海外カレン機構(日本)OKO-Japanは2006年3月に在日カレン人とわたしが設立した団体であるが、その設立前にどんな団体にしたらよいのか、設立メンバーたちといろいろ議論したものだった。
メンバーの1人に、タイ、メーソットのメータオ・クリニックの著名な医師のシンシア・マウンさんを知っている人がいた。その人がいうには、シンシアさんはビルマからタイ・ビルマ国境に逃げてきたとき、海外カレン機構(Overseas Karen Organization)という団体を仲間と一緒に作り、一時そこで活動していた、なので、新しいカレン人の団体もこの名前を使ったらどうだろうか、と提案してくれた。
わたしもほかのみんなもそれには大賛成だった。というのも新団体ではタイ・ビルマ国境のカレン難民支援を大きな目的に掲げたいというのが総意で、シンシアさんにゆかりのあるその団体名はまことにうってつけなのだった。
さっそく、メンバーがシンシアさんに問い合わせると、現在この団体は活動してはいないが、日本のカレン人がその名前を使うには特に問題はないとのことであった。
そんなわけで、われわれはOKO-Japanという名称を採用したわけであるが、名前にふさわしい活動をしようということで、早速お金を集めて、メータオ・クリニックの支援活動を始めたのである。
結成当初のOKO-Japanのメンバー(約15名)のうち、ビザを持っている人は1人だけで、タイに行けるのはわたしとその人だけだった。それで、わたしはタイを訪問した際にOKO-Japanの代表としてメータオ・クリニックに赴き、シンシアさんと今後の支援活動についていろいろ話をしたのであった。ビルマ国内のカレン人地域に小さな学校を建てたり、医療チームを支援したりするような内容であった。
メンバーの1人に、タイ、メーソットのメータオ・クリニックの著名な医師のシンシア・マウンさんを知っている人がいた。その人がいうには、シンシアさんはビルマからタイ・ビルマ国境に逃げてきたとき、海外カレン機構(Overseas Karen Organization)という団体を仲間と一緒に作り、一時そこで活動していた、なので、新しいカレン人の団体もこの名前を使ったらどうだろうか、と提案してくれた。
わたしもほかのみんなもそれには大賛成だった。というのも新団体ではタイ・ビルマ国境のカレン難民支援を大きな目的に掲げたいというのが総意で、シンシアさんにゆかりのあるその団体名はまことにうってつけなのだった。
さっそく、メンバーがシンシアさんに問い合わせると、現在この団体は活動してはいないが、日本のカレン人がその名前を使うには特に問題はないとのことであった。
そんなわけで、われわれはOKO-Japanという名称を採用したわけであるが、名前にふさわしい活動をしようということで、早速お金を集めて、メータオ・クリニックの支援活動を始めたのである。
結成当初のOKO-Japanのメンバー(約15名)のうち、ビザを持っている人は1人だけで、タイに行けるのはわたしとその人だけだった。それで、わたしはタイを訪問した際にOKO-Japanの代表としてメータオ・クリニックに赴き、シンシアさんと今後の支援活動についていろいろ話をしたのであった。ビルマ国内のカレン人地域に小さな学校を建てたり、医療チームを支援したりするような内容であった。