2016/02/05

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(11)

ここで民族の数という観点からNCA署名団体を捉えてみると、ビルマの7大民族(カレン、カチン、シャン、アラカン、モン、チン、ビルマ)のうち、ビルマを除けば4つの民族が参加している。

次に民族州ではどうかというと、ビルマにはカチン州、カヤー州、カレン州、シャン州、チン州、モン州、アラカン州の7つの民族州があるが、このうち合意と全く無関係なのは、カチン州、カヤー州、モン州の3つである。

では、停戦合意が及ぶ地域の広さはどうだろうか。これは停戦が達成されていない地域のほうが領域的には小さいと考えることができる。合意とは関わりのないカチン州、カヤー州、モン州に合意に達していない政治軍事組織が存在するシャン州・アラカン州のある部分(それは不明だが)を加えても、ビルマの残りの地域のほうが広いからである。すなわち、わたしはヤンゴンやネーピードー、マンダレーなどのビルマ民族中心の地域(地方域)も含めて考えているわけだが、ただしこれには異論もあろう。というのも、全土和平が達成されていない状況でこれらの地域が平和であると言い切ることは少々難しいだろうから。

しかし、それでも民族州以外で非ビルマ民族が住む地域、特にカレン民族の多く住むエーヤーワディ地方やチン民族の多く住むザガイン地方にもこの合意の影響が及んでいることは間違いない。

2016/02/04

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(10)

それゆえ、名称の問題からこの合意を捉えることは必ずしも生産的とは言えないのだが、一つ重要なことがある。全土ではないのに全土と称するこの不正確さが、非ビルマ民族のみならずすべてのビルマ国民に換気するあるイメージのことだ。それは軍事政権が繰り返し行ってきたゴマカシと詐術を人々に想起させるのであり、その点からいえばNCAとはまったくの羊頭狗肉に他ならない。しかし、これはビルマ政府に対する不信に関わる問題であり、後で扱うこととする。

いずれにせよ、そしてその背景にどんな理由があるにせよ、NCAは端的にいって「看板に偽りあり」であることは間違いないが、それはむしろ皮相的な批判に過ぎない。より重要な批判は、合意した政治団体が「一部」に過ぎぬゆえにこの合意は平和をもたらさないというものであろう。つまり「一部」が全体において何を意味しているかが問われているのである。次にこの点に関して議論しよう。

NCAの署名に参加したのは確かに一部である。上に挙げたNCCTの16の参加組織のうち、合意に署名したのは6組織にすぎない(シャン州復興評議会はNCCTに含まれていない)。すなわち、NCAは少数派による協定なのであり、大多数には平和をもたらさない、ゆえに協定の意味は非常に小さいということになる。だが、果たしてそうだろうか。


2016/02/03

KNU記念日

1月31日午前、豊島区の高田第二区民集会室(高田馬場)で、日本のカレン民族同盟(KNU-Japan)による第69回カレン民族同盟記念日(KNUの創立記念日)と第67回カレン革命記念日(KNUの武装蜂起記念日)の式典が開催された。

KNUは昨年10月15日ビルマ政府と停戦合意を結んだが、国外のカレン人はほとんどがこれを批判し反対している。日本のカレン人もそうで、KNU-JapanもまたKNU内の合意反対派に近い立場だ。

国外のカレン人にとっては難しい時期というわけで、そのせいかどうか分からないが、今回の式典はカレン人だけで小規模に開催された(そのためわたしはこの式典をブログなどで案内はしなかった)。

内容もシンプルで、2つの記念日の由来の説明と、KNU日本代表のモウニーさんの演説、わたしを含むゲストやKNU-Japanメンバーの挨拶だけだった。全部で1時間ちょっとだ。

挨拶としてわたしは、去年、停戦合意の場でKNUのスポークスマンであるソウ・クエトゥーウィンにインタビューして、彼が「合意したとはいえ難民の帰還には相当長い時間がかかる」と言っていたことについて短く話した。

わたしの後に、あるカレン人のゲストが挨拶したが、その人は滔々と30分も話し続けた。ビルマ語がわからないので退屈したが、そうでなくても退屈するような内容だったろうと思う。




69周年シャン民族の日

シャン民族の日のお祝いが2月14日に開催されるとのこと。


「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(9)

4. NCAの評価

このNCAについては主に3つの観点から否定的評価がなされている。一つはこの合意が全面的な平和をもたらさないというもの、二つ目は合意には実効性がないというもの、もう一つは署名に応じた代表の正当性に関わるものだ。つまり、NCAは見る人が見れば、それぞれの民族を代表しない人々が勝手に作り上げた無効な合意であり、それゆえビルマの平和という問題を本質的に解決するものではないというのである。

まず、最初の点、すなわち全面的な和平ではないという点から見ると、誰でも気がつくことだが、NCAが決してNationwide「全土」ではないということが挙げられる。つまり、停戦合意に署名したのはあくまでも一部なのだから、全土とは呼べないのであり、これを持ってビルマに全面的平和が確立されたとみなすことはできないというものである。

それは確かにその通りであるが、これはただ単に名称の問題に過ぎない。重要なのは、この合意が事態を平和に向けてどのように動かすかであり、その意味においては「全土」が将来的目標であっても構わないわけだ。もちろん例えば「限定的全土停戦合意」などと名付けた方が正確(あくまでも相対的には)かもしれないが、そのような名付け事態が、平和への動きに制限をつけるかもしれないのである。もしNCAがこのような名称であったら、おそらくどの組織も合意に署名することはなかったろう。


2016/02/02

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(8)

3.2. NCA署名式典

署名式典のあった10月15日をCNFの動きを中心にまとめる。

06:30 ホテルで各自朝食。ビュッフェ形式。

07:00 祈祷集会。チン民族のほとんどはクリスチャン。集会終了後、入場許可証が配られる。

07:30 バスに乗り込む。30分以上待ってから出発。

08:15 会場に到着。Myanmar International Convention Centre 2 (MICC-2)。

08:57 テインセイン大統領到着。

09:00 式典開始。

09:40 組織代表による署名。引き続いて、政治家、各国の大使、国際機関代表の署名。

10:25 式典終了。ホールで記念撮影。

11:00 大統領の隣席する午餐会。

11:45 別のホールで大統領から合意団体代表に記念品が贈呈される。

12:00 合同記者会見。〜13:40。この頃にはチンの代表団は会場を後にしていた。

19:00 ホテルでチンの代表団全員で夕食会。


2016/02/01

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(7)

3. NCA署名式典

さて、ここからわたし自身のNCA署名式典に関する経験に移るが、10月7日、エーヤーワディのボーガレーにいたわたしはタンさんからメールをもらい、10月9日、ヤンゴンに戻り、タンさんに合流した。なお、タンさんは亡命以来24年ぶりに踏むビルマの地であった。

その翌日、10日、ヤンゴンのホテルで開催されたCNFのワークショップに参加した。このセミナーは、各地のチン民族の代表を対象としたもので、停戦合意署名への経緯が説明と質疑応答が行われた。

最初の1時間はメディアにも開かれており、その様子はテレビや新聞などでも報じられたようだ。

CNF代表団がネーピードーに向けて出発したのは、10月13日のことで、わたしは1日遅れて、他のチン民族代表団、カレン民族代表団とともにネーピードー入りした。わたしが宿泊したのは、CNF代表団の宿泊するグランド・アマラ・ホテルであった。