マナウ広場とマナウ柱の説明は一応これで終わりにして、タイ北部のカチン村、バンマイサマキ、12月3日の午前の話に戻すと、ピーターさんはわたしを連れてマナウ広場をぐるっと回り、その奥にある高床式の小屋に入っていった。
それは、マナウを率いる指導者、カチン語でナウション(Nau Shawng、踊りの長)と呼ばれる人々が、祭りの間に滞在する、いわば「楽屋」のような場所なのであった。
ピーターさんはそこに知り合いがいるようで、どっかり座っていつものように話を始めたが、実はわたしにも知っている人が二人いたのである。
ひとりは、2013年11月の東京マナウの時にナウションとして来日した年配の男性で、その時に少しだけ話を聞いたことがある。
もうひとりは、やはり年配の男性で、彼は水浴びを済ましてきた様子で首にタオルをかけてこの小屋の裏口から表れた。
彼は、わたしが日本から来たことを知ると「カチン語でジャーは金、パンは花、ジャパンは金の花だ」と英語で言ったのだが、彼について述べる前に、このナウション小屋とナウションについて若干述べておこう。
それは、マナウを率いる指導者、カチン語でナウション(Nau Shawng、踊りの長)と呼ばれる人々が、祭りの間に滞在する、いわば「楽屋」のような場所なのであった。
ピーターさんはそこに知り合いがいるようで、どっかり座っていつものように話を始めたが、実はわたしにも知っている人が二人いたのである。
ひとりは、2013年11月の東京マナウの時にナウションとして来日した年配の男性で、その時に少しだけ話を聞いたことがある。
もうひとりは、やはり年配の男性で、彼は水浴びを済ましてきた様子で首にタオルをかけてこの小屋の裏口から表れた。
彼は、わたしが日本から来たことを知ると「カチン語でジャーは金、パンは花、ジャパンは金の花だ」と英語で言ったのだが、彼について述べる前に、このナウション小屋とナウションについて若干述べておこう。