2013/10/30

BRSA出店情報

11月2日(土曜日),千葉県松戸市の馬橋駅の馬橋本通り商店街のイベントに,在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)として出店します。 

販売するのは,BRSAおなじみの手作り豆のフライ。ビルマの食べ物です。

収益は,BRSAの活動資金(ビルマ農村での井戸作り)となります。

もともとは10月26日に開催される予定でしたが,台風のために延期となりました。

どうぞおいで下さい。

名前つき井戸ポンプ

15,000円であなたの名前入りの
井戸ポンプがビルマに寄付できます!

「生活のためのきれいな水」 今ビルマでもっとも必要な支援のひとつです。

長い軍事政権の後,ビルマでは農村の発展が遅れ,いまも多くの農民たちが生活,医療,教育などの面で苦労しています。

わたしたち在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は,ビルマ国内の活動家の協力のもと手押し井戸ポンプの建設を通じてビルマ(ミャンマー)の農村にきれいで衛生的な水を支援するプロジェクトを行っています。

ポンプにはあなたのお名前が記されます。BRSAが責任を持って現地にお送りし,完成写真をご寄付された方にお届けします!

詳しくはBRSAのホームページ及びBRSAのYouTubeチャンネルのビデオをご覧ください。

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)
事務局:110-0005 東京都台東区上野3-12-5大同ビル302
Email: brsajp@gmail.com


東京 MANAU 2013

11月8〜9日に芝公園で開催されるカチン民族のお祭り,マナウのチラシ。

2013/10/28

ダディンジュ祭り

10月27日日曜日,中野駅北口暫定広場で,ビルマのお祭り,ダディンジュ祭りが開催された。主催は国民民主連盟(解放区)日本支部NLD(LA)-JPで,仏教の儀礼や,音楽演奏などの出し物のほか,ビルマ民主化団体を中心に多くの団体が出店した。

わたしの所属する在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)も出店し,豆のフライ,焼ビーフン,豚スペアリブの唐揚げを各1パック¥500で販売した。

会場はやや狭く,入り口が人の流れから少し外れていて,ビルマの人以外の来場者は少なかったように思うが,それでもBRSAは,最後は投げ売り状態にはなったものの完売した。

とはいえ,売れ残ってしまった団体も多かったようだ。来年もし同じ場所を使うのならば,公園の周囲で目立つように案内をする必要があると思う。

それはともかく,今回はとくに非ビルマ民族系の団体の出店が少なかった。出ていたのはカレン民族同盟日本支部(KNU-Japan)だけで,しかも最初のうちは日本代表のモウニーさんだけしかいなかった。売っていたのは豚足と総菜と辛いふりかけ。後になって数名のカレン人が手伝いにきていた。

カレン人といえば,この日,第3国定住事業で9月に日本にきたばかりの家族も会場を訪れていた。カレン人,カレンニー人,ビルマ人の家族だという。みんな硬い顔つきなのが印象的だった。

売られていた食べ物で覚えているのは,海老のかき揚げの和え物,サラダ風に合えた麺,チャーハン,モヒンガー(魚の汁の麺),インド風の炊き込み御飯,鶏肉料理,餅米のデザート,タピオカのデザート,揚げ物などで,ビールやジュースなどもあった。時間があればゆっくり食べたいところだったが,自分の店があるのでそうはいかなかった。

お坊さんへの捧げものとお祈りで開始。

 
 BRSAのお店。

  
 焼ビーフン,豆のフライ,スペアリブ。

 会場の様子。




 この日も田辺さんは大活躍。

熊殺し

わたしの苗字は熊切といい,そのルーツは静岡の熊切村(この地名はもう廃されているが)にあるようだ。

もっとも,いつどのようにわたしの一族が出てきたところの千葉の山奥に熊切姓が移ってきたかは分からない。

しかし,この姓は東京や神奈川にもあることが確認されているから,海路ではなく陸沿いにやってきたことは確かだろう。たぶんマンモスか何かを追って(昔の人が移住する原因No.1はマンモスだから間違いあるまい)。

ところで,芸能人の熊切あさ美さんは浜松の出だそうで,これも熊切村と関係があるにちがいない。近頃よくニュースにとりあげられるが,これはよいことだ。わたしをふくめて崖っぷちの熊切がそんなにたくさんいては困る。

「熊を切る」というやや変わった苗字は外国人には好評で,たいてい狩人かサムライを想像するようだ。 由来は分からないが,熊とあるからにはおそらく先祖は熊だったのだろう。

朝鮮の神話的な王,檀君は熊から生まれたそうだが,もしこれが本当ならば,おそらく同族に違いない我が先祖も,半島が懐かしくて,房総半島に移り住んだのかもしれない。まさに歴史のミステリーだ。

さて,この間,やはりわたしの苗字が話題になった時,あるカレン人が,熊を素手で殺したというカレンの男の話をしてくれた。

その男はタウングー辺りの農民で,今から20年ほど前のこと,山で熊に出会い,死闘の末に見事仕留めて,獲物を抱えて村に帰還したのだそうだ。

戦いの最中に彼は熊に顔面をえぐられ,それは醜い傷となって残り,事情を知らぬ人をぎょっとさせているという。

なお,ビルマでも熊胆は医薬品として珍重されているのだと。

2013/10/27

難民性悲惨欠乏症

ビルマ難民支援をしている活動家について,あるビルマの人が「この人たちは難民で食べているようなもので,結局難民がいなくなったら困るのだ」と言っているのを耳にしたことがある。

これは意地の悪い見方であるばかりでなく,間違ってもいる。まじめに難民支援をしている人は本当に難民がいなくなることを望んでおり,かりに難民がいなくなったなら(まずありえないことだが),喜んで別の仕事を見つけることであろう。

もっとも,どこの世界でもそうだが,まともでない人もいる。難民ではなく,難民を支援している自分が好きな人や,自尊心を満たすための手段として難民支援を行う人のことである。

そうした人にとって,難民というのは,自分が特別であり優れた人間であることを証しするための手段でしかない。あたかもちょっと変わったアクセサリー,あるいは珍しいペットのようなものだ。そして,難民がそれ以上のものであろうとする時に,これらの人々がどれだけ陰険になるかは,難民以外には分からない。

まあ,その意地の悪さときたら,先ほどのビルマ人の言葉の比ではない。

同じことが政府への態度についてもいえる。

日本では,日本政府に批判的な目を向けることなく,難民問題を論じたり,支援を行ったりすることはできない。

政府とは畢竟人が作った出来損ないのものに過ぎないから,これを少しでもましなものとするために批判したり,非難したりして刺激を与えるのは大いに必要なことだ。

しかし,ある種の人々は,政府を批判することを自尊心の維持のために利用している。それは自分を大きく見せる行為であり,また善と悪との二元論の悪の側に政府を落とし込むことによって正義を不正に独り占めする行為でもある。自分の存在に関する不安を一掃するにはなかなか効果的だ。

しかし,政府を変えるという目的から見れば,独りよがりな攻撃に効果がないのはいうまでもない。

さてここまでが前置きだ。

わたしは難民関係のあるメーリングリストに入っている。そのメーリングリストにある難民支援家が次のようなメールを流した(ただし原文そのままではない)。

「X県でAという病気を持つ仮放免中の難民がAの発作で亡くなったという情報を聞きました。詳しいことをご存知の方お教えください。」

それに対して,事情を知る人が,この難民が別の病気で嘔吐し,その吐瀉物が気管に詰まったため窒息死したと返信すると,彼はこう返事をした。

「そういうことだったんですか。ありがとうございます。早朝に食べ物がつまって窒息死、う〜ん、その症状も前からあったかもしれませんが。年に1人か2人死にますね。」

わたしは彼が何を言いたいのかよくわからない。死因にはっきり結びつくぐらい日本政府がこの難民を苛めなかったことや,入管の苛烈な仕打ち以外の理由で死んでしまう難民がいることがもしかしたら不満だったのかもしれない。

2013/10/26

身元保証人変更許可申請

難民認定申請中の人の身元保証人変更許可申請について先日書いたのが祟ったにちがいない,その手続きをするはめになった。

普通は入管はこの変更をいやがる。身元保証人というものは軽々しく変えていいものではないのだ。だが,今回のケースは違った。入管の方から変えるようにと言われたのである。

というのも,その身元保証人が外国に行ったまま帰ってこないからだ。その人はカレンのビルマ難民だが,生活と活動の拠点をタイに移したらしい。日本にいない人が身元保証人としてふさわしくないのはいうまでもない。

わたしに身元保証人を依頼してきた人は以前からの知人で,わたしとしては拒む理由はない。

身元保証人の変更には前の保証人の署名が必要だが,なにしろどこにいるか分からないので,そんなものは手に入らない。とりあえず,入管には申請書を提出したが,申請が認められるかどうかはまだわからない。

さて,入管を出て家に帰ろうとしていると,別のビルマ難民から電話がかかってきた。身元保証人がビルマに行ったまま帰ってこないので困ってる……保証人をお願いできないだろうか……。

待てよ,聞いたことあるぞその話。

しかも,その身元保証人ときたら,思い出した,たしかビルマを変えるために帰国を決意したなどと昨年12月に新聞に取り上げられてた,顔写真付きで。祖国のために働くのは結構だが,身近な人間の面倒をちゃんと見ろよ!