2013/12/11

大いなる神秘

今年の9月下旬,品川の入管に収容されている3人の在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)会員の身元保証人となり,仮放免許可申請をした。

結果が出たのが,ひと月後の10月下旬で,3人とも不許可だった。

原因としてはいろいろ考えられるが,ひとついえるのは,早すぎた,ということだ。

つまり,2人は6月に収容された人で,申請時には3ヶ月過ぎたころ。もう1人にいたっては9月に収容されたばかりだった。

仮放免許可申請には適当な頃合いというものがある。これは時期や収容所によって異なり,部外者にははっきりとは知ることのできない入国管理局の大いなる神秘のひとつだ。

しかし,その神秘にたゆまぬ努力で近づこうとしている人々がいる。それは入管収容所の問題に取り組んでいる団体の人々で,これらの人々は,収容されてからある期間の間に出された仮放免許可申請が通りにくいということを経験から知っており,その事実を通じて,どれくらいの時期に申請すべきかを,絶えず予測している。

わたしはこれらの人ほど詳しくはないが,さすがに収容されて1ヶ月で出した申請が通らないことぐらい想像はつく(難民認定申請者の場合は,少なくとも一次審査の結果が出てからのようだ)。

しかし,それでもわたしが(というかBRSAが)仮放免許可申請をしたのには,2つ理由がある。ひとつには,それが被収容者の意志であり,同時に生きる希望でもあるからであり,もうひとつは品川で仮放免許可申請をしている間は茨城県牛久の収容所に移送されることはないからだ。

牛久に収容されたら,面会や申請ははるかに面倒になり,また収容も長期化する……少なくとも1年は見なくてはならぬ。

そんなわけで申請したわけだが,ダメだった。その後,BRSAの役員と話し合った結果,わたしもビルマ行きで忙しく,12月初めにもう一度申請しようということなった。

ところが,11月末に2人が牛久に移されてしまった。

そして,品川に残ったもう1人はというと,11月の初めに彼は入管からわたしに電話を掛けてきて,身元保証人を別の人に頼んでもう一度申請すると伝えてきていた。

つまり早めに再申請したため,品川に残ることができたのである。

わたしは他の2人の申請をもう少し早くしていれば,牛久に送られることなく品川から外に出してやれたのに,と申し訳なく思ったのであった。

ところが,先週,品川入管に行き,残ったもう1人に面会したさい,驚くべき事実が明らかになった。彼は確かに別の人に身元保証人を頼んだが,その人は入管問題に詳しい人で,まだ申請には早すぎると判断し,12月頃に申請する予定でいたのである。

「どうして自分は牛久に送られなかったのか……」とその被収容者,首をひねってた。

わたしも首をひねると同時に,再申請の時期に関するBRSAの判断は必ずしも間違っていたわけではなかったのだ,これで牛久に送られた2人に対しても多少の申し開きもできると,ほっとしたのだった。

しかし,おお,それにしても,入管の大いなる神秘よ。どうかこれ以上われわれを翻弄することのないように……。

2013/12/10

ビルマ・コンサーン事務所

御徒町のビルマ・コンサーンの事務所を,この間,12月1日の日曜日,同じビルの3階から2階へと移した。

引っ越しは,BRSAの会員を含む何人かの友人が手伝ってくれて,ありがたいことにその日のうちに終わったが,書類の整理や,インターネットの接続やらまだまだやらねばならないことがある。

それはともかく,広さは2倍で,ミーティングやちょっとした集会にも使える程度の余裕もあるので,来年はとにかくいろいろな企画を行おうと思っている。

ビルマ・コンサーン事務所を開いたのは2009年12月のことで,現在までなんとか続けてていられるのは,多くの人々の支援,特に共同事務所として協力してくれている在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)と在日チン民族協会(CNC-Japan)のおかげだ。

賃料も少々高くなったので,ビルマ関係の他の団体にも呼びかけて事務所としてシェアしたいと考えている。

事務所を最初に設立したとき,今はアメリカにいる共同代表のタンさんが,チン民族の牧師を連れてきて,オープニング・セレモニーを行った。

それはまったくチン民族流で,お祈りを捧げながら壁や床を叩くというものだった。

なぜ,叩くのか。それは悪霊を追い払うためだ!

ゆえに窓は全開。お祈りやら「バン! バン!」が丸聞こえで,悪霊より先にこっちが大家さんに追い出されるのではとヒヤヒヤものだった。

ま,大家さんもありがたいことに理解のある方だった。

だが,あのとき追い出したはずの悪霊,2階にいるなんてことはないだろうな……。


コオロギ

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のメンバーに,ビルマのお土産は何が良いか聞いたら,ためらいがちにパイエジョーなるものが食べたいと言う。

何かと尋ねると「日本語は分からないがこれは虫を炒めたものでビルマ人みんな大好きだ」という。

わたしは虫と聞いただけで「この土産却下」と秘かに思い,日本を発ったのであった。

ビルマにいたのは2週間で,結局このパイエジョーについてはまったく思い出さなかった。だが,最後の日に「空港に行くまで数時間余裕があるのでなにかしたいことあるか?」とその日行動をともにした有名な社会活動家のネーミョージン(Nay Myo Zin)さんに聞かれたとき,そいつは再び頭をもたげてきたのだった。

しかし,彼は,パイエジョーを土産にしたいという希望を聞くと,今の時期は難しいかな,とありがたい指摘。

そのおかげで,わたしは虫の炒め物を日本に持ち帰るという任務から解放されたのであった。

ところが,この間の日曜日,カレン人の家でみんなが飲んでいるところにお邪魔すると,このパイエジョーなるものが出てきた。大きなイナゴような虫の炒め物だ。

「これは宝だよ! さ,どうぞ!」

みんなよだれ垂らしてる。ほんとに大好物なんだ。

そんなお宝を滅相もない……とわたしが断ろうとすると,「韓国で働いていたとき殺したばかりの牛のレバーをそのまま食べさせられた」というエピソードが出てきた。

「文化の違いはきっと乗り越えられる!」という励ましだ。エールだ。これはもう断れない……。

というわけでわたしは2匹ほど食べた。カリカリに揚げてあった。しょうがで味付けするのだと言う。ま,わたしは川海老の素揚げのほうがいいかな……。

パイエジョー,正確にはパイッ(ပုရစ်,コオロギ)・チョー(炒め物)というらしい。もともとはマンダレー辺りで食べられていたものがビルマの他の地域に広がったとのこと。

もっとも,ビルマだけでなく,ラオスやタイでも当たり前の食材というから,起源に関するこの説はさらに検討を要する。



ヤンゴンでたまたま撮影していたもの。ピンボケだが。

2013/12/05

特定秘密をお話しします

とある独裁国家で,反体制派が独裁者を「バカ!」と非難したら,秘密警察が現れてその男を逮捕した。

男が「何の罪で俺を逮捕するのだ!」というと,その秘密警察は答えて「国家秘密漏洩罪だ!」。

これはよく知られたジョークで,しかもどこの独裁国家にも当てはまる。

別のジョークに,レーニンの禿頭も「国家秘密だ!」としたソ連時代のものもあるが,この禿頭についていえば次のようなものもある。

「書記長! ソビエト連邦のポルノの解禁についてお伺いしたい」

書記長「確実に進んでいる! 同志レーニンは,すでに数回帽子をかぶらずに演説しているのだ」

これは『スターリン・ジョーク』(平井吉夫著)に出ている(ただしうろ覚え)。

それはさておき,わたしは特定秘密保護法は無駄な法律だと思っている。法律を作って,罰則を作ったからといって,秘密を守ることができるとは限らないからだ。

罰則を越える利益や,罰則を度外視させる義憤から「特定秘密」なるものを暴こうとする人はいくらでもいるだろうし,また不慮の事態というものもある。

しかもこの「特定秘密」そのものが何か分からないというのだから,そのうち「特定秘密」詐欺も横行するに違いない。

一人暮らしの老人の家に政府関係者と称する者から電話がかかってくる。

ニセ政府関係者「あなたの息子さんがはどうも特定秘密を漏洩しているようです」

ご老人「えっ,そんな! うちの子は間違っても安倍さんがバカとか言わないはずですじゃ!」

ニセ政府関係者「いえ,それは個人の秘密です(そっとしておいてあげましょう!)。息子さんが漏洩しているのは国家を危険に晒す特定秘密です」

ご老人「そんな秘密を息子が知るはずもありませんです。 そもそもどんな秘密を漏らしたというのでしょうか?」

ニセ政府関係者「それは言うことはできません! なにしろ特定なもので。とにかくこのままでは息子さんは刑務所行きです」

ご老人「おお! なんてこと! どうすればいいものやら!」

ニセ政府関係者「ご心配なされぬよう! 今ならまだ間に合います。チトお金がかかりますが!」

ご老人「いくらでも言ってくだされ! すぐに振込みますぞ!」

とこんな具合だ。しかも、国家そのものがこの「漏洩漏洩詐欺」を行う可能性だってあるのだから、とても安心してはいられない。

Facebookにわたしは先日冗談で「さてさて特定秘密でも暴露するか」と書いたところ、日本語のわかるビルマの人から「どんな特定秘密ですか?」とのコメントがあった。

わたしが「日本の安全を脅かすような特定秘密を話すと逮捕される法律が日本でできそうなのです」と説明すると、その人は「ビルマと同じだ」と返してくれたのだが、同じではやはり困るのである。

わたしは思うのだが、最高の秘密保護とは秘密を持たないこと以外にない。

そしてこの秘密という手段、古臭く剣呑な道具によらずしていかに国を発展させ平和を維持するか、頭を絞るのが、まともな政治というものだ。

いっぽう、特定秘密保護法はこうしたまともな政治とは真逆のもの、頭を絞らない怠け者の思いつきから生まれてきたものにすぎない。

そして、この法律が特定秘密として覆い隠してしまうのは、本当のところ、秘密なしでも安全は守れる方法はいくらでもある、という政治的真実なのだ。

2013/12/02

カーナビ

ヤンゴンにも街に対応したカーナビがあると言うけれど,普通はまず目にしない。まともな地図もないので,道が分からない時は,そこらを歩いている人に聞く。

「これがわれわれのGPSだっ」

と友人は言っていたが,ま,これがほんとは普通だろう。

ヤンゴンのインセインでフィットに乗せてもらったとき,日本のカーナビがそのまま搭載されていた。もちろん中古だ。

扱い方が分からないので,そのまま放ってあるとのことだった。

いったいどこの地点を指しているのかと気になってみてみたら,山陰本線の胡麻駅という駅だった。

おそらくとんでもない辺境なのだろう。胡麻の形の石が名物で……。

車が走り出した。

「目的地周辺です」

うるさいっ。

インセインとピーマン(4)

日本を去る年は大変だった。

働いてた店の日本人が金を貸してくれと言い出したのだ。36万。「子どもが交通事故で……」と! ついホロリと来てしまったというわけ。

ところが,いやはや,それっきり姿をくらました!

騙されたんだ。帰りの飛行機代もなくなった。それで2ヶ月ばかり働くはめに。

「そのことをあたしは(当時働いていた店の)部長に話したんだよ。そしたら部長が怒って『あなたバカね,なんでそんなヤツにお金貸したの?』って。そしてこうやって(自分の頭を指差して)『あなたの頭,ピィ〜マンね!』って言ったのよ! ああ,あたしはこの『ピィ〜マンね』が,もう絶対忘れられない!」

「なんだ,ピーマンって」と同行したカレン人。

「切ってごらん,空でしょ!」 大いに嘆きながら「ああ,ほんとに言ったのよ。『あなたの頭,ピィ〜〜マンね!』って!」

彼女は何度ものこの「ピィ〜マン」話を繰り返した。よっぽど悔しかったのだ。

大金を失ったこと,帰国が遅れたこと,長い労苦が悔しい出来事で締めくくられたこと,日本でのあらゆる思い出がこの「ピィ〜マン」にすべて凝縮されてしまった!

おそらく,わたしの顔もピーマンに見えたことだろう。

ピィ〜〜〜マン。

画像はインセインとは関係ありません。

インセインとピーマン(3)

さあ,夕食の始まりだ。

焼きそばに,豚肉のスープ。このスープがやたらと旨い。酸っぱくて辛くて。焼きそばも優しい味だ。おかわりに次ぐおかわり。わたしが成田空港で買ってきたお土産のウィスキーもみんな飲んじまった。

話といえば,ま,昔話だ。前世紀からの付き合いだからこりゃしょうがない。あいつはどうしてる,離婚した,病気した,野垂れ死んだ,飲んだくれてる,金の無心に来た,刑務所にいる,いい話はあまりない。それが人生だ,うわさ話というものだ。

で,「貴婦人」の日本での苦労話がはじまる。

「日本に来て,はじめて店で働いたとき,日本語なんてなんにも分からなかったから,大変だった。店長が『長ネギ!』っていうけど,全然分からない。でも,一緒にいたおばさんが親切だった。教えてくれた。長ネギを渡してこうやってとんとんと(輪切りに)切るんだと。わたしも一生懸命切る。すると次に店長が『タマネギ!』と叫ぶ。わたしはおばさんにこれが『タマネギ』だと教えてもらう。で,たくさんタマネギの皮を剥いて,芯をくり抜いて,下ごしらえする。そんな風に一日が終わって店長がやって来て言ったのは『このビルマ人,なかなかやるな!』」

毎年,日本でも行われているカレン新年祭の話も出てきた。1回目の時のだ(たぶん1999年)。

「あたしは徹夜でみんなの料理を準備したよ! 200人分のを,全部自腹で! それをなんだいあいつは(ある在日カレン人)! 『今からおばさんのところに料理を取りにいくから,タクシー代払って』だって。あたしは言ったよ! 『そんなんなら来ないでいい!』って」