2014/12/21

マナウ広場とマナウ柱

マナウというのはマナウ広場とマナウ柱、そしてマナウに必要な人々が揃えば、世界のどこでも開催できるものだというが、マナウのためだけの広場があり、マナウ柱が常設されている国は4つしかない。

それはビルマ、中国、インド、タイだ。

そして、タイには当然ながらこのカチン村にしかない。

そのようなわけでバンマイサマキのマナウ広場とマナウ柱はカチンの人々にとって非常に重要な意味を持つ。

ところで、文化人類学者エドモンド・リーチはカチン民族を扱った『高地ビルマの政治体系』で、「伝統によれば柱と舞踏場は祭宴の十二ヶ月後にこわされなくてはならない。(中略)したがって、マナウの舞踏場が実際に存在する村に出くわすのは、ほんの時たまのことにすぎない(p133)」と述べている。

しかし、ビルマでも、中国でも、タイでも(おそらくインドでも)現代ではマナウ広場にコンクリート製のマナウ柱が恒常的に設置されているのが普通であり、リーチの記述とは食い違う。

おそらくリーチが観察した1940年代のマナウと現代のマナウではその役割が変化し、単なる儀式から、対外的にカチン民族の独自性を示す文化的象徴へと変わったということかもしれない。

さらにリーチが、マナウ広場と柱の一時的な性格を誇張しているという可能性もある。というのも、これらが石碑のように永続せず「はかなく消失する」という事実を、彼の主張であるカチン社会の柔軟性のひとつの証拠としているからだ(p134-135)。

もっとも、単に木よりも造形に便利なコンクリートという素材のほうが、実のところマナウ柱に適しているということが発見されただけなのかもしれないが。