「釈放については、実際には予想していたよ。二〇〇七年に再び逮捕されたとき、憲法制定のための国民会議が開催されていたのだが、われわれはある筋から情報を得ていたのだ。軍は民主化のための七段階ロードマップに則り、二〇〇八年には国民会議を完了するだろうと。そして国民の意思に関わらず憲法を制定し、二〇一〇年頃に総選挙を行い、ほとんどの議席を手に入れる予定だと。情報は、その後、彼らは政治囚を釈放しなくてはならなくなる状況にも触れていた。われわれはこれは二〇一〇年に起きると予想していた。実際には二〇一二年になってからだったがね。だが、釈放自体についていえば、これは前もっては知らされていなかった。その日に当局がやって来て、われわれに告げたのだ。これから釈放するぞ、と……」
もしかしたら長い長い獄中での青春時代に対する感慨に捉われたのかもしれない、彼はふと付け加える。「その二十四年前、われわれはみな学生だった。ミンゼヤーは法学部の最終学年で、わたしは国際関係学部の最終学年だった……」 すると「今もまだ学生だ!」とミンゼヤーが豪快に笑った。
もしかしたら長い長い獄中での青春時代に対する感慨に捉われたのかもしれない、彼はふと付け加える。「その二十四年前、われわれはみな学生だった。ミンゼヤーは法学部の最終学年で、わたしは国際関係学部の最終学年だった……」 すると「今もまだ学生だ!」とミンゼヤーが豪快に笑った。
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『アボーション・ロード』「第7章 地の獄の囚人たち」についてはまえがきを参照されたい。