2012/03/07

ある母親の話

さて、CNC-Japanの無国籍問題に関するワークショップで、自分の体験について話してくれた会員もいた。次はある母親の話をまとめたもの。

わたしは1990年代はじめに4歳の息子を連れて、日本にやってきました。日本語がわからず、2人での生活は大変でした。

チン民族はそのとき日本にいましたが、難民認定申請する人はいませんでした。ビルマ人はそのころから多かったのですが、わたしたちは難民申請についてよく知らなかったのです。

また、当時は難民支援をしている団体についても知らず、何も分からないままに、生活のために朝から晩まで働き詰めでした。

子どもは4時間だけ預けることができましたが、わたしは迎えにいくことができないので、わたしの親族が代わりに迎えにいってくれました。そして、息子はわたしが帰ってくるまで1人きりで待っていたものでした。

子どもの教育も何一つ満足にしてあげられませんでした。わたしは母親失格です。今は、わたしも、そして後からきた夫も難民として認められましたが、現在23歳になるわたしの息子は、無国籍です(注:日本で生まれたのではないので、おそらくビルマで正式に国民として登録されていないということだろう)。

この状態を変えるためにはどうしたらよいでしょうか?