2012/05/04

涙の理由

このエピソードは、1年ばかし前にあるビルマ難民が難民認定された時のものだけれども、本来ならばわたしではなく、当事者が書くべきものだ。

というのも、その人には、書くべきことを書くだけの十分な日本語能力が備わっているから。何をわたしがでしゃばることがあろうか。

とはいえ、あまり自分のことを得意気に吹聴しないのが、ビルマの人々。あるいはそのまま書かれずじまいなんてこともありうる。わたしが自分がふさわしからぬのを承知でその人の代わりに書くのは、ひとえにこれを恐れてのことだ。

もっとも話は単純だ。

入管に呼び出され、担当の職員から難民として認定されたと告げられた時、彼はどうにも泣かずにはいられなかったのだ。

うれし涙。確かにそうだ。自分が難民であることを訴える真面目な努力が実を結んだのだ。

だがそれだけではない。

難民認定に至るまでの苦労が思い出されて泣けた。確かにそうだ。これは入管に収容されたものにしかわからない。

だがそれだけではない。

予想だにしなかった。確かにそうだ。難民認定されるなんて、本人すら思いもよらなかった(わたしだってそうだった)。彼は政治団体を率いるリーダーでもなければ、誰もが知るような派手な活動家でもなかった。彼はただただ誠意をもって難民審査に立ち向かい、みごと勝利してみせたのだ。その感動が彼を泣かせた。

だがそれだけではない。

彼は、これらの喜び、感動を感じながらも、それと同じだけ悲しかったのだ。

「ああ、難民と認定された以上もう俺はビルマに帰ることはできない。もう家に戻ることはできないのだ。難民認定とともに故郷から切り離され、異国で一人で生きていかなくてはならないこの俺は今日からまったくの別の人間になってしまうのだ……」

彼は人目をはばからず泣いた。

しまいには入管の職員も心配して慰めようとする始末。