カチン・イヤー11月のイベント
「ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史」
2012年11月30日(金曜日)午後7時ー午後8時30分
南大塚地域文化創造館第2会議室
今、国際的な注目を集めるビルマの民主化の影で、ビルマ政府とカチン独立機構政府との間で戦争が行われています。その結果、ビルマ国内およびビルマ・中国国境では10万人にもおよぶ難民・国内避難民が発生しています。
NPO法人ビルマ・コンサーンは、日本国内および紛争地域のカチン人と協力して、今回のこの戦争とそれによって生み出された難民の実態について報告を行ってまいりました。
今回はこれまでの報告会とは異なり、在日非ビルマ民族政治運動の立役者の1人であり、またカチン民族機構−日本の議長でもあるピーター・ブランセン(Peter Bran Seng)氏をお招きし、現在ビルマ政府と交戦しているカチン民族機構(KIO)の一員でもあった氏の経験を交えつつ、カチン民族の民族運動についてお話しいただきたいと思っております。
【報告会の内容】
1)イントロダクション:カチン・ビルマ戦争と戦争難民
熊切 拓(ビルマ・コンサーン)
2)ドキュメンテーション:カチン民族運動の歴史
ピーター・ブランセン(カチン民族機構−日本議長)
3)ディスカッション
1)カチン・ビルマ戦争と戦争難民
【カチン・ビルマ戦争】
1994年からの17年間にわたるカチン民族機構(KIO)との停戦を2011年6月にビルマ政府が一方的に破棄したことによって起きた戦争。
【戦争の原因】
カチン州の豊富な資源(金・翡翠・森林など)。
【難民の発生】
KIO支配地域へ軍を展開するビルマ軍による村への略奪、攻撃により、9万人以上の国内避難民・難民が発生。ビルマ政府支配地域、KIO支配地域、中国国境地帯に大小あわせて100近くの難民キャンプができる。
【支援状況】
キャンプはビルマ政府と中国政府に挟まれた地域にあるため、国際的な支援が届きにくい状況。
【ジェーヤン・キャンプ】
最大の国内避難民キャンプ。8,000人以上の避難民が暮らす。必要なのは食料。また防寒対策も必要。
2)カチン民族運動の歴史
【ピーター・ブランセン氏略歴】
1974年にカチン独立軍(KIA)に加わり、1980年までの間に軍人としてカチン州全土を回る。ヤンゴンに戻り、ヤンゴン大学を卒業した後、1988年から、ビルマ軍との停戦が成立する1994年までの間、当時のカチン独立機構(KIO)議長マラン・ブランセンの個人秘書として勤務。停戦後再びヤンゴンに戻るが、政治的迫害のおそれがあったため、ビルマから出国。2001年11月4日に来日。
日本では、最初のカチン人の政治団体、在日カチン民族民主化運動(Democracy for Kachin Nationals in Japan, DKN-Japan)を2003年10月12日に設立し、2004年4月には、日本に暮らす非ビルマ民族とともに最初の非ビルマ民族政治団体、在日ビルマ連邦少数民族協議会(Association for United Nationalities in Japan, AUN-Japan)を結成し、日本における非ビルマ民族の政治運動をリードする。DKN-Japanはタイに本部を置くカチン民族機構(KNO)に正式加盟し、2007年9月9日にカチン民族機構(日本)(KNO-Japan)と改称された。現在、KNO-Japan議長を務める。
2011年6月にKIOとビルマ政府との間で戦争が始まると、たびたび紛争地域と避難民キャンプを訪問して難民支援を続けている。
難民認定申請の後、2005年に人道的配慮により在留資格を取得。韓国ソウルで開催された”4th Asia Pacifc Consultation on Refugee Rights”(2012/8/22〜24)に日本の難民の代表(難民連帯委員会)の1人として参加。
【カチン独立機構とカチン独立軍】
カチン独立機構(Kachin Independent Organization, KIO)とカチン独立軍(Kachin Independance Army, KIA)は1961年2月5日にカチンの青年たちによって設立された。長い戦争の後、1994年2月24日にビルマ政府と停戦を結ぶが、2011年6月より再び交戦状態に入る。
【カチン民族機構】
カチン独立機構(Kachin National Organization)は、国外のカチン人によって1999年に設立された政治団体であり、当時停戦中であったKIOとは異なり、反ビルマ軍事政権・民族解放の立場から国際的な活動を展開してきた。ビルマ政府とKIOの停戦が破棄された2011年6月以降からは、KIOとの協力を深め、2012年6月の協議において、KIOとKNOとの協力関係が確認された。