2012/12/19

デモの意味(1)

語でも事象でもいいのだが、そういった要素の意味(あるいは役割・機能)というものは、単独でそれ自体のうちにあるのではなく、他との関係においてある。そうした関係が複数寄り集まったものが構造(あるいは体系)と呼ばれるものだ。

この構造は他の構造の一部をなし、またその構造が別の構造の一部をなすという形で連鎖し、その極みについてはさておくとしても、少なくともほとんどの構造が部分的なもの、つまり部分構造というわけだ。

さらに複雑なのは、構造は多層的でもあるということだ。ゆえに、ある要素はひとつの系列の構造の一要素であるだけでなく、複数の構造系列に同時に含まれているということになる。

われわれがある語なり事象なりをさまざまなレベル・文脈で捉えていることを大雑把ながら説明するとすれば、こうなろう。

ある難民関係の集会に出たとき、デモの話をする人がいた。その人はデモには政治的な効果があるのだと主張し、その実例を挙げた。

その話を聞いたある大学生(女性)が、面白そうだから行ってみたい、と言うと、あるとても優秀な大学の学生(男性)が「デモには政治的効果はないから、学生は参加せずに、学生らしく勉強して別のやり方で社会を変えたほうが良い」と口を挟んだ。

「こっのガリ勉ヤロー」とわたしは密かに思ったが、それはこれがいかにも利口な学生の言いそうなことだったからだ。むしろ、面白そうだからと、とりあえず行ってみたがる学生のほうが好感が持てる(もっとも、件の学生がデモに反対したのは、政治活動に引き込まれかねないと危惧して彼女を守ろうとしたのかもしれないが)。