2012/12/08

シンシア・マウンさん(2)

ところが結成して2年ほど経った頃、OKO-Japan内部でいろいろと人間関係上の問題が起こり、われわれが会の目的としていた支援プロジェクトもそのあおりを食って停止状態になってしまった。

しばらく後に会は有能な役員・会員を得て再興するのだが、シンシアさんにささやかではあるにせよ確約していた支援活動は続けることはできなくなり、直接その交渉に当たったわたしはシンシアさんに会わせる顔がなくなってしまった。

もっとも、いろいろな人と頻繁に会っているシンシアさんのことなので、数度会ったきりのわたしのことなどまず覚えていないだろうが、それにしたって決まりが悪い。

先月末、シンシアさんが日本の支援団体の招きにより来日し、講演をしたりさまざまな取材を受けたりした。わたしは時間がなく何一つ行けなかったのだが、11月25日、シンシアさんが帰る前の日に、在日カレン人との交流会をするからおいでよと、OKO-Japanの事務局長に誘われた。

会場はある在日カレン人が働いている大井町の居酒屋で、わたしは何としても行きたいと思ったが、ちょうどその日の晩は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の月例会があり、会長であるわたしはさぼるわけにはいかない。途中で抜け出せそうな流れにもならず、結局行くことはできなかった。

わたしは事務局長に電話して「やっぱ行けないっす。シンシアさんによろしくっす」というと「あい、ちょっと待ってね」と電話をシンシアさんに回してくれた。 まいったな、と思いながら「日本に来てくださってありがとうございます」みたいな適当なことを言ってお茶を濁した。いきなり得体の知れぬ日本人と電話で話すことになったシンシアさんの当惑を思うと気が気ではならぬ。もっとも、人間関係においてあまりかしこまらないのが、カレン人流のつき合い方で、電話を回してくれた人が特に無作法をしたというわけではないのだ。

さて、在日カレン人同士の交流会についていえば、こいつは大盛況のうちに終わったそうだ。