この間の日曜日はチン民族のお祭りが品川で開催された。わたしも招待されていたが,海外カレン機構(日本)の会議が駒込であり,残念なことに参加することができなかった。
だが,ひどい雨のせいでその会議の出席者も少なかった。わたしたちは1時間半ほど活動について話し合い,解散した。
さみしい者たちが陸続と。しかしそもそもそれ以外にわれわれが居酒屋に行く理由などあるものだろうか?
だが,ひどい雨のせいでその会議の出席者も少なかった。わたしたちは1時間半ほど活動について話し合い,解散した。
そのうちの5人で近くの居酒屋に入った。ビールとハイボールをそれぞれが4杯ほど空けた頃,1人のところに電話がかかってきた。
「居酒屋にいるから来い来い」と言っている。近くに住むカレン人のWさんからだった。会議の後には彼の家に行って,みんなで酒を飲むことも多かった。今夜も彼はそれを期待していたのだが,誰も来ない。それで電話をかけてきたというわけだ。
「さみしくなったんだ」とわたしたちは笑った。
50を越した独り者とあれば仕方がない。やがてWさんがやってきた。さあ,ビールだ,乾杯!
わたしはさらにハイボールを2杯ばかり。するとまた着信。もうひとり別のカレン人が来るという。彼はみんなと飲もうとWさんの家に行ったが誰もいない,で電話をかけてきたのだ。
「さみしくなったんだ」とわたしたちは笑った。
彼は1年ほど前に離婚したばかりなのでもうこりゃ仕方がない。
世の中のあらゆる酒場は,さみしさにはいくら感謝してもし足りないはずだ。