2012/09/04

残酷

日本では、死というものが非常に丁寧に管理されていて、普通の人々は死体というものを見ることはまずない。

これは死を穢れと見る日本の生死観が関係しているのかもしれないが、それよりも大きいのは日本が長らく平和を保ってきたからであろう。平和な社会では、ありがたいことに、平和でない社会よりも死が身近ではないものだ。

平和というのは一面では秩序であり、暴力の管理であるが、この秩序なり管理というものがきらいな人がいる。そういう人がネットで頑張って「グロ画像」をあげている。とんでもないいたずら小僧だ。

しかし、平和でない国では「人が凄惨に殺された写真」や「血まみれの死体写真」は別の意味を持つ。それはたちの悪い冗談ではなく、正義を訴えるための道具となる。「わたしたちの場所ではこんな悲惨なことが起きています。どうか、みなさん、助けてください!」というわけだ。

そんなわけで、たまにわたしのFacebookのフィードにひどい写真が紛れ込んでくるわけだ。勘弁してほしい。

あるビルマの人の家に行ったときの話。わたしが彼のコンピューターを見ていると、彼が言った。

「そういえば、わたしたちの故郷でひどい事件があったのです。よそ者が村にやってきて一家全員を殺したのです。お父さんとお母さんと4歳になる娘が。ちょっと待ってください。いま写真を見せますから……ほら、これがお父さんです」

おお……首ちょん切られてる。切断面がくっきりと。

「これが犯人たち」と男たちの写真。

「4歳の女の子が殺された写真もあるんです。かわいそうですよ。ちょっと待ってください」

わたしはもういつでも目を閉じられるように薄目だ!

「あれ、ここかな」と彼、いろいろファイルを開ける。「ないな……」 いいよ、もう探さなくて!

結局見つからなかった。よかった! しかし、見つかったとしてもメールで送らなくていいから!