2〜3年ほど前に車所有と輸入の規制が緩和されたせいで、ヤンゴンには車が溢れ、朝夕は凄まじい渋滞だ。
ヤンゴンには山手線みたいな環状線が走っているが、わたしはこの鉄道の利用を勧める人に出会ったことがない。乗り鉄以外は飛びつかぬ代物なのであろう。
そんなわけで、ヤンゴンでは遠距離を移動としようとすると、車以外の交通手段がない。オートバイはヤンゴン市内では禁止されているそうだ。
今回の旅では、ヤンゴンの周辺に訪問先があったので、毎日のようにこの渋滞の巻き添えを食った。
人々の運転はわりと静かで、クラクションをやたらと鳴らすことはしない。ゆっくりと渋滞から抜けるのを待っている。チュニジアでは少しでも車が止まるとこれでもかというばかりに鳴らしていた。鳴らすのが癖になっているのだ。
これをビルマ社会とチュニジア社会の文化の違いに帰することも容易だが、わたしは必ずしもそうとは思わない。
ある社会は、都市化のある段階で、クラクションをいくら激しく鳴らしても渋滞が解消するわけではないということを学ぶに違いない。
ちょうど、人がエレベーターのボタンをむやみに連打することを止め、ボタンに対して優しくなったとき、大人への階段を一歩上るのと同じなのである。
ヤンゴンには山手線みたいな環状線が走っているが、わたしはこの鉄道の利用を勧める人に出会ったことがない。乗り鉄以外は飛びつかぬ代物なのであろう。
そんなわけで、ヤンゴンでは遠距離を移動としようとすると、車以外の交通手段がない。オートバイはヤンゴン市内では禁止されているそうだ。
今回の旅では、ヤンゴンの周辺に訪問先があったので、毎日のようにこの渋滞の巻き添えを食った。
人々の運転はわりと静かで、クラクションをやたらと鳴らすことはしない。ゆっくりと渋滞から抜けるのを待っている。チュニジアでは少しでも車が止まるとこれでもかというばかりに鳴らしていた。鳴らすのが癖になっているのだ。
これをビルマ社会とチュニジア社会の文化の違いに帰することも容易だが、わたしは必ずしもそうとは思わない。
ある社会は、都市化のある段階で、クラクションをいくら激しく鳴らしても渋滞が解消するわけではないということを学ぶに違いない。
ちょうど、人がエレベーターのボタンをむやみに連打することを止め、ボタンに対して優しくなったとき、大人への階段を一歩上るのと同じなのである。
→BRSAビルマ国内支援プロジェクト訪問報告(BRSAサイト内)