先に書いたカレン民族歌は意外なところで日本と関係がある。
この前のカレン民族殉難者の日の式典でも話したことだが、何年か前にビルマ・タイ国境のカレン民族同盟支配地域に行った時、ひとりの老人と出会った。
その人は父親を日本軍によって殺されたのだという。
といっても、殺害された場所を実際に見たわけではない。
ある朝、自分の父親が川に出かけ、そのすぐ後に日本軍の戦闘機がやってきて攻撃をしたこと、そしてそれ以降、彼の父の姿を見たものは誰もいないということだけが分かっているということだった。
この老人はまた、その父がカレン民族歌の作曲者であることも教えてくれた。そんなわけで、わたしはこのカレン民族歌を聞くたびに、このエピソードを思い出すのだ。
この前のカレン民族殉難者の日の式典でも話したことだが、何年か前にビルマ・タイ国境のカレン民族同盟支配地域に行った時、ひとりの老人と出会った。
その人は父親を日本軍によって殺されたのだという。
といっても、殺害された場所を実際に見たわけではない。
ある朝、自分の父親が川に出かけ、そのすぐ後に日本軍の戦闘機がやってきて攻撃をしたこと、そしてそれ以降、彼の父の姿を見たものは誰もいないということだけが分かっているということだった。
この老人はまた、その父がカレン民族歌の作曲者であることも教えてくれた。そんなわけで、わたしはこのカレン民族歌を聞くたびに、このエピソードを思い出すのだ。