2015/02/05

病院と戦場

あるビルマ人が新宿の大久保病院に入院していて、その身内が病院側と相談したいことがあるので、一緒に来て欲しいといってきた。

詳しく聞いてみると、地域連携室のソーシャル・ワーカーと話すのに同席して欲しいということらしい。日本語が分からなくて不安だというのだ。

断る理由もないので、指定された時間に病院に行き、待っているとその身内が来た。少し時間があったので事情を聞いているとその人はこんなことを言った。

「ソーシャル・ワーカーの人は他の人に来て欲しくないようだったが、わたしは心配なので来てもらったのです」

人にもよるが、医者やソーシャル・ワーカー、あるいは支援者は自分が担当している人が他の支援者らしき人物を連れてくるのをいやがる。

わたしもそうしたところに首を突っ込みたくはないのだが、ビルマの人はいろいろな不安からわたしの首をそこにねじ込もうとしたがる。

長い間、強権的な社会に生きてきたので、多くの人が自分の力で物事をなす自信を失っているのだ。

それはいいのだが、問題は医者や支援者だ。これらの人々はビルマ社会というものを知らないので、わたしが来るという事態について単純にこう受け取る。

「自分は適切に仕事しているつもりだが、そこにこいつがわざわざ首を突っ込むということは、何か文句を言うつもりで来たに違いない」

つまりわたしを自分のテリトリーに侵入してきたならず者として見るのである。

そこで悲しい攻撃が始まる。

おお、診察室が、相談室が、支援の現場が、たちまちにして血塗られた戦場と化すのだ。

ある人は恐るべき冷酷さでわたしを撃退しようとする。別の人は侮蔑することで防御に出る。また別の人は専門的な知識を強調することで、わたしが役立たずであり、したがって連れてきたのは間違いであったということを周囲にアピールする。

今回の相手はこの最後のパターンの人で、残念ながらわたしは結構やり込められた。

切ない気持ちは花で癒しましょう。
(ミャウンミャで撮影)