構(KIO)との停戦を2011年6月にビルマ政府が一方的に破棄したことによって起きた戦争。

【戦争の原因】  
カチン州の豊富な資源(金・翡翠・森林など)。

【難民の発生】  
KIO支配地域へ軍を展開するビルマ軍による村への略奪、攻撃により、9万人以上の国内避難民・難民が発生。ビルマ政府支配地域、KIO支配地域、中国国境地帯に大小あわせて100近くの難民キャンプができる。

【支援状況】  
キャンプはビルマ政府と中国政府に挟まれた地域にあるため、国際的な支援が届きにくい状況。

【ジェーヤン・キャンプ】  
最大の国内避難民キャンプ。8,000人以上の避難民が暮らす。必要なのは食料。また防寒対策も必要。 

2)カチン民族運動の歴史 
【ピーター・ブランセン氏略歴】  
1974年にカチン独立軍(KIA)に加わり、1980年までの間に軍人としてカチン州全土を回る。ヤンゴンに戻り、ヤンゴン大学を卒業した後、1988年から、ビルマ軍との停戦が成立する1994年までの間、当時のカチン独立機構(KIO)議長マラン・ブランセンの個人秘書として勤務。停戦後再びヤンゴンに戻るが、政治的迫害のおそれがあったため、ビルマから出国。2001年11月4日に来日。  

日本では、最初のカチン人の政治団体、在日カチン民族民主化運動(Democracy for Kachin Nationals in Japan, DKN-Japan)を2003年10月12日に設立し、2004年4月には、日本に暮らす非ビルマ民族とともに最初の非ビルマ民族政治団体、在日ビルマ連邦少数民族協議会(Association for United Nationalities in Japan, AUN-Japan)を結成し、日本における非ビルマ民族の政治運動をリードする。DKN-Japanはタイに本部を置くカチン民族機構(KNO)に正式加盟し、2007年9月9日にカチン民族機構(日本)(KNO-Japan)と改称された。現在、KNO-Japan議長を務める。  

2011年6月にKIOとビルマ政府との間で戦争が始まると、たびたび紛争地域と避難民キャンプを訪問して難民支援を続けている。  

難民認定申請の後、2005年に人道的配慮により在留資格を取得。韓国ソウルで開催された”4th Asia Pacifc Consultation on Refugee Rights”(2012/8/22〜24)に日本の難民の代表(難民連帯委員会)の1人として参加。 

【カチン独立機構とカチン独立軍】  
カチン独立機構(Kachin Independent Organization, KIO)とカチン独立軍(Kachin Independance Army, KIA)は1961年2月5日にカチンの青年たちによって設立された。長い戦争の後、1994年2月24日にビルマ政府と停戦を結ぶが、2011年6月より再び交戦状態に入る。 

【カチン民族機構】  
カチン独立機構(Kachin National Organization)は、国外のカチン人によって1999年に設立された政治団体であり、当時停戦中であったKIOとは異なり、反ビルマ軍事政権・民族解放の立場から国際的な活動を展開してきた。ビルマ政府とKIOの停戦が破棄された2011年6月以降からは、KIOとの協力を深め、2012年6月の協議において、KIOとKNOとの協力関係が確認された。

報告会「難民とカチン独立機構」配布資料(10月31日)

カチン・イヤー10月のイベント
報告会「難民とカチン独立機構」

10月31日(水曜日)午後7時ー午後8時30分
南大塚地域文化創造館第2会議室
カチン民族機構(日本)+ビルマ・コンサーン

今、国際的な注目を集めるビルマの民主化の影で、ビルマ政府とカチン独立機構政府との間で戦争が行われています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では10万人にもおよぶ難民・国内避難民が発生しています。

NPO法人ビルマ・コンサーンは、今年6月末、在日カチン人活動家たちとともに、カチン州のカチン独立機構支配地域に赴き、戦争と難民の現状について調査を行いました。

7月と8月の報告会に引き続く今回の報告会では、カチン独立機構に焦点を当ててこの戦争と難民の現状に関する報告をビデオと写真を交えて行います。

1)カチン民族とカチン州の戦争について
*カチン民族はビルマの北のカチン州とシャン州北部に住む民族集団。おもに6つの民族集団からなり、カチン語(ジンポー語)を共通語とする。大多数がキリスト教徒。

*2011年6月9日、ビルマ軍の攻撃により1994年以来続いていたカチン独立機構(KIO)とビルマ政府との間の停戦は終了した。

*戦争の理由はビルマ軍側から見ればカチン州の権益を守るため(水力発電・地下資源・アラカン州と中国を結ぶパイプライン)。

*カチン側から見れば、ビルマ政府は「侵略者」。カチン民族と生命を独立を守るための防衛戦争。停戦の条件は次のようなもの。
①政治的対話による問題解決(連邦制・民主主義・民族の平等)
2つの側面
a.カチン民族の権利
b.カチン民族以外の非ビルマ民族の権利

②KIO支配地域からのビルマ軍の撤退

*KIOとビルマ政府は公式非公式あわせて9回の交渉を行っているが合意には達していない。

*今後のカチン州戦争の行く末。2つの可能性。
①ビルマ側の譲歩による早期解決
②戦争の恒常化と停戦交渉を行っている他の民族へ戦争の波及

2)国内避難民・難民の状況
*戦争によって多くの国内避難民・難民が発生。国内避難民・難民は現在10万に上ると見られている。

* 人数と性質:3種のキャンプ
①KIOエリア内の国内避難民キャンプ 中国国境沿いに35キャンプ。6月末の統計によると51,991人。 
②ビルマ政府エリア内の国内避難民キャンプ ミッチナー・バモー・プータオに61キャンプ。約15,000人(2011/12) 
③中国内の難民キャンプ 7つの非公式キャンプ。約10,000人。今年の夏にかけて中国政府により強制排除。

*ロケーション:市内やその近郊にあるキャンプ・戦闘地域に囲まれたキャンプ・山奥にあるキャンプ。

*支援:KIOエリア内のキャンプの状況
①KIOが運営。
②カチン人NGOの支援活動
③UNHCRの支援(ヤンゴン経由:少ない)
④中国のカチン人・キリスト教徒の支援
⑤国外のカチン人の支援
⑥ビルマないのカチン人・教会の支援
⑦その他のNGOの支援   UNHCRや国際NGOの大規模な支援が届きにくい状況にある。 

*一般的な状況:難民の増加により、KIOの支援も限界。最低限の食料しかない状況。

*ジェーヤン(JE YANG)キャンプの状況
キャンプはライザから10キロ離れた地点にある。ジェーヤン川沿いにあり、川の向こうは中国。このキャンプから十数キロのところにビルマ軍の前哨基地があり、戦闘が行われている。キャンプの人口は約6千(6月末)。女性・子ども・老人が多く、未成年は2,000人いる。避難民の多くは近隣の村から。ビルマ軍が村にやってきたため逃げてきた。

* ジェーヤン(JE YANG)キャンプの歴史
記録資料は嵐のさいに失われてしまった。設立日は2011年6月11日。最初の家族が来たのは2011年7月17日。キャンプ開きの礼拝が2011年7月19日。最初に来た避難民の村の数は18。現在の村の数は39。最初に来た48家族189人が来た。現在は1447家族6293人。学校がはじまったのは2011年8月25日。生徒の数は1062名。

3)カチン独立機構
*カチン独立機構・カチン独立軍(KIO/KIA)とは? 1961年2月5日にカチンの青年たちによって結成され、ビルマ軍と交戦状態に入る。1994年、ビルマ政府と停戦を結ぶ。2011年6月にビルマ軍の攻撃により、再び交戦状態に入る。

*日本にいるカチン人もKIOと関係を持つ人が多い。  *中国との国境の町、ライザに本拠を置く。また同じく国境の街マイジャーヤンもKIOが掌握している。

*2つの「独立」の間で揺れ動くカチン人
①独立主義:ビルマからの独立。 ビルマ新政府とそれを支持する国際社会に対する絶望。
あるカチン人「わたしたちにとっては、テインセイン政府よりも、戦争のなかったSPDC時 代(軍事政権)のほうがましだった」 
②連邦主義:ビルマ連邦の枠内での州としての自治権の確立。 

*連邦主義においては、他の非ビルマ民族との協力が重要。KIOは、ビルマの諸民族による政治組織、UNFC(ビルマ諸民族統合連邦会議)の重要な一員として活動している。UNFCには現在ビルマ軍と停戦中の民族も含まれるが、2012年6月には、ビルマ政府に対し、カチン民族への攻撃を停止しなければ、現在進んでいる停戦交渉も見直すし、KIOとの共闘の姿勢を計画にした。また、10月には日本財団の招きによりUNFC派遣団の一員として来日。

*独立は可能か? 多くのカチン人は心情的には独立主義に傾いている。しかし、現実的にはさまざまな問題がある。 ①長引く戦争と増加する難民>国際支援が不可欠 ②他の非ビルマ民族との関係

*しかし、その一方では「孤立」が深まる。 ①ビルマにおける孤立 ②国際社会からの孤立   i)ビルマと国際社会の関係改善 あるカチン人「わたしたちにはもはや味方はいない」   ii)「交戦国」であるビルマと中国に挟まれ、国際的な目や支援が届かない。

*「独立」をどのようにカチン人が解釈し、どのように実現させて行くのかはわからない。しかし、カチン人を「孤立」させるのは、間違いなく国際社会の責任。日本に限っていえば、KIOの現状や難民キャンプの現状を知り、有効な支援を行う方法を見つけるために、できるだけ多くの人がカチン州の現状について関心を持ち、可能ならば訪問すべき。

4)カチン州の最新報告(8月のカチン州訪問の報告)(ビデオ上映)
            報告者:スムルッ・トゥティ(カチン民族機構-日本)
スムルッ・トゥティさんはシャン州出身のザイワ民族(カチン民族のひとつ)。カチン民族機構(日本)KNO-Japanの顧問のひとりとして積極的に活動している。 上映するビデオは、今年の8月末にカチン州を訪問した際に撮影されたもの(約30分)。

2012/12/01

報告会「カチン州の戦争と難民」配布資料(2012年8月26日)

カチン・イヤー8月のイベント
報告会「カチン州の戦争と難民」

2012年8月26日(日曜日)午後6時30分ー午後8時
豊島区東部区民事務所 第3集会室
カチン民族機構(日本)KNO-Japan+ビルマ・コンサーン

内容
1)カチン州の戦争の背景 ー 2008年憲法の帰結としてのカチン州戦争
*カチン民族はジンポー、ラシ、ラワン、リス、ザイワ、マルー(ロンウォー)の6つの言語の異なる民族からなる文化共同体で、ジンポー語(いわゆるカチン語)を共通語として、ビルマのカチン州を中心にシャン州北部、インド、中国に広がる地域に暮らしてきた民族。そのほとんどがキリスト教徒。

*カチン民族は独自の政治体制を持ち、独立を保ってきたが、ビルマ全土がイギリス植民地支配下に置かれた結果、政治的にビルマ民族やその他の民族と同じ運命を共有することとなった。

*日本軍による短い支配を経て、ビルマ諸民族はイギリス領からの独立を模索することとなるが、それを実現するためにビルマ民族がとったのが、ビルマ民族をはじめとする諸民族からなる連邦制という選択肢であった(イギリス側からの注文があったため)。この連邦制を実現するために、ビルマ主要民族が結んだ協定が、パンロン協定である(1947/2/12)。

*しかしながら、独立後(1947/1/)のビルマの状況は、パンロン協定に約束された連邦制の実現とはほど遠いものであった。これは、協定の立役者アウンサン将軍の暗殺という不幸な事件にもよるが、なによりも問題だったのが、ビルマ中央政府が「大ビルマ民族主義」のもと非ビルマ民族の自治や権利の平等を認めなかったことによる。

*非ビルマ民族側の不満はくすぶりつづけ、ついに武器を持った反政府運動へと発展する。カレン民族は1949年。そして、カチン民族は1961年にKIA/KIO(カチン独立軍・カチン独立機構)を設立し、反政府活動をはじめた。

*ビルマ軍とカチン軍との戦争は、他の民族の反政府運動などと絡み合う複雑な経過を辿ったが、その間、多くの一般市民がビルマ軍により(あるいは時にはカチン軍によって)甚大な被害を受けることとなった。その主なものは、殺害、性的虐待、村の破壊、強制労働、いやがらせなどである。

*こうした状況ゆえ、多くのカチン人が迫害を逃れるため難民として国外に流出するようになった。とくに1988年の全国的民主化闘争以後、その勢いは増し、世界各国にカチン人のコミュニティが生まれた。日本に最初のカチン人難民が訪れたのは1990年ごろのことで、現在は約400人のカチン難民(潜在的な難民、つまり難民認定申請をしていない人も含む)が日本で生活している。

*KIA/KIOは1961年以来の反政府活動に終止符を打ち、1994年2月にビルマ政府と停戦協定を結ぶ。しかしながら、この停戦は、一部のカチン人以外にはほとんど利益をもたらさなかった。多くのカチン人はビルマ政府内においては、潜在的な反乱分子として敵視され、難民の流出は留まるところを知らなかった。

*一方、停戦協定はビルマ政府に対しては莫大な権益をもたらした。カチン州は豊富な地下資源(金・翡翠)、森林資源に恵まれ、さらに水力発電の適地でもあるからである。また、中国への交通の要地という位置もまた重要である。これら資源から生み出される利益は、少数の例外を除けば、現地の住民に還元されることはなく、ビルマと中国とを富ませ、その結果、カチン州各地でさまざまな環境問題が生まれることとなった。

*停戦協定が生み出したこうした期待はずれな結果を見て、公に抗議の声を上げたのが1999年に国外のカチン人によって設立されたカチン民族機構(KNO)である。停戦協定による束縛のため表立った反政府活動ができないKIA/KIOに代わって、活発な国際ロビー活動を展開する一方、KIAに代わる軍を創設するなど直接的な反政府活動にも関わっていた。日本では最初のカチン人の政治団体「在日カチン民族民主化運動(DKN-Japan)」が2003年10月12日に結成され、2007年9月9日にカチン民族機構(日本)(KNO-Japan)と改称された。

*一方ビルマでは2008年憲法の国民投票、新政府の設立、テインセイン大統領の就任、アウンサンスーチーの解放と政治活動とめまぐるしい変化を迎えていた。

*しかし、民主化の期待が高まるさなかの2011年6月9日、ビルマ軍はカチン軍に対する攻撃を開始し、一方的に17年間にわたる停戦を破棄した。後のテインセイン大統領による停戦命令にも関わらず、ビルマ軍による攻撃は今なお続き、80,000を越えるともいわれる難民・国内避難民がビルマ国内、ビルマ・中国国境に押し寄せる事態となっている。

*ビルマ軍の攻撃の原因については、水力発電ダムの支配権を握るため、一般的にいわれている。しかし、この戦争の動機を水力発電に限るべきではなく、カチン州すべての権益の保全を目的としていると見るべきである。すでに述べたように、カチン州にほ豊富な資源があり、これは他のどの民族の居住地域にもないものである(アラカン州沖の天然ガス田も確かにある。しかし、そのガスはカチン州に設置された輸送管を通過して中国に売られるのである)。ゆえに、ビルマ軍の力の源泉は、カチン州の富にほかならない。2008年憲法では、ビルマ軍人のもつ圧倒的優位性が問題となっている。しかし、それはあくまでも紙の上だけのことでしかない。その優位性を支えるのは何よりも軍事力であり、それを可能にする富である。すなわち、この富を求めて引き起こされたカチン州戦争は、2008年憲法の帰結のひとつなのである。

2)カチン政治の新展開(カチン独立機構とカチン民族機構)
*KIA/KIOとKIOの関係は長らく微妙なものであったが、2011年の開戦とその後の展開により、両者の協力が不可欠なものとなった。2012年6月27日-28日にはじめて公式に両団体の協議が行われ、今後の協力関係が確認された(日本のKNO-Japanのメンバーも3名参加)。

*会議の主な参加者
日本からカチン民族機構(日本)KNO-Japan代表団3名
ボウムワン・ラロウ カチン民族機構代表(KNO)
その他KNO代表団 イギリス・デンマーク・タイなどのKNO、
カチングループの代表
カチン独立機構の代表 

*協議を受けて交付された声明は次のようなもの(大意)。 

会議の結果についての公示            

1. KIOとKNOは2012年6月27ー28日にかけて協議を行った。       

2. KIOとKNOはカチン民族の解放のために協力する。       

3. KNOの元にある連合カチンランド軍(UKA)を廃し、カチン独立軍に併合することで両者は一致した。

4. カチン民族が自分たちの目的を達成するため、KIOの方針に従い、戦争への勝利を目指して努力することを望む。

2012年6月28日 ライザ市内

3)難民と国内避難民の状況(ビデオ)
*戦争による破壊、暴力、強制労働を恐れた多くのカチン人が難民・国内避難民となり、約8万人がビルマ・中国国境の各地の難民・国内避難民キャンプで暮らしている。

*ビルマ国内あるいは中国経由からも公的な支援が届きにくい状況にある。UNHCRからの支援もヤンゴン経由で数回あったが、継続的なものではない。国際的な支援があるタイ国内の難民キャンプに比べると栄養状況はきわめて悪い。

*主な支援団体 KIOおよびその関連組織 パンカチン発展協会(PKDS)(カチン人による国際NGO) WPN(KIO地域に拠点を置くカチン人による難民支援団体) 中国のカチン人、中国人キリスト教徒による支援 その他NGO(日本のものも含む)

*中国側にある難民キャンプは中国当局により最近排除された。

*日本からの支援の拡大を!  4)カチン政府(カチン独立機構政府)とその首都の様子(ビデオ)

*KIOはカチン州と中国の国境にある2つの小さな街、ライザとマイジャヤンを支配下に置いている。どちらも、中国との交易によって栄え、中国側とカチン側の2つに分けられている(ゲートがあり中国のチェックポイントがある)。

*どちらの街も中国側から山道を通過して中国当局に知られることなく入ることができる。

*ライザにはKIOの本部が置かれ、いわばカチンランドの首都。周囲をカチン軍の兵士たちが守っているが、15キロほど離れればビルマ軍の支配地域。戦闘も多い。  *6月28日には近くで交戦があり、砲撃の音がライザの街に聞こえた。このときの戦闘で戦死したカチン人の兵士や負傷者が軍病院に担ぎ込まれてきていた。

*ライザでは入国管理や警察などの行政がKIOによって管理され、小規模ながらあたかも「カチン政府」の体裁を整えはじめている。カチン政府パスポートも発行している。まだ実効性はないが。周囲では戦争に囲まれながらも、ライザの人々はカチン人としての自由を満喫しながら暮らしている。

2012/11/30

ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史

カチン・イヤー11月のイベント
「ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史」

今、国際的な注目を集めるビルマの民主化の影で、ビルマ政府とカチン独立機構政府との間で戦争が行われています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では10万人にもおよぶ難民・国内避難民が発生しています。

NPO法人ビルマ・コンサーンは、日本国内および紛争地域のカチン人と協力して、今回のこの戦争とそれによって生み出された難民の実態について報告を行ってまいりました。

今回はこれまでの報告会とは異なり、在日非ビルマ民族政治運動の立役者の1人であり、またカチン民族機構−日本の議長でもあるピーター・ブランセン氏をお招きし、現在ビルマ政府と交戦しているカチン民族機構(KIO)の一員でもあった氏の経験を交えつつ、カチン民族の民族運動についてお話しいただきたいと思っております。

ビルマ民主化、民族問題、カチン民族に興味のある方、難民問題に関心のある方、あるいは戦争と平和、政治について興味のある方はぜひご参加くださ い!

【報告会の内容(予定)】
1)イントロダクション:カチン・ビルマ戦争と戦争難民 熊切 拓(ビルマ・コンサーン)
2)ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史 ピーター・ブランセン(カチン民族機構−日本議長)
3)ディスカッション

参加費:無料
期日:11月30日(金曜日)
時間:午後7時ー午後8時30分
場所:南大塚地域文化創 造館第2会議室(JR山手線大塚駅南口下車徒歩約5分、都電荒川線「大塚駅前」駅下車徒歩約5分、地下鉄丸の内線新大塚駅徒歩約 8分)

主催:カチン民族機構(日本)+ビルマ・コンサーン

連絡先:cyberbbn@gmail.com(熊切 拓)

【「カ チン・イヤー・プログラム」は在日カチン人とビルマ・コンサーンによる共同プロジェクトです。2012年7月から、開戦後2年目 となる2013年6月まで、カチン州の平和を求めて集中的にイベントを行います。カチン民族に関心のある方ぜひご協力ください! 連絡 先:cyberbbn@gmail.com(熊切)】