2016/01/29

地獄の施設(Une Maison en Enfer)

『シーズンズ 2万年の地球旅行』を見にいった。これはフランスの映画で、原題は”Les Saisons”だ。

狼やら熊やらバイソンやらを撮影したドキュメンタリーで、その映像には驚かされたが、それはともかくある場面で「昔は人間は自然とともに暮らしていた」というようなナレーションが入った。

それは現在のような人工的生活環境との対比での言葉だが、人間も自然の一部なのだから、人工的といえども人間が作ったものであるかぎり、自然であるのは言うまでもない。蟻塚や蜂の巣が自然の一部であるのと同じだ。

映画は野生の動物を扱ったものであるが、野生というのが家畜化されていないことや、動物園の檻の中で飼育されていないということを意味するのであるならば、われわれもやはり野生である。

ということは人間のあらゆる文化は野生であり、わたしがやむなく関わりを持っている入管の収容もやはり野生の事柄である。

だが、そこに収容されている人々はどうだろうか?

檻の中に閉じ込められているこれらの人々は、野生ではなく、ゆえに自然でもない。非自然的存在だ。となると被収容者はわれわれ野放しの野良動物とは異なることとなる。

おそらく入管に収容されている人々の目には、外にいるわれわれが野蛮に映っていることだろう。

そんなことを考えていたら昔のフランスの作家バルベー・ドールヴィイの言葉を思い出した。

「思うに、地獄は、地下室の窓から覗き見たときのほうが、地獄全体を上空から一望したときより、はるかに恐ろしいすがたをあらわすことでしょう。」
「ホイスト勝負の札の裏側」より(中条省平訳)

タイトルは駄洒落。