2011/10/23

新しいチュニジア(チュニジアレポート1)

突然だが、これからしばらくチュニジアからのレポートを。

わたしはいちおうチュニジアのアラビア語を勉強している身でもあるので、それが主目的でもあるのだが、なんといっても今年の一月のジャスミン革命だ。

ビルマ民主化だけでなくこっちの民主化も興味があるというわけで。

ちょうど10月23日にチュニジアで革命後初めての選挙があるのでひとつ見物してやろうと。物見高いね。いつか身を滅ぼす。

それはさておき、19日に到着して、さっそくチュニスの街を歩いてみた。革命の後、どんな風に変わったか見てみたくて。

全然違う。

もちろん、町並みが変わったわけでもない。また、騒乱の傷跡が今なおはっきりと残っているわけでもない。いや、そういや少しは変わってる。街中至るところにあった独裁者ベンアリの肖像が一枚たりともなくなったとか、モノプリ(スーパーマーケットの名前)の入り口に鉄格子がはまっているとか(デモのときの略奪を防ぐため)。

でも、そんなのはたいした変化じゃない。四捨五入すれば消えてなくなる。

だが、人間の変化だけは消してなくしてしまうことはできない。そう、人がまったく違うのだ。

みんな表情が生き生きしてる。華やいでる。政治が変わっただけで、こんなに変わるものかと驚いた。

わたしにとってはチュニジア人は決して幸福そうじゃなかった。目眩がするほど深い文化と途方もないユーモア感覚に恵まれながらも、どこか悲しげだった。いやそれどころかいつもイライラしてる感じだった。慢性の糞詰まりで今にも病気になりそうだった。

ところが、今じゃみんなすっきりさっぱりした顔つき。足取りも軽やか。なんだか知らんが謳歌してる。長年の重しがとれた。いい風吹いてる感じ。野良猫まで太ってる。

もちろん、失業率は相変わらず。貧しい人は貧しいまま。問題は山積みだ。「だが、それがなんだ、なにしろ新しいチュニジア(Tuunis Jdiida)だ、文句あるか!」てな勢い、本当に自由は人を変える。

 ハンバーガー屋で談笑する若者たち。

街角風景

2011/10/18

さて、iPhoneに関してもう一つエピソードを。

在日ビルマ難民の一人(男性)がiPhoneが欲しいというので一緒にヨドバシカメラに行った。

iPhone4S発売の前日のことで、売り場ではiPhone4が半値以下で売られていた。つまりこれがわれわれの狙いだったわけ。

16GBは19800円。32GBは29800円。余計なサービスも買わなければならないがそれでも安い。

在庫を聞いて見ると、32GBはホワイトとブラックが揃っているが、16GBにはホワイトしかないとのこと。

ここはもちろん彼には16GBしかない、というのが、iPhoneの先輩たるわたしの考えだった。iPhoneどころかパソコンももっていない彼に32GBなどメモリの持ち腐れ。

「16GBでいいんじゃない」
 
しかし彼はどうも乗り気ではない様子だ。わたしはさらに言う。
 
「16GBで十分ですよ!」 これじゃブレードランナーのうどん屋だ。
 
結局32GBのブラックを選んだ彼は、わたしにこっそり打ち明けた。
 
「白なんて、女の子が使うもんでしょ」
 
わけのわからんこだわりっ。

ちなみにいえば、わたしは白の64GBである。

iPhone

以前、在日ビルマ難民の友人が、都内にあるビルマ料理の店で飲んでいたら、いつの間にかiPhone
のSIMチップが盗まれていたという出来事があった。

その友人も首を傾げる事件で、申し訳ないがわたしは思わず笑ってしまった。

それはさておき、このiPhone、在日ビルマ人の中でもけっこう使っている人がいる。

とはいえ、iPhoneはビルマ文字には対応していない。以前は、このiPhoneの制限を無効にして、つまりいわゆる「ジェイルブレイク」というやつを行ってビルマ文字入力ができるようにしている人がいたが、今はそんなことができるかどうかわからない。

それに今は少なくとももうそんな必要もないらしい。App Storeで無料アプリiMyanmarやMMkbLITEをインストールすれば、ビルマ文字でメールのやり取りをしたり、ビルマ語のサイトをちゃんと見ることができるそうだ。

もちろん、iPhoneでビルマ語が公式にサポートされるに越したことはないが、それこそこれは、ビルマ国内の平和と民主主義の進展に大いに関係ある。

でも、いいよな。ヤンゴンにアップルストアができたら

もっとも、いまのところはこれはアップルのお気に召すアイディアではないらしい。それに、ビルマ当局にとってもアップルは大変剣呑な企業だ。

なぜかというと、アップルのロゴをじっくり見てほしい。シャン州かカレン州が分離独立したようにみえるでしょ。

こりゃビルマ連邦を破滅させようとする輩にちがいない、というわけ(すいません冗談です・・・・・・)。

2011/10/06

イスラム世界

ビルマとは関係ありませんが、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の発行する「アジア・アフリカ言語文化研究 (Journal of Asian and African studies) no.82」(2011年9月30日発行)に論文「アラビア語チュニス方言における名詞∫ay《もの》の用法の階層性」が掲載されました。以下のリンクからダウンロードすることができます。

http://hdl.handle.net/10108/65511

ちなみに、この82号には2本の論文と3本の資料が掲載されています。もうひとつの論文は中世エジプト史に関するものです。資料はパレスチナ抵抗運動に関するもの、中央アジア史に関するもの、エジプトのことわざを扱ったものです。つまり、どれもがイスラム世界に関係しているわけです。

たまたまそうなっただけなのかもしれませんが、イスラム世界といってもチュニジアのことばのほんの限られた部分しか知らない自分にとっては、他分野の研究をまとめて読むことができて有益でした。

鈴木啓之さんの「ハマース憲章全訳 パレスチナ抵抗運動の一側面へのアプローチ」は、イスラーム抵抗運動(ハマース)が1988年8月18日に発表した憲章を紹介・翻訳したもので、やはり同年同月の8日に一つのピークを迎えたビルマの民主化運動や難民問題に興味を持っている人にとっては面白いかもしれません。

2011/10/05

凧とビデオ

2004年のこと、当時牛久の収容所に3年近くも収容されていたカレン人がいた(この頃は2年以上の収容は珍しくなかった)。彼をMさんと呼ぼう。

その頃は毎月のように牛久に面会に行っていたので、Mさんにもよく面会したものだが、彼はビルマに残してきた中学生の息子さんのことをいつも気にかけていた。その母、つまりMさんの奥さんは病気ですで亡く、その子は親戚の家に預けられていた。

その年の10月、わたしはたまたまヤンゴンに行く用事があったので、彼の親戚の家もついでに訪ねた。女性たちがわたしを出迎え、涙を流しながらMさんの息子を連れて来てくれた。

少年は父の使者だという日本人を見てもとくに心動かされた様子はなく、すぐに外に遊びにいってしまった。ついていってみると、庭の石段に座って他の子どもと凧の糸を糸巻きにくるくる巻き付けていた。わたしは彼の姿を写真とビデオに収めた。

帰国すると早速、写真を現像して、牛久に持っていった。問題はビデオだ。入管の収容所内ではビデオやDVDを見ることができない。しかし、せっかく撮影したのだから、わたしは是非Mさんに見て欲しかった。

そこで一計を案じた。面会所には携帯電話やカメラの持ち込みは禁じられている。しかし、パソコンはダメとは言っていないのである。

わたしは面会室にパソコンを持ち込み、そこで撮ってきた映像を再生し、Mさんに見てもらった。

入管職員が面会室をのぞき込んだ。わたしは緊張したが、職員はただ眼を丸くしただけで行ってしまった。

わたしはこのときのMさんの反応を覚えていない。おそらく入管の職員のほうばかり気にしていたせいだろう。ただ覚えているのは、ビデオを見た後、Mさんがわたし「指見た? わたしの息子、手に小さい6本目の指があるんだ」といい、わたしが「気がつかなかった」と答えたことだけだ。

今年の10月3日に牛久に面会に行ったら、面会の前に「携帯、カメラ、パソコンは持ち込み禁止」と言われた。わたしの他にも同じようなことをした面会者が何人もいたのにちがいない。わたしの使った手はもう使えない。

さて、それからしばらくして、Mさんは釈放された。わたしはこの時見せたビデオをDVDに焼いて渡した。2006年の10月、Mさんはお酒の飲み過ぎで亡くなった。孤児となった彼の息子は葬儀のために来日し、今も日本にいる。

 Mさんの息子が暮らしていた家
(2004年10月ヤンゴン)

2011/10/04

忘れた頃に

ビルマ難民の友人の仮放免申請のために、茨城牛久の東日本入国管理センターに行った。

時間の都合で、面会したのは彼ひとりだが、その人が言うには一週間前、被収容者に防災ジャケットとヘルメットが配られたとのこと。

収容房には地震の際に隠れて身を守るものが何もないからだそうだ。これらは普段は自分の棚に置いておく。

しかし、震災からもう7ヶ月も経とうとしているのに、遅すぎではないのか?

あるいは、早すぎるのか。

小銭への憎悪

日本在住歴20年になるカレン人難民の女性にお昼をおごってもらった。

支払いを済ませたその人が「あー、日本人になっちゃったよ!」というので何かと思って聞いてみたら、「財布に小銭を入れていくのがイヤになった」とのこと。

つまり、彼女が言っているのは、支払額が例えば748円の時に、1048円出してお釣りを300円にして10円玉や1円玉を減らそうとするその策略のこと。もちろん、803円だしてせめて1円玉を追い払おうという悪あがきも含まれる。

彼女によれば、こんなことをするのは世界でも日本人だけだとのこと。わたしはそんなことはないだろうとは思うが、時には仕事でレジ打ちもする彼女は「少なくとも中国の人はしない」と主張した。

1円玉を憎むこと甚だしく、小銭入れに4枚ある時点で不愉快、5枚で激昂、9枚以上で半狂乱となるわたしにしてみれば、機会あるごとに財布から小銭を追放しようというのはまったく当然のことのように思えるが、こうした心的態度も決して普遍的なものではなく、小銭なんかいくらあろうともへいちゃらというほうが普通という文化もあるのだ。

こういう話になると、 「それは日本人は計算が得意だからだ、教育が行き届いているからだ」という人がいるが、これは「自民族中心主義」的な古くさい見方だ。

おそらくもっと複雑な文化的な仕組みが働いているはずで、それにはお金を支払うことや何をもってサービスとするか(つまり売り手と買い手の関係性)に関する態度も含まれるに違いない。

ことによったら、ある文化における小銭に対する態度が、その文化がいかに少数派を受け入れるかという社会の寛容度と結びついている可能性だってあるかもしれないのだ(例:「金をはらう」と「追いはらう」と「はらい清める」)。