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2016/03/04

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(24)

5. CNFの戦略

前節で述べたようにNCAに対する否定的見解は次の3点にまとめることができよう。

①NCAは文字通りの「全土」ではない。
②ビルマ政府およびNCAを信頼することはできない。
③NCAの署名に参加した人々を民族の代表とみなすには疑いがある。

今回の停戦合意に署名したCNFは、少なくともこの3つの点に関して外部に説明責任を負っていると考えられる。この節では、まずCNF自身の考えを取り上げ、その後、CNFが合意に加わった動機について分析を行いたい。

まず①についてだが、NCA署名当時の議長(というのも2016年1月末のCNF総会で副議長となったからだが)であるタンさんは、NCAは終着点ではなく、全土停戦にいたるプロセスのひとつに過ぎない、と語る。すなわち、NCA以後も、今回合意に参加しなかった他の非ビルマ民族組織とともに交渉を続け、本当の全土停戦合意を実現させるということである。

このような立場は同時に、今回のNCAそのものを反故にさせず、今後の交渉を有利に進めるためのひとつの戦略ともとらえられよう。というのも、非ビルマ民族側の分裂はビルマ政府の政治的優位に結びつくからである。

2016/03/01

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(23)

これらの人々は、和平交渉においてKNUとカレン人を繋ぐ役割を果たしてきた人々であるが、その中にはわたしが10年以上前から知るカレン人宗教者(牧師)も数名いた。

そして、これらの人々の普段の活動にも同行したことのあるわたしは、この牧師や神父たちが、合意を利用して利を貪ろうとしている悪人とも合意のために利用されている操り人形とも思えなかった(そのようにインターネットで主張するカレン人も多いのであるが)。

むしろ、これらの人々は、それぞれの現場で自分の民族のために地道に働いてきた人々である。つまり、戦争と迫害が自分たちの民族をどのように破壊してきたかもっとも知る人々なのである。

実際のところ、KNUに働きかけ、和平に向けたその決断を促したのは、これらの人々ではないだろうか。

もっとも、その点に関しては判断するだけの材料はまだない。また、具体的にどのような努力がこの停戦に結実したのかについても。同行したカレン人神父によると、和平への動きはすでに90年代からあったというが、詳しくは残念ながら聞く時間がなかったのである。次回の訪問でじっくり聞いてきたい。

いずれにせよ、KNUの停戦合意への参加は、国内のカレン人が抱いている平和への切望に応じたものであるというのがわたしの見方であるが、そのいっぽう、多くのカレン人、特に国外のカレン人が反対しているのも事実である。

それゆえ、これら停戦合意に納得していない人々の理解をどのように得ていくか、つまりカレン民族内の合意と相互理解の形成が、今後の重要な課題となるのではないかと思われる。


2016/02/29

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(22)

そして、そのような自己認識こそ、カレン人とそのほかの諸民族が国際社会への粘り強い働きかけを通じて長い時間をかけてビルマ政府に植え付けてきたものなのであり、これは非ビルマ民族政治運動のひとつの成果といえる。

ゆえに、今回の停戦合意を軽率であるとか、民族を損なうものであるとか、あるいはこれまでの政治運動を裏切るものと単純に見ることはできない。それは同時に、非ビルマ民族の政治運動(これを連邦主義運動と読んでもいいだろうが)の流れに正当に位置づけることもできるのである。

また、今回のKNUの合意に関して、これが普通のカレン人の意志にまったく反したものと見ることも難しい。というのも、KNUの決定は、国内のカレン人社会、特に宗教関係者、市民団体の後押しと協力を背景に為されたものでもあるから。つまりKNUの独断とは言いきれないのである。

わたしがヤンゴンからネーピードーに移動するさいに乗ったバスには、チンの市民代表団ばかりではなく、カレン人の代表団も同乗した。


「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(21)

もっともその勇気は、カレン民族が経験してきた絶望、危機、荒廃、死、悲しみによってもたらされたものだ。

軍事政権下の60年はカレン人の持つ可能性を徹底的に衰退させた。戦争により生活は破壊され、その先にある難民キャンプは、避難所どころか民族の分散と人材の流出の始点でしかなかった。

国内に目を転じてみると、そこにはイギリス植民地時代の自信と教養に溢れたカレン人などもはや滅多に見出すことはできない。そのかわり、熱狂する者、恐怖にとりつかれた者、酒と宗教に溺れた者ならいくらでもいる。これらの人々から現実を直視する力と理性の力を失わせたのは、まさしく軍事政権の無残な迫害であり、この迫害を何とかして止めさせなくてはならない限り、カレン人に将来はないのだ。

そのためにはひとつの道しかない。それはいかなる手段を用いても平和を確立し、カレン人の命を救うことだ。

幸いにも、かつての敵であった軍事政権はテインセイン政権にその座を譲った。この新しい政権は確かに古い政権に似ていて、まるで親子のように瓜二つでもあるが、現在の国際状況ではかつてのように傍若無人にふるまうことはもはや不可能であることを認識している点で大きく違う。


「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(20)

ただし、だからといって、KNUの停戦合意の署名が、まったくの愚行、あるいは多くの人々が考えているようにカレン民族に対する裏切りだというのは分析不足だと、わたしは考えている。

まず、KNUが和平派と強硬派に分かれているという事実を分裂の兆候と捉える見方もあるが、これは逆にカレン人の力を見くびった見方でもある。というのも、この「分裂」は別の見方をすればKNUの多様性の表れであり、そのような多様性を許すほどKNUという組織が変容しつつあるとも言えるわけだ。

これは弱体化であろうか、それとも成熟であろうか。わたしはその両方が当てはまると思う。というのも、弱体化こそ成熟のチャンスであり、その成熟こそが弱体化を乗り越えるであるから。その点から言うと、弱体化に脅えるあまり、強大化を追求する未熟な日本人よりもカレン人のほうがはるかに賢いとも言えるかもしれない。

いずれにせよ、社会はそれが直面する危機によって成長するのではない。それを直視する勇気が成長をもたらすのだ。わたしはカレン人社会はその勇気を十分に持っているのではないかと考えている。


2016/02/16

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(19)

このような批判的な見解を持つカレン人は決して少数派ではない。

2008年に暗殺されたKNUの指導者マンシャの2人の娘でイギリス在住のゾヤパンさんとブエブエパンさんは、カレン人社会の中で非常に大きな影響力を持つが、2人はかねてからKNUの停戦交渉に関して批判的な発言を行ってきた。

また、NCAを受けて国外のカレン人政治団体は、これに反対を表明する共同声明も出している。その中には日本のカレン人団体も含まれている。

日本国内のカレン人を見ても、現行のKNU執行部に対して批判的あるいは不信を表明する人も多い。日本にはKNUの日本代表と支部が存在するが、その代表を務めるミョーカインシンさんすら、ムートゥーセーポーさんが議長となったKNU総会の時から、現行の執行部に対する懸念をたびたび公にしてきた。

さらに、NCAに対するカウンター・ムーブメントとして国外のカレン人諸団体を糾合する動きもあるようだ。2ヶ月ほど前には、ビルマ国外(確かオーストラリア)在住のカレン人活動家が日本や韓国を訪問し、カレン人の現状についての説明や意見交換を行ったということだが、これもその一環だろう(ただし、わたしは行けなかったが)。

2016/02/14

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(18)

こうした批判は、とくにカレン人において顕著に見られる。

カレン民族同盟(KNU)の議長を含む最高委員会は4年ごとに改選される。現議長はカレン軍出身のムートゥーセーポーさんであるが、KNU内の和平派である彼は対立する強硬派、特に次期議長との声望が高かったデヴィッド・ターカーボーさんに勝利して、主導権を握った。それは国外に暮らす多くの強硬派支援者の失望を引き起こしたが、同時に聞こえてきたのは、ムートゥーセーポーさん一派が選挙において不正を行ったという噂であった。

このためNCAに反対する多くのカレン人は、現在のKNUの指導者たちがその地位を不正に手にしたと考えている。

もっとも、すべての指導者がそうみなされているわけではない。副議長のノウ・セポラセインさんはかねてから強硬派として知られ、たいていの国外のカレン人は彼女には信頼を表明している。そして、その彼女がNCA式典に出席しなかったこともまた重要な事実として受け取られている。つまり無言の抗議というわけで、これをもって、KNU内部の不一致を協調する報道もある。

このように代表としての合法性に疑念が呈されてきたが、そのいっぽう、代表としての資質にも懸念の声がたびたび表明されてきた。ムートゥーセーポーさん一派は、カレン人のために働くという責務を忘れ、ビルマ軍人と組んで経済的利益を得るのに汲々としており、NCAもそのための口実に過ぎないというのである。この疑念は、メディアを通じて報道されるKNU幹部とビルマ政府要人との癒着的関係によっても強められている。


2016/02/13

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(17)

非ビルマ民族はビルマ民族とビルマ政府にかなりの不信感を抱いているため、NCAそのものについても疑っているということを記したが、3つ目の否定的見解では、この不信がいわば逆向きになっている。

すなわち、非ビルマ民族の中には、今回の署名に参加した自分たちの代表についても批判し、不信の念を表明している人々がいるのである。

これらの人々の見解によれば、代表となった人々は自分たちの意見を反映したものではなく、それゆえ、停戦合意そのものが無意味であるというのだ。

この見解によれば2つの点で代表たちは非難されている。ひとつは代表としての選出が民主的ではなかったという点、もうひとつは、これらの代表が、民族すべての利益というよりももっぱら私利私欲のために働いているという点である。

このような合法性の点で疑いのある人々によって署名された合意はやはり非合法的であり、そのような不適格な人々が先頭に立って行う非ビルマ民族地域の復興は、どう考えてもそこに住む人々のためにならないことは明らかであろう。


2016/02/12

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(16)

いずれにせよ、NCAに対する最初の否定的見解のうち、取り上げるべきはそれが「全土」でないということただひとつであり、「多数か少数か」であるかという問題は重要ではないということになる。

さて、NCAに対する否定的見解の2番目は、合意には実効性がないというものだ。つまり、NCAとはビルマ政府が国際社会の目を欺くために行う茶番であり、政府にはこれを実現しようという意図はないのだ、いやそれどころか、このNCAを通じて非ビルマ民族地域に対する更なる侵略と弾圧をたくらんでいるのだ、という見解である。

過去の経験に照らし合わせてみればこれは実際に間違っていない。

これまでのビルマ軍事政権の停戦協定は一方的なものであり、実現の保証のないものばかりであった。カチン独立機構(KIO)は1992年の停戦によって、政治的対話が始まり、カチン人の生活が向上すると期待したが、それらはまったく裏切られた。

カチン政府とビルマ政府との停戦は、カチン州に対するビルマ軍事政権の軍事的支配と経済的支配をかえって強めるばかりであった。そして17年の停戦の後に残されたのはカチン州と民族の荒廃だったのである。

となると、もはやビルマ政府との停戦交渉など信じることはできない。

いや、そもそもビルマ人がどれだけ非ビルマ民族を欺いてきたことか。ビルマ民族に対する積年の恨みと不信感は、お互いの簡単な約束すら成立させぬほど増大してしまっている(もっとも、ビルマ人はほとんど気がついてはいないが)。いわんや協定をや、というわけだ。

2016/02/10

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(15)

それはNCAがビルマ全土の平和に結びつくどころか、部分的停戦により撤退した部隊が、交戦の続く地域やこれまで戦闘のなかった地域に集中し、軍事的攻撃が激化するのではないかという危惧である。

この恐れこそ、非ビルマ民族諸組織の主張する「全土停戦」の根拠をなすものであり、真剣な考慮に値する。というのも、1990年代半ばのカレン民族同盟とカレン民族解放軍の弱体化の原因は、1992年のカチン独立機構とビルマ政府との停戦にあるという見方も存在するからである。つまり、停戦によりビルマ軍は軍事力をカチン地域からカレン地域に回すことができたためだというのである。

そして、現在皮肉にもカレンとカチンの立場は入れ替わったわけであり、今回の停戦がカチン側を苦境に追い込むとしても「カチンはNCAに関して何も言う資格はない」と厳しいことを言う者もいる。

しかし、わたしの見るところでは、KIOとビルマ政府との停戦はKNUの弱体化のひとつの理由であったかも知れないが、それがすべてではない。国際関係の変化、カレン人内部の意見の相違などさまざまな要因が関わっていると見るべきであろう。


2016/02/09

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(14)

結局のところ、合意参加組織と不参加の組織のどちらが多数派かであるかという問題は、何を基準とするかという観点によって変わるとしか言いようがない。つまり、合意に加わった一部の組織を少数派と断ずることは必ずしもできないということだ。

そもそも平和の問題、しかも様々な民族の政治・軍事組織が関係する問題を、純粋に多数か少数かという数の観点だけで判定することはふさわしいことだろうか。そうした態度こそ、マイノリティの権利を損なうものではないだろうか。

重要なのは、単なる数の問題に還元するのではなく、個々の民族の状況を考慮に入れた実質に着目することと、この停戦合意が今後文字通りの「全土」に拡大し、永続的な平和の基盤となるだけの実質を備えているかである。

その答え自体は、この合意の成立そのものに求められよう。すなわち、そのように多くの人々が判断したから署名式典が行われたのである。この点に関しては後に触れるが、もうひとつここでとりあげるべき重大な異義について概観しておこう。



2016/02/08

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(13)

ところで多数派少数派の問題でもう一つ考慮すべき点がある。今回の合意では、シャン民族を代表する2つの政治組織のうち1つ、アラカン民族を代表する3つの政治組織のうち1つしか参加していない。それゆえ、これを持って、NCAが少数の組織によるものだと判定することも可能である。

しかし、これには2つの点から異論を提出することができる。

1つはすでに述べたように、合意に参加したシャン州復興評議会(RCSS)とそうでないシャン州進歩党(SSPP)のどちらが、あるいは合意に参加したアラカン解放党(ALP)とそうでない残りの2つ、アラカン民族評議会(ANC)とアラカン軍(AA)のどちらが「多数」なのかを決めるのは簡単ではないというものである。

もう1つはより根本的な反論だ。それはある民族にそれを代表とする複数の政治組織がある場合、この政治組織間に協力関係を生み出したり、あるいはその内のいずれかに正当性を与えたりするのは、他の民族やビルマ政府の役割ではなく、その民族自身がすべきことだという考えである。つまり、この問題は、個々の民族のレベルで解決すべき部分も大きく、必ずしもNCAそのものの評価に関わるものではないのである。

もっとも、この点に関しては、かつては敵同士でもあったカレン民族同盟と民主カレン寛容軍がともに合意に参加した経緯なども含めてより詳細に検討する必要があろう。

2016/02/06

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(12)

人口についても同様にビルマ民族全体を含めれば、停戦合意の恩恵を受ける人々の数は、合意に加わっていない人々の数よりもずっと多いということになろう。もっとも、非ビルマ民族内に限った場合、多数派がどちらかは容易には決しがたい。

さて、これまでNCCT内の組織、民族、州、地域、人口を基準に比較をしてきたが、さらに軍事力の点からも比較することができる。とはいえ、わたしはこの点に関しては十分な情報はない。カチン人に言わせれば、今回の合意に参加した軍事組織は戦力的には少数勢力だという。確かにわたしが実際に見た経験からすると、カチン軍(KIA)は軍備の点では少なくともカレン軍よりも勝っているように見受けられたが、全体としてどうなのかは不明である。

しかし、たとえそうであっても、ビルマ政府ともっとも最初に戦火を交え、さらにカチン人とは違ってこれまで一度も停戦合意を行ったことのないカレン民族が、しかもその主力となるKNUとDKBAがともに合意に加わったことの意義は大きい。軍事的にはもしかしたらカチンよりも劣るかもしれないが、歴史的意義、あるいは影響力の強さという観点から見るならば、その不足を補って余りあるといえるだろう。

2016/02/05

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(11)

ここで民族の数という観点からNCA署名団体を捉えてみると、ビルマの7大民族(カレン、カチン、シャン、アラカン、モン、チン、ビルマ)のうち、ビルマを除けば4つの民族が参加している。

次に民族州ではどうかというと、ビルマにはカチン州、カヤー州、カレン州、シャン州、チン州、モン州、アラカン州の7つの民族州があるが、このうち合意と全く無関係なのは、カチン州、カヤー州、モン州の3つである。

では、停戦合意が及ぶ地域の広さはどうだろうか。これは停戦が達成されていない地域のほうが領域的には小さいと考えることができる。合意とは関わりのないカチン州、カヤー州、モン州に合意に達していない政治軍事組織が存在するシャン州・アラカン州のある部分(それは不明だが)を加えても、ビルマの残りの地域のほうが広いからである。すなわち、わたしはヤンゴンやネーピードー、マンダレーなどのビルマ民族中心の地域(地方域)も含めて考えているわけだが、ただしこれには異論もあろう。というのも、全土和平が達成されていない状況でこれらの地域が平和であると言い切ることは少々難しいだろうから。

しかし、それでも民族州以外で非ビルマ民族が住む地域、特にカレン民族の多く住むエーヤーワディ地方やチン民族の多く住むザガイン地方にもこの合意の影響が及んでいることは間違いない。

2016/02/04

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(10)

それゆえ、名称の問題からこの合意を捉えることは必ずしも生産的とは言えないのだが、一つ重要なことがある。全土ではないのに全土と称するこの不正確さが、非ビルマ民族のみならずすべてのビルマ国民に換気するあるイメージのことだ。それは軍事政権が繰り返し行ってきたゴマカシと詐術を人々に想起させるのであり、その点からいえばNCAとはまったくの羊頭狗肉に他ならない。しかし、これはビルマ政府に対する不信に関わる問題であり、後で扱うこととする。

いずれにせよ、そしてその背景にどんな理由があるにせよ、NCAは端的にいって「看板に偽りあり」であることは間違いないが、それはむしろ皮相的な批判に過ぎない。より重要な批判は、合意した政治団体が「一部」に過ぎぬゆえにこの合意は平和をもたらさないというものであろう。つまり「一部」が全体において何を意味しているかが問われているのである。次にこの点に関して議論しよう。

NCAの署名に参加したのは確かに一部である。上に挙げたNCCTの16の参加組織のうち、合意に署名したのは6組織にすぎない(シャン州復興評議会はNCCTに含まれていない)。すなわち、NCAは少数派による協定なのであり、大多数には平和をもたらさない、ゆえに協定の意味は非常に小さいということになる。だが、果たしてそうだろうか。


2016/02/03

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(9)

4. NCAの評価

このNCAについては主に3つの観点から否定的評価がなされている。一つはこの合意が全面的な平和をもたらさないというもの、二つ目は合意には実効性がないというもの、もう一つは署名に応じた代表の正当性に関わるものだ。つまり、NCAは見る人が見れば、それぞれの民族を代表しない人々が勝手に作り上げた無効な合意であり、それゆえビルマの平和という問題を本質的に解決するものではないというのである。

まず、最初の点、すなわち全面的な和平ではないという点から見ると、誰でも気がつくことだが、NCAが決してNationwide「全土」ではないということが挙げられる。つまり、停戦合意に署名したのはあくまでも一部なのだから、全土とは呼べないのであり、これを持ってビルマに全面的平和が確立されたとみなすことはできないというものである。

それは確かにその通りであるが、これはただ単に名称の問題に過ぎない。重要なのは、この合意が事態を平和に向けてどのように動かすかであり、その意味においては「全土」が将来的目標であっても構わないわけだ。もちろん例えば「限定的全土停戦合意」などと名付けた方が正確(あくまでも相対的には)かもしれないが、そのような名付け事態が、平和への動きに制限をつけるかもしれないのである。もしNCAがこのような名称であったら、おそらくどの組織も合意に署名することはなかったろう。


2016/02/02

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(8)

3.2. NCA署名式典

署名式典のあった10月15日をCNFの動きを中心にまとめる。

06:30 ホテルで各自朝食。ビュッフェ形式。

07:00 祈祷集会。チン民族のほとんどはクリスチャン。集会終了後、入場許可証が配られる。

07:30 バスに乗り込む。30分以上待ってから出発。

08:15 会場に到着。Myanmar International Convention Centre 2 (MICC-2)。

08:57 テインセイン大統領到着。

09:00 式典開始。

09:40 組織代表による署名。引き続いて、政治家、各国の大使、国際機関代表の署名。

10:25 式典終了。ホールで記念撮影。

11:00 大統領の隣席する午餐会。

11:45 別のホールで大統領から合意団体代表に記念品が贈呈される。

12:00 合同記者会見。〜13:40。この頃にはチンの代表団は会場を後にしていた。

19:00 ホテルでチンの代表団全員で夕食会。


2016/02/01

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(7)

3. NCA署名式典

さて、ここからわたし自身のNCA署名式典に関する経験に移るが、10月7日、エーヤーワディのボーガレーにいたわたしはタンさんからメールをもらい、10月9日、ヤンゴンに戻り、タンさんに合流した。なお、タンさんは亡命以来24年ぶりに踏むビルマの地であった。

その翌日、10日、ヤンゴンのホテルで開催されたCNFのワークショップに参加した。このセミナーは、各地のチン民族の代表を対象としたもので、停戦合意署名への経緯が説明と質疑応答が行われた。

最初の1時間はメディアにも開かれており、その様子はテレビや新聞などでも報じられたようだ。

CNF代表団がネーピードーに向けて出発したのは、10月13日のことで、わたしは1日遅れて、他のチン民族代表団、カレン民族代表団とともにネーピードー入りした。わたしが宿泊したのは、CNF代表団の宿泊するグランド・アマラ・ホテルであった。


2016/01/31

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(6)

2.3. 全土停戦合意(NCA)
全土停戦合意(Nationwide Ceasefire Agreement, NCA)は、ビルマ政府と非ビルマ民族所組織が進めてきた和平プロセスの最終段階をなすものであるが、ビルマ軍の攻撃、ビルマ政府への不信などから、いくつかの非ビルマ民族組織は合意に参加せず、「全土」というわけではなくなった。

合意に参加した組織は、ビルマ政府を除けば、チン民族戦線(CNF)、民主カレン寛容軍(DKBA)、カレン民族同盟(KNU)、KNU/KNLA平和評議会(KPC)、パオ民族解放機構(PNLO)、シャン州復興評議会(RCSS)、アラカン解放党(ALP)、全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)。ABSDF以外の7組織が非ビルマ民族組織。

参加していない主な組織はカチン民族、パラウン民族、シャン民族、アラカン民族、モン民族などである。



2016/01/30

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(5)

2.2. 全土停戦コーディネーション・チーム(NCCT)

以下は全土停戦コーディネーション・チーム(NCCT)を構成する16の組織であり、このうち*印を付した6組織が今回の合意に参加した。

アラカン解放党(Arakan Liberation Party)*
アラカン民族評議会(Arakan National Council)
アラカン軍(Arakan Army)
チン民族戦線(Chin National Front)*
民主カレン寛容軍(Democratic Karen Benevolent Army)*
カレンニー民族進歩党(Karenni National Progressive Party)
カレン民族同盟(Karen National Union)*
KNU/KNLA平和評議会(KNU/KNLA Peace Council)*
ラフ民主同盟(Lahu Democratic Union)
ミャンマー国民民主同盟軍(Myanmar National Democratic Alliance Army)
新モン州党(New Mon State Party)
パオ民族解放機構(Pa-Oh National Liberation Organization)*
パラウン州解放戦線(Palaung State Liberation Front)
シャン州進歩党(Shan State Progress Party)
ワ民族機構(Wa National Organiztion)
カチン独立機構(Kachin Independence Organization)