フェイスブックを見ていたら、「本当のクリスマス」と題された投稿を見かけた。おそらくキリスト教関係のメッセージをそのまま掲載したものらしい。長いものなので要点だけを引用する。
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クリスマスは、英語で「Christmas」とつづり、「Christ」はキリストのことです。でも、宣伝や広告では、それが消されてXにされています。「Xマス・セール!」「Xマス・バーゲン!」というふうに。クリスマスはキリストの誕生を祝う時なのに、「Christ」が取られて、「Xマス」となってしまっているのは、悲しいことですね。
でも、上の祈り(「イエス様云々」という祈りがこの前に記してある−引用者)を心から祈ったなら、イエスは、あなたのむなしい「Xマス」を、本当の喜びにあふれる「クリスマス」(Christmas)に変えてくださることでしょう。そして、この地上での人生が終わっても、天国で永遠に生きられるようにしてくださるのです。
****要するに、キリスト教徒だけが本家本元の本当のクリスマスの祝い方を知っているというわけで、わたしはこういうしょうもない選民思想に触れると「ふざけるな」と十字架とかを叩き壊したくなる。
そもそもクリスマスはイエスの誕生を祝うものではない。これはキリスト教以前の古い祝祭に由来するもので、これをキリスト教が後から利用しているにすぎない。だから、キリスト教徒がいかにエラそうなことを宣おうと、後から来たという点では、「むなしい」クリスマスにうつつを抜かす我々異教徒たちと大差ないのだ。
ところで、昨日25日、品川の入管に収容されている人がわたしに電話をかけてきた。彼は仮放免申請がどうなったのかと尋ねた。もしかしたら年内に出られるかもしれない、という希望に駆り立てられていたのだ。だが、わたしはその見込みを打ち砕かざるをえなかった。入管からはいかなる連絡もなかったからだ。
しかし、彼の声は明るかった。一時はウツ状態でどうなることかと思っていたほどだったが、その声がわたしをまた明るくした。
「昨日、みんなでクリスマス・パーティーをしたんですよ。お金を500円ずつ出し合って、お菓子を用意して」
入管収容所の中でクリスマス・パーチーだと? 初耳だ。
「こんなとこでは、なにか息抜きがないとダメですから」
「ビルマ人だけで? それとも中国人とか他の国の人も?」
「そうですよ。みんなで!」
わたしには何が本当のクリスマスかはわからない。
だが、入管のクリスマスを祝う多くの「異教徒」たちの望み、つまり、「収容所の外で安全に生きたい」という切実な思いに触れると、正しいクリスマスが成就してくれるはずの「天国で永遠に生きたい」という欲望ほど救いのないものはないように思える。