2012/12/12

ナイジェリアVSビルマ

わたしはいまカチン独立機構とビルマ政府の間の戦争に関するレポートを書いていて、おそらくもうじき終わると思うのだが、CLOVERの交流会に出席したときは、ちょうどビルマ連邦の民族州の問題についてまとめていたのだった。

ビルマにはヤンゴンなどの管区の他にカチン州やカレン州などの民族の名前を冠した7つの民族州があり、おおざっぱな言い方をすれば、この民族州における各民族の自治権の要求が、ビルマ問題の根源といってもいい。民主化はむしろそれに付随した問題でしかない。

この民族州の問題は非常に厄介で解決を見つけるのは大変だ。だが、いわばこの問題のために、これまでに数多くのカレン人やカチン人、あるいはビルマ人が殺されてきたし、今も殺されている。

さて、CLOVERの交流会では小グループに分かれて難民問題に関して希望や夢を分かち合う、という学生らしいプログラムが行われ、わたしもまた、あるグループに振り分けられた。

それは8人程度のグループで、わたしを除けばCLOVERのメンバーが2人、他の大学の学生が3人、難民支援NGOと難民がひとりずつ、という構成であった。

難民の方はナイジェリアの女性で、入管の収容者を支援する活動をしている人だ。わたしも見かけたことがある。

いろいろな経験をしている方で、現在入管に収容されている妊娠中の中国人女性(しかも重い病気を持っているという)のことや、牛久に4年も収容されているソマリア人男性のことについて熱心に英語で訴えていた。日本語は解さないわけではないが、それほど得意でもないようだった。

小グループでディスカッションを始める前に、それぞれ自己紹介したのだが、日本のビルマ難民団体の代表をやっています、と語ったわたしをどうやら、ビルマ人と勘違いしたようだった。

日本における難民のひどい扱いを訴えるのに「このミャンマーから来たブラザーも!」とか言いながらわたしを指すのであった。

ビルマ人ですらわたしのことをビルマ人だと思うことがあるので、わたしはあまり気にもしないし、詰まらぬことでわざわざ口を挟んで彼女の話の腰を折るのも気が引けたので、そのまま放っておいた。

話はアフリカ出身の難民が、日本でどれだけ差別的な扱いを受けているかに及んだ。わたしはほとんどビルマの難民のことしか知らないが、ナイジェリアなどの難民がどれだけ辛い思いをしてるかはしばしば耳にしている。そして、彼女によれば、アフリカの難民たちはビルマの難民よりずっと苦しい状態にあるというのだ。

わたしはこれに同意しないわけでもないが、それはともかく、彼女は言葉を続ける。

「このミャンマーのブラザー(と彼女はわたしを指差す)には申し訳ないのですが、ミャンマーなんて、ナイジェリアのひと州ほどの大きさしかないのです!」

むむむ……強敵現る……