2020/04/18
2016/04/27
子不語
自分では気がつかないでいたがわたしの書くものは読む人にきつい印象を与えるそうで、そこである方が「ですます調」にして柔らかくしたほうがいいと助言をしてくださった。ソフトな語り口で、みんなが楽しめる親しみやすいブログを目指してがんばりたいと思います。
#########
入管に収容されている人のためにしばしば仮放免許可申請をするのですが、たいていは不許可通知が送られてきて残念な思いをします。またわたしの所属している在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の会員には再度の難民認定申請を行っている人も多くいます。つまり1度は、いや2度3度と不認定となったというわけで、これらの人の苦境を思うとまた残念至極です。
ところでなのですが、わたしの友人で妻子持ちの男が、ある女性とひそかに旅に出かけることにしました。
これが今はやりの不倫かどうか、本人たちの見方はわかりませんが、周囲はそう見るでしょうし、わたしもそう思っています。
その彼がいうには、家の者にはわたしといっしょに旅行に行くと告げてあるのだということです。きっとわたしが始終ヒマにしているからうってつけだと考えたのでしょう。
「すきにするがいいが、俺のところに奥さんから直接電話がかかってきたら、ウソはつけないよ」と言ったのですが、それでもいいのだそうです。
彼はわたしと同い年で、同じ大学の出身です。同じ学部、同じクラスで学んだのですが、ずいぶんと暮らしぶりが違いますね。
彼は不倫旅行で楽しいこといっぱいですが、わたしはといえば仮放免不許可に難民不認定と悲しいことばかりです。
同じ「不」なのになんと違うことでしょうか。わたしはこれまで不許可とか不認定とか不可とか不採用通知とかの狭い世界に生きてきたので、この世にこんな楽しげな「不」があるなど思いも寄らぬことでした。
そこでわたしは考えました。どうして自分はそっちの方の「不」と縁がないのだろうか、と。これはまったくの推測ですが、わたしの周囲には不認定と不許可などの「不」がひしめき合っていて、かの楽しそうな「不」が遠慮して近寄ることができないのではないでしょうか?
「不」が「不」を邪魔しているのです。となると、なんとかそっちの方の残念な「不」を追い払いたいところですが、これは入管の難民政策、いやそれどころか日本の移民政策が大変換を遂げなければとても無理なことなのであります。
では、たとえば、不許可とか不認定とかの悲しい「不」を楽しいほうの「不」に変えることはできないのでしょうか?
考えてみましたが、思い浮かびませんでした。
ですが、わたしは同時に気がつきました。ほんの気分だけにしてもなのですが、悲しい「不」を楽しい「不」に近づけようとしてきたのが、わたしを含むBRSAの会員たちがしてきたことではないかということです。
入管での収容を続行させる仮放免不許可についてはわたしたちはどうすることもできません。ですが、面会や仮放免の申請をすることによって、被収容者は希望を持ったり、人間としての尊厳を維持したりすることはできます。
あるいは、たしかにBRSAは「不認定」の難民の集まりですが、この集まり自体を通じて、自分の力を発揮したり、人生に意義付けしたり、生活を豊かにしたり、ビルマをよくするために働き掛けたりすること、つまり、なんらかの希望を生み出すことができるのです。
不倫の具体的・実用的な楽しみに比べて、希望などというとなんとも霞や屁のようで恐縮ですが、議員でもタレントでも乙武クンでもないわたしたちにはこれしかないのですから、この道をひたすら進むべきなのです。人間に希望を与える活動を続けることで、悲しい「不」を希望の「不」に変える「不」断の努力を続けるほかないのです。
そうすれば、楽しいほうの「不」がいつか……それもやはり希望と言うほかありますまい。
その希望が訪れるまでの間は、わたしたちは人間のための着実な働きを続けるべきでしょう。そして、ときおり休んでは静かに本でも読もうではありませんか。
『死の棘』とか……。
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入管に収容されている人のためにしばしば仮放免許可申請をするのですが、たいていは不許可通知が送られてきて残念な思いをします。またわたしの所属している在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の会員には再度の難民認定申請を行っている人も多くいます。つまり1度は、いや2度3度と不認定となったというわけで、これらの人の苦境を思うとまた残念至極です。
ところでなのですが、わたしの友人で妻子持ちの男が、ある女性とひそかに旅に出かけることにしました。
これが今はやりの不倫かどうか、本人たちの見方はわかりませんが、周囲はそう見るでしょうし、わたしもそう思っています。
その彼がいうには、家の者にはわたしといっしょに旅行に行くと告げてあるのだということです。きっとわたしが始終ヒマにしているからうってつけだと考えたのでしょう。
「すきにするがいいが、俺のところに奥さんから直接電話がかかってきたら、ウソはつけないよ」と言ったのですが、それでもいいのだそうです。
彼はわたしと同い年で、同じ大学の出身です。同じ学部、同じクラスで学んだのですが、ずいぶんと暮らしぶりが違いますね。
彼は不倫旅行で楽しいこといっぱいですが、わたしはといえば仮放免不許可に難民不認定と悲しいことばかりです。
同じ「不」なのになんと違うことでしょうか。わたしはこれまで不許可とか不認定とか不可とか不採用通知とかの狭い世界に生きてきたので、この世にこんな楽しげな「不」があるなど思いも寄らぬことでした。
そこでわたしは考えました。どうして自分はそっちの方の「不」と縁がないのだろうか、と。これはまったくの推測ですが、わたしの周囲には不認定と不許可などの「不」がひしめき合っていて、かの楽しそうな「不」が遠慮して近寄ることができないのではないでしょうか?
「不」が「不」を邪魔しているのです。となると、なんとかそっちの方の残念な「不」を追い払いたいところですが、これは入管の難民政策、いやそれどころか日本の移民政策が大変換を遂げなければとても無理なことなのであります。
では、たとえば、不許可とか不認定とかの悲しい「不」を楽しいほうの「不」に変えることはできないのでしょうか?
考えてみましたが、思い浮かびませんでした。
ですが、わたしは同時に気がつきました。ほんの気分だけにしてもなのですが、悲しい「不」を楽しい「不」に近づけようとしてきたのが、わたしを含むBRSAの会員たちがしてきたことではないかということです。
入管での収容を続行させる仮放免不許可についてはわたしたちはどうすることもできません。ですが、面会や仮放免の申請をすることによって、被収容者は希望を持ったり、人間としての尊厳を維持したりすることはできます。
あるいは、たしかにBRSAは「不認定」の難民の集まりですが、この集まり自体を通じて、自分の力を発揮したり、人生に意義付けしたり、生活を豊かにしたり、ビルマをよくするために働き掛けたりすること、つまり、なんらかの希望を生み出すことができるのです。
不倫の具体的・実用的な楽しみに比べて、希望などというとなんとも霞や屁のようで恐縮ですが、議員でもタレントでも乙武クンでもないわたしたちにはこれしかないのですから、この道をひたすら進むべきなのです。人間に希望を与える活動を続けることで、悲しい「不」を希望の「不」に変える「不」断の努力を続けるほかないのです。
そうすれば、楽しいほうの「不」がいつか……それもやはり希望と言うほかありますまい。
その希望が訪れるまでの間は、わたしたちは人間のための着実な働きを続けるべきでしょう。そして、ときおり休んでは静かに本でも読もうではありませんか。
『死の棘』とか……。
2016/03/04
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(24)
5. CNFの戦略
前節で述べたようにNCAに対する否定的見解は次の3点にまとめることができよう。
①NCAは文字通りの「全土」ではない。
②ビルマ政府およびNCAを信頼することはできない。
③NCAの署名に参加した人々を民族の代表とみなすには疑いがある。
今回の停戦合意に署名したCNFは、少なくともこの3つの点に関して外部に説明責任を負っていると考えられる。この節では、まずCNF自身の考えを取り上げ、その後、CNFが合意に加わった動機について分析を行いたい。
まず①についてだが、NCA署名当時の議長(というのも2016年1月末のCNF総会で副議長となったからだが)であるタンさんは、NCAは終着点ではなく、全土停戦にいたるプロセスのひとつに過ぎない、と語る。すなわち、NCA以後も、今回合意に参加しなかった他の非ビルマ民族組織とともに交渉を続け、本当の全土停戦合意を実現させるということである。
このような立場は同時に、今回のNCAそのものを反故にさせず、今後の交渉を有利に進めるためのひとつの戦略ともとらえられよう。というのも、非ビルマ民族側の分裂はビルマ政府の政治的優位に結びつくからである。
前節で述べたようにNCAに対する否定的見解は次の3点にまとめることができよう。
①NCAは文字通りの「全土」ではない。
②ビルマ政府およびNCAを信頼することはできない。
③NCAの署名に参加した人々を民族の代表とみなすには疑いがある。
今回の停戦合意に署名したCNFは、少なくともこの3つの点に関して外部に説明責任を負っていると考えられる。この節では、まずCNF自身の考えを取り上げ、その後、CNFが合意に加わった動機について分析を行いたい。
まず①についてだが、NCA署名当時の議長(というのも2016年1月末のCNF総会で副議長となったからだが)であるタンさんは、NCAは終着点ではなく、全土停戦にいたるプロセスのひとつに過ぎない、と語る。すなわち、NCA以後も、今回合意に参加しなかった他の非ビルマ民族組織とともに交渉を続け、本当の全土停戦合意を実現させるということである。
このような立場は同時に、今回のNCAそのものを反故にさせず、今後の交渉を有利に進めるためのひとつの戦略ともとらえられよう。というのも、非ビルマ民族側の分裂はビルマ政府の政治的優位に結びつくからである。
2016/03/03
ミスフィッツ
仮放免手続は、品川の入管の場合まず6階の仮放免部門に行き、身分証を提示する。その確認とコピーが済むと、その後4階の会計の窓口で、保証金納付の手続を行う。保証金をどこに納めるかというと、田町の三菱東京UFJ銀行内にある日本銀行の代理店だ。なのでそこに行って保証金、たいてい30万円を納める。そして再び帰ってきて、会計課で領収書を貰い、さらにまた6階に戻り手続が済んだことを報告する。すると、1時間後に再び来るようにいわれる。その間に「出所」の準備が進行するのだ。
1時間というが、もう少し早く出てくる。「生まれた」ばかりの仮放免者と申請人(わたし)は、別室に呼ばれ、職員から仮放免の説明を受け、同意書などに署名する。これで手続は終わり、あくまでも「仮」なので晴れてとは言えないが一応「自由の身」だ。
2月の初めにわたしは朝一でこの手続を始めた。早ければ11時過ぎには出てくるだろうと思っていたが、途中で別の被収容者に面会したりなどしていたので遅くなってしまい、入管の職員に戻ってくるように指定された時刻は12時30分であった。
しかし、わたしは午後に用事がありその時間までいたら間に合わない。
わたしは職員に「先に帰ってもいいですか」と尋ねた。以前、仮放免者が出てくる前に帰ってもいいといわれたことが何度かあったからだ。入管の人が「お忙しいでしょうからどうぞ」だなんて気の利いたことを言ってくれたりさえした。
わたしはそれを当てにしていたのだが、ダメだという返事だ。
しかもまるで「昔からそうでしたが」とでも言わんばかりの顔つきだ。腹が立ったがわたしももちろん昔のことなど蒸し返さない。とにかくやり方が変わったのだ。これが入管の掟だ。
だが、わたしは粘った。しまいには「では明日来るのでもう『1泊』ぐらいお願いします」とホテル感覚で頼んでみたが、もうほかの部門が動き始めているので無理だという。
この「方針転換」はもともとの規則の徹底化によるもののようだった。これは当然のことであり、わたしとしてもしょうがないと思うが、じゃあなんで以前はいいかげんだったのか。その責任は誰かとったのか。とまた腹が立ったが、結局、ありがたいことに、その職員はわたしが先に出るのを許してくれた。
しかし、もちろんただでではない。その人はわたしに警告することを忘れなかった。
「こう言ったことが続くと今後、あなたが身元保証人となった仮放免は認められなくなりますよ」
そういわれると「やっぱ待とうかな」という気になったが、考えて見れば、そもそも滅多に認められやしないのだから、たいした違いはあるまいし、また、認められなくなったらなったで、仮放免の身元保証人という面倒な役割を堂々と拒否する理由にもなるのだからそれはそれで結構なことだ。
いっそのこと、入管のあちこちに、「この者身元保証人不適格」と記したわたしの名前と顔写真を入管中に張ってほしいぐらいだ。念のため収容所内にも……というわけでお聞きください、史上最高のバンドの最高の1曲、The KinksでMisfits。
1時間というが、もう少し早く出てくる。「生まれた」ばかりの仮放免者と申請人(わたし)は、別室に呼ばれ、職員から仮放免の説明を受け、同意書などに署名する。これで手続は終わり、あくまでも「仮」なので晴れてとは言えないが一応「自由の身」だ。
2月の初めにわたしは朝一でこの手続を始めた。早ければ11時過ぎには出てくるだろうと思っていたが、途中で別の被収容者に面会したりなどしていたので遅くなってしまい、入管の職員に戻ってくるように指定された時刻は12時30分であった。
しかし、わたしは午後に用事がありその時間までいたら間に合わない。
わたしは職員に「先に帰ってもいいですか」と尋ねた。以前、仮放免者が出てくる前に帰ってもいいといわれたことが何度かあったからだ。入管の人が「お忙しいでしょうからどうぞ」だなんて気の利いたことを言ってくれたりさえした。
わたしはそれを当てにしていたのだが、ダメだという返事だ。
しかもまるで「昔からそうでしたが」とでも言わんばかりの顔つきだ。腹が立ったがわたしももちろん昔のことなど蒸し返さない。とにかくやり方が変わったのだ。これが入管の掟だ。
だが、わたしは粘った。しまいには「では明日来るのでもう『1泊』ぐらいお願いします」とホテル感覚で頼んでみたが、もうほかの部門が動き始めているので無理だという。
この「方針転換」はもともとの規則の徹底化によるもののようだった。これは当然のことであり、わたしとしてもしょうがないと思うが、じゃあなんで以前はいいかげんだったのか。その責任は誰かとったのか。とまた腹が立ったが、結局、ありがたいことに、その職員はわたしが先に出るのを許してくれた。
しかし、もちろんただでではない。その人はわたしに警告することを忘れなかった。
「こう言ったことが続くと今後、あなたが身元保証人となった仮放免は認められなくなりますよ」
そういわれると「やっぱ待とうかな」という気になったが、考えて見れば、そもそも滅多に認められやしないのだから、たいした違いはあるまいし、また、認められなくなったらなったで、仮放免の身元保証人という面倒な役割を堂々と拒否する理由にもなるのだからそれはそれで結構なことだ。
いっそのこと、入管のあちこちに、「この者身元保証人不適格」と記したわたしの名前と顔写真を入管中に張ってほしいぐらいだ。念のため収容所内にも……というわけでお聞きください、史上最高のバンドの最高の1曲、The KinksでMisfits。
So take a good look around
The misfits are everywhere...
2016/03/02
カイゼン
仮放免手続では保証金の納付手続のさいに、品川の入管では4階の会計の窓口で、いくつかの書類にハンコを押さなくてはならない。
わたしはこの窓口に何度も行ったことがあるが、応対に出てくれる職員は女性のことが多いが、たまに男性の時もある。
わたしはそこで数度応対してくれたある男性職員について話したいと思う。その人は40手前ぐらいで、まじめそうな感じ、人あしらいも丁寧だった。
窓口はいつもは閉まっていて縁に置いてある呼び鈴を鳴らすとガラス戸を開けてくれる。そこのカウンターで書類に必要事項を記入したり押印したりするわけだ。
その男性の指示のままにわたしは書類に名前と住所を記す。次はハンコを押す番だ。以前同じような手続をした時、朱肉を出してくれなかったことがあり、腹立たしく思ったが、その人はそんなことはしない。朱肉と小型のゴムマットを出してくれた。
わたしは朱肉にハンコを押しつける。
「ここに押してください」と彼はその個所を示す。
だが、わたしは一瞬待った。というのも、ゴムマットが脇に置かれたままだったから。しかし、彼は微動だにしない。わたしは緑色のマットを横目にハンコを押して手続を済ませた。
わたしは彼に指摘したり文句を言ったりはしなかった。およそ悪意でそんなことをする人には見えなかったから。おそらくうっかりしたのだろう。そして、うっかりすることは誰にでもあることだ。
だが、その後、3回ほど彼の前で手続をしたが、相変わらず、緑のゴムマットは紙の横に放置されたままだったのである。
彼にとってこのゴムマットとはいったいどんな存在なのだろうか? 朱肉の座布団という認識なのだろうか。ほかの職員は何も教えてあげないのだろうか?
いや、そもそも彼自身にはハンコを押した経験がないのだろうか?
それとも、ドライジンを飲みながらベルモットを眺めるという例の超ドライなマティーニの逸話的な、あるいは博多ラーメンの「湯気通し」的ななにかが関与しているのだろうか?
わたしには今もって分からない。ただ、逆に楽しみになってきた。いつまで彼がそうし続けるのかと。
だが、その楽しみはすぐに奪われた。4度目だかの手続の時に彼がマットを敷いたのだ、そう、紙の下にあてがったのだ!
誰かが指摘したのだろうか? それともある日彼にヒラメキが訪れたのだろうか? いずれにせよ、入管の対応の改善を目の当たりにした出来事であった。
わたしはこの窓口に何度も行ったことがあるが、応対に出てくれる職員は女性のことが多いが、たまに男性の時もある。
わたしはそこで数度応対してくれたある男性職員について話したいと思う。その人は40手前ぐらいで、まじめそうな感じ、人あしらいも丁寧だった。
窓口はいつもは閉まっていて縁に置いてある呼び鈴を鳴らすとガラス戸を開けてくれる。そこのカウンターで書類に必要事項を記入したり押印したりするわけだ。
その男性の指示のままにわたしは書類に名前と住所を記す。次はハンコを押す番だ。以前同じような手続をした時、朱肉を出してくれなかったことがあり、腹立たしく思ったが、その人はそんなことはしない。朱肉と小型のゴムマットを出してくれた。
わたしは朱肉にハンコを押しつける。
「ここに押してください」と彼はその個所を示す。
だが、わたしは一瞬待った。というのも、ゴムマットが脇に置かれたままだったから。しかし、彼は微動だにしない。わたしは緑色のマットを横目にハンコを押して手続を済ませた。
わたしは彼に指摘したり文句を言ったりはしなかった。およそ悪意でそんなことをする人には見えなかったから。おそらくうっかりしたのだろう。そして、うっかりすることは誰にでもあることだ。
だが、その後、3回ほど彼の前で手続をしたが、相変わらず、緑のゴムマットは紙の横に放置されたままだったのである。
彼にとってこのゴムマットとはいったいどんな存在なのだろうか? 朱肉の座布団という認識なのだろうか。ほかの職員は何も教えてあげないのだろうか?
いや、そもそも彼自身にはハンコを押した経験がないのだろうか?
それとも、ドライジンを飲みながらベルモットを眺めるという例の超ドライなマティーニの逸話的な、あるいは博多ラーメンの「湯気通し」的ななにかが関与しているのだろうか?
わたしには今もって分からない。ただ、逆に楽しみになってきた。いつまで彼がそうし続けるのかと。
だが、その楽しみはすぐに奪われた。4度目だかの手続の時に彼がマットを敷いたのだ、そう、紙の下にあてがったのだ!
誰かが指摘したのだろうか? それともある日彼にヒラメキが訪れたのだろうか? いずれにせよ、入管の対応の改善を目の当たりにした出来事であった。
仮放免還付の委任状
2016/03/01
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(23)
これらの人々は、和平交渉においてKNUとカレン人を繋ぐ役割を果たしてきた人々であるが、その中にはわたしが10年以上前から知るカレン人宗教者(牧師)も数名いた。
そして、これらの人々の普段の活動にも同行したことのあるわたしは、この牧師や神父たちが、合意を利用して利を貪ろうとしている悪人とも合意のために利用されている操り人形とも思えなかった(そのようにインターネットで主張するカレン人も多いのであるが)。
むしろ、これらの人々は、それぞれの現場で自分の民族のために地道に働いてきた人々である。つまり、戦争と迫害が自分たちの民族をどのように破壊してきたかもっとも知る人々なのである。
実際のところ、KNUに働きかけ、和平に向けたその決断を促したのは、これらの人々ではないだろうか。
もっとも、その点に関しては判断するだけの材料はまだない。また、具体的にどのような努力がこの停戦に結実したのかについても。同行したカレン人神父によると、和平への動きはすでに90年代からあったというが、詳しくは残念ながら聞く時間がなかったのである。次回の訪問でじっくり聞いてきたい。
いずれにせよ、KNUの停戦合意への参加は、国内のカレン人が抱いている平和への切望に応じたものであるというのがわたしの見方であるが、そのいっぽう、多くのカレン人、特に国外のカレン人が反対しているのも事実である。
それゆえ、これら停戦合意に納得していない人々の理解をどのように得ていくか、つまりカレン民族内の合意と相互理解の形成が、今後の重要な課題となるのではないかと思われる。
そして、これらの人々の普段の活動にも同行したことのあるわたしは、この牧師や神父たちが、合意を利用して利を貪ろうとしている悪人とも合意のために利用されている操り人形とも思えなかった(そのようにインターネットで主張するカレン人も多いのであるが)。
むしろ、これらの人々は、それぞれの現場で自分の民族のために地道に働いてきた人々である。つまり、戦争と迫害が自分たちの民族をどのように破壊してきたかもっとも知る人々なのである。
実際のところ、KNUに働きかけ、和平に向けたその決断を促したのは、これらの人々ではないだろうか。
もっとも、その点に関しては判断するだけの材料はまだない。また、具体的にどのような努力がこの停戦に結実したのかについても。同行したカレン人神父によると、和平への動きはすでに90年代からあったというが、詳しくは残念ながら聞く時間がなかったのである。次回の訪問でじっくり聞いてきたい。
いずれにせよ、KNUの停戦合意への参加は、国内のカレン人が抱いている平和への切望に応じたものであるというのがわたしの見方であるが、そのいっぽう、多くのカレン人、特に国外のカレン人が反対しているのも事実である。
それゆえ、これら停戦合意に納得していない人々の理解をどのように得ていくか、つまりカレン民族内の合意と相互理解の形成が、今後の重要な課題となるのではないかと思われる。
2016/02/29
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(22)
そして、そのような自己認識こそ、カレン人とそのほかの諸民族が国際社会への粘り強い働きかけを通じて長い時間をかけてビルマ政府に植え付けてきたものなのであり、これは非ビルマ民族政治運動のひとつの成果といえる。
ゆえに、今回の停戦合意を軽率であるとか、民族を損なうものであるとか、あるいはこれまでの政治運動を裏切るものと単純に見ることはできない。それは同時に、非ビルマ民族の政治運動(これを連邦主義運動と読んでもいいだろうが)の流れに正当に位置づけることもできるのである。
また、今回のKNUの合意に関して、これが普通のカレン人の意志にまったく反したものと見ることも難しい。というのも、KNUの決定は、国内のカレン人社会、特に宗教関係者、市民団体の後押しと協力を背景に為されたものでもあるから。つまりKNUの独断とは言いきれないのである。
わたしがヤンゴンからネーピードーに移動するさいに乗ったバスには、チンの市民代表団ばかりではなく、カレン人の代表団も同乗した。
ゆえに、今回の停戦合意を軽率であるとか、民族を損なうものであるとか、あるいはこれまでの政治運動を裏切るものと単純に見ることはできない。それは同時に、非ビルマ民族の政治運動(これを連邦主義運動と読んでもいいだろうが)の流れに正当に位置づけることもできるのである。
また、今回のKNUの合意に関して、これが普通のカレン人の意志にまったく反したものと見ることも難しい。というのも、KNUの決定は、国内のカレン人社会、特に宗教関係者、市民団体の後押しと協力を背景に為されたものでもあるから。つまりKNUの独断とは言いきれないのである。
わたしがヤンゴンからネーピードーに移動するさいに乗ったバスには、チンの市民代表団ばかりではなく、カレン人の代表団も同乗した。
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(21)
もっともその勇気は、カレン民族が経験してきた絶望、危機、荒廃、死、悲しみによってもたらされたものだ。
軍事政権下の60年はカレン人の持つ可能性を徹底的に衰退させた。戦争により生活は破壊され、その先にある難民キャンプは、避難所どころか民族の分散と人材の流出の始点でしかなかった。
国内に目を転じてみると、そこにはイギリス植民地時代の自信と教養に溢れたカレン人などもはや滅多に見出すことはできない。そのかわり、熱狂する者、恐怖にとりつかれた者、酒と宗教に溺れた者ならいくらでもいる。これらの人々から現実を直視する力と理性の力を失わせたのは、まさしく軍事政権の無残な迫害であり、この迫害を何とかして止めさせなくてはならない限り、カレン人に将来はないのだ。
そのためにはひとつの道しかない。それはいかなる手段を用いても平和を確立し、カレン人の命を救うことだ。
幸いにも、かつての敵であった軍事政権はテインセイン政権にその座を譲った。この新しい政権は確かに古い政権に似ていて、まるで親子のように瓜二つでもあるが、現在の国際状況ではかつてのように傍若無人にふるまうことはもはや不可能であることを認識している点で大きく違う。
軍事政権下の60年はカレン人の持つ可能性を徹底的に衰退させた。戦争により生活は破壊され、その先にある難民キャンプは、避難所どころか民族の分散と人材の流出の始点でしかなかった。
国内に目を転じてみると、そこにはイギリス植民地時代の自信と教養に溢れたカレン人などもはや滅多に見出すことはできない。そのかわり、熱狂する者、恐怖にとりつかれた者、酒と宗教に溺れた者ならいくらでもいる。これらの人々から現実を直視する力と理性の力を失わせたのは、まさしく軍事政権の無残な迫害であり、この迫害を何とかして止めさせなくてはならない限り、カレン人に将来はないのだ。
そのためにはひとつの道しかない。それはいかなる手段を用いても平和を確立し、カレン人の命を救うことだ。
幸いにも、かつての敵であった軍事政権はテインセイン政権にその座を譲った。この新しい政権は確かに古い政権に似ていて、まるで親子のように瓜二つでもあるが、現在の国際状況ではかつてのように傍若無人にふるまうことはもはや不可能であることを認識している点で大きく違う。
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(20)
ただし、だからといって、KNUの停戦合意の署名が、まったくの愚行、あるいは多くの人々が考えているようにカレン民族に対する裏切りだというのは分析不足だと、わたしは考えている。
まず、KNUが和平派と強硬派に分かれているという事実を分裂の兆候と捉える見方もあるが、これは逆にカレン人の力を見くびった見方でもある。というのも、この「分裂」は別の見方をすればKNUの多様性の表れであり、そのような多様性を許すほどKNUという組織が変容しつつあるとも言えるわけだ。
これは弱体化であろうか、それとも成熟であろうか。わたしはその両方が当てはまると思う。というのも、弱体化こそ成熟のチャンスであり、その成熟こそが弱体化を乗り越えるであるから。その点から言うと、弱体化に脅えるあまり、強大化を追求する未熟な日本人よりもカレン人のほうがはるかに賢いとも言えるかもしれない。
いずれにせよ、社会はそれが直面する危機によって成長するのではない。それを直視する勇気が成長をもたらすのだ。わたしはカレン人社会はその勇気を十分に持っているのではないかと考えている。
まず、KNUが和平派と強硬派に分かれているという事実を分裂の兆候と捉える見方もあるが、これは逆にカレン人の力を見くびった見方でもある。というのも、この「分裂」は別の見方をすればKNUの多様性の表れであり、そのような多様性を許すほどKNUという組織が変容しつつあるとも言えるわけだ。
これは弱体化であろうか、それとも成熟であろうか。わたしはその両方が当てはまると思う。というのも、弱体化こそ成熟のチャンスであり、その成熟こそが弱体化を乗り越えるであるから。その点から言うと、弱体化に脅えるあまり、強大化を追求する未熟な日本人よりもカレン人のほうがはるかに賢いとも言えるかもしれない。
いずれにせよ、社会はそれが直面する危機によって成長するのではない。それを直視する勇気が成長をもたらすのだ。わたしはカレン人社会はその勇気を十分に持っているのではないかと考えている。
行政訴訟
昨年刊行された『難民勝訴判決20選』(信山社)は、ビルマ難民の弁護でも知られる渡邉彰悟弁護士が編集代表のひとりとして関わられた本で、日本の難民関係の裁判のいわばベスト盤だ。
この本には、法務省の難民不認定という行政処分を、司法判断で取り消させた(つまり難民と認めさせた)行政訴訟が20事例含まれており、そのうち多くがビルマ難民のケースとなっている。
ビルマ問題や難民問題に関心のある方はぜひ読んでほしいと思う。
ところでこの間のことだが、品川の入国管理局から電話がかかってきた。留守電に用件が入っていて、掛け直せという。
翌日の午前中に掛け直すとアナウンスが流れる。混んでいて繋がりませんというのだ。これはいつものことだ。ひどい時には1日掛けても繋がらないこともあった。
以前のことだというが、ある難民関係の団体が入管と公的な場で話しあう機会があったのだそうだ。そこで、入管の電話があまりにも繋がらないと非難したら、当時のトップが怒り出した。ということは、痛いところを突かれたということだろうが、その結果、多少は繋がりやすくなったという。だが、そうでもない時もある。
「……そのままお待ちになるか、しばらくしてからお掛けください」
わたしはお待ちになることにして電話のスピーカーをオンにする。どれくらい待つのだろうか。アナウンスのテープが2周目に入った。わたしは机の上においてあった飴の包みを剥き、舐めはじめた。とすぐにアナウンス中断、女性の声。
「はい、東京入国管理局です」
わたしはあわてて飴を口から出し、ティッシュの上に乗せる。
用件は無事終わり、電話を切る。そして、わたしは飴をもう一度口に入れようとした。だが、そこにはティッシュまみれになった無残な飴の姿が……。
電話が繋がらない、そんな入管の対応のまずさ、無責任さがこんな悲劇を引き起こしたのだ。
入管を訴えることができるだろうか? 飴を返せ裁判を起こすことが? 飴の遺影を抱きながら?
司法判断を大いに期待したい。
この本には、法務省の難民不認定という行政処分を、司法判断で取り消させた(つまり難民と認めさせた)行政訴訟が20事例含まれており、そのうち多くがビルマ難民のケースとなっている。
ビルマ問題や難民問題に関心のある方はぜひ読んでほしいと思う。
ところでこの間のことだが、品川の入国管理局から電話がかかってきた。留守電に用件が入っていて、掛け直せという。
翌日の午前中に掛け直すとアナウンスが流れる。混んでいて繋がりませんというのだ。これはいつものことだ。ひどい時には1日掛けても繋がらないこともあった。
以前のことだというが、ある難民関係の団体が入管と公的な場で話しあう機会があったのだそうだ。そこで、入管の電話があまりにも繋がらないと非難したら、当時のトップが怒り出した。ということは、痛いところを突かれたということだろうが、その結果、多少は繋がりやすくなったという。だが、そうでもない時もある。
「……そのままお待ちになるか、しばらくしてからお掛けください」
わたしはお待ちになることにして電話のスピーカーをオンにする。どれくらい待つのだろうか。アナウンスのテープが2周目に入った。わたしは机の上においてあった飴の包みを剥き、舐めはじめた。とすぐにアナウンス中断、女性の声。
「はい、東京入国管理局です」
わたしはあわてて飴を口から出し、ティッシュの上に乗せる。
用件は無事終わり、電話を切る。そして、わたしは飴をもう一度口に入れようとした。だが、そこにはティッシュまみれになった無残な飴の姿が……。
電話が繋がらない、そんな入管の対応のまずさ、無責任さがこんな悲劇を引き起こしたのだ。
入管を訴えることができるだろうか? 飴を返せ裁判を起こすことが? 飴の遺影を抱きながら?
司法判断を大いに期待したい。
入管からの電話
入管の仮放免申請は、被収容者本人が申請人となることもできるが、他の人、例えば身元保証人が申請人となることもできる。
本人がする場合は問題ないのだが、そうでない場合は、委任状を提出しなくてはならない。その委任状は仮放免申請書の最後に綴じられていて、必要に応じて被収容者は委任状に署名する。
仮放免申請書には他にも被収容者が署名する個所があって(ただし収容所によって違う)、わたしが申請人を務める場合は面会をしてあらかじめ署名を貰っておく。
昨年の秋、収容されてもうすぐ1年になろうとするわたしの友人が品川の入管から牛久の東日本入国管理センターに移送された。品川で出した仮放免申請がダメになったのだ。とても悔しかったのですぐに申請することにした。しかし牛久なので行く時間がない。
さいわい牛久の申請書が手元にあったので、わたしは身元保証人として必要事項を記し、必要な書類を同封して収容所に送付した。友人は無事に書類を受け取り、自ら申請人となって申請したのであった。
それから1ヶ月ほどして、入管から電話がかかってきた。先日牛久で行った申請の件で聞きたいことがあるという。
「ただいま審査を行っているのですが、この申請の申請人はどなたでしょうか」
つまり、申請人としては被収容者であるわたしの友人の署名があるのに、わたしに申請を委任するという旨を記した委任状にも友人の署名があるのだという。なので、申請人がその友人とわたしのどっちなのかというお尋ねなのであった。わたしが慌てたか、彼がうっかりしたかで余計な書類まで提出してしまったのだ。
わたしは彼が申請人であることを説明し、「よろしくお願いいたします」と言って電話を切った。
だが、これはいったいどういうことだろう。入管にとって仮放免申請は釈放のための条件であるが、どんなに切実な申請だろうと、自分が出す気にならないと出してくれない。だからわたしは、入管は釈放が内々に決まってからはじめて申請書を取り出すのではないかと考えていた。
だから、その内容について聞いてきたということは、それこそ脈があるということではないか。
わたしは大いに期待して待った。
1ヶ月後、不許可の通知が来た。
本人がする場合は問題ないのだが、そうでない場合は、委任状を提出しなくてはならない。その委任状は仮放免申請書の最後に綴じられていて、必要に応じて被収容者は委任状に署名する。
仮放免申請書には他にも被収容者が署名する個所があって(ただし収容所によって違う)、わたしが申請人を務める場合は面会をしてあらかじめ署名を貰っておく。
昨年の秋、収容されてもうすぐ1年になろうとするわたしの友人が品川の入管から牛久の東日本入国管理センターに移送された。品川で出した仮放免申請がダメになったのだ。とても悔しかったのですぐに申請することにした。しかし牛久なので行く時間がない。
さいわい牛久の申請書が手元にあったので、わたしは身元保証人として必要事項を記し、必要な書類を同封して収容所に送付した。友人は無事に書類を受け取り、自ら申請人となって申請したのであった。
それから1ヶ月ほどして、入管から電話がかかってきた。先日牛久で行った申請の件で聞きたいことがあるという。
「ただいま審査を行っているのですが、この申請の申請人はどなたでしょうか」
つまり、申請人としては被収容者であるわたしの友人の署名があるのに、わたしに申請を委任するという旨を記した委任状にも友人の署名があるのだという。なので、申請人がその友人とわたしのどっちなのかというお尋ねなのであった。わたしが慌てたか、彼がうっかりしたかで余計な書類まで提出してしまったのだ。
わたしは彼が申請人であることを説明し、「よろしくお願いいたします」と言って電話を切った。
だが、これはいったいどういうことだろう。入管にとって仮放免申請は釈放のための条件であるが、どんなに切実な申請だろうと、自分が出す気にならないと出してくれない。だからわたしは、入管は釈放が内々に決まってからはじめて申請書を取り出すのではないかと考えていた。
だから、その内容について聞いてきたということは、それこそ脈があるということではないか。
わたしは大いに期待して待った。
1ヶ月後、不許可の通知が来た。
2016/02/24
BRSA活動日記
以下は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のHPに掲載してもらったもの。
2016年2月14日 月例会議
2月の月例会議は、14日夜、いつもの南大塚地域文化創造館の会議室で行われました。難民認定申請中のビルマ難民の収容が相次いでいるので、その問題に関して意見交換が行われたほか、難民の就労についても議論されました。4月2日3日に都内にて開催される水掛け祭の出店に関しても話し合いが持たれました。今年は3日日曜日にBRSAとして出店し、豆のフライやタピオカのジュースなどを販売するとのことです。詳しい情報が入り次第、お祭りについてはお知らせいたします。
2016年2月15日 医療支援
BRSAの会員の眼科の診察に事務局長のキンターワイさんと熊切が同行しました。場所は茨城県牛久。収容所と関係ないのはよいですが遠い。ちなみにこの会員は難民認定申請中、仮放免中なので全額自己負担です。クリニックではキンターワイさんが視野検査や診察に付添い、しっかりと通訳をしてくれました。しかし、それではわたしが行った意味がなくなってしまうので、視野検査経験者として「光ったらボタン!」とアドバイスをしました。
2016年2月14日 月例会議
2月の月例会議は、14日夜、いつもの南大塚地域文化創造館の会議室で行われました。難民認定申請中のビルマ難民の収容が相次いでいるので、その問題に関して意見交換が行われたほか、難民の就労についても議論されました。4月2日3日に都内にて開催される水掛け祭の出店に関しても話し合いが持たれました。今年は3日日曜日にBRSAとして出店し、豆のフライやタピオカのジュースなどを販売するとのことです。詳しい情報が入り次第、お祭りについてはお知らせいたします。
2016年2月15日 医療支援
BRSAの会員の眼科の診察に事務局長のキンターワイさんと熊切が同行しました。場所は茨城県牛久。収容所と関係ないのはよいですが遠い。ちなみにこの会員は難民認定申請中、仮放免中なので全額自己負担です。クリニックではキンターワイさんが視野検査や診察に付添い、しっかりと通訳をしてくれました。しかし、それではわたしが行った意味がなくなってしまうので、視野検査経験者として「光ったらボタン!」とアドバイスをしました。
2016/02/19
Black Keysでビルマ文字表示
iPhoneでFacebookやViberを使うとよくビルマ語のメッセージが送られてくる。ただし、文字化けして四角に「?」の入った記号に入れ替わっている。
どうしたらきちんと表示できるのか。少し前は「脱獄」しなくてはできなかったというが、ビルマ人の友人が最新のiPhoneでビルマ語を表示しているのを見て、そうでないことを知った。
Black Keysというアプリを入れると表示できるのだそうだ。わたしはいわゆる情弱で、こんなことはもうみんな知っていることかもしれないが、一応書いておく。
このアプリを購入したら、まず開いて「Welcome to Black Keys」という画面の「Install missing fonts」を開く。すると、いくつかのフォントが並んでいるが、そのうちビルマ語に関係しているのは「Myanmar Zawgyil」と「Myanmar Unicode」の2つだ。これをタッチしていけば、フォントをインストールすることができる。
さて次にBlack Keysを閉じて「設定」を開く。「一般」に進み、「キーボード」を開く。するとその一番上にまた「キーボード」があり、これを開くと現在使えるキーボードが並んでいる。ここで「新しいキーボードを追加」に進み、さらに他社製キーボードの「Black Keys」で「Burmese-Zawgyi」か「Burmese-Unicode」を選択すれば、ビルマ文字の表示と入力が可能になる。
ただしわたしには「Burmese-Zawgyi」と「Burmese-Unicode」の違いもわからないし、そもそもビルマ語を使うのには他にもっと良い方法があるかもしれない。
それはともかくこのBlack Keysは、ビルマ語だけではなくアムハラ語とかシリア語とかのいろんな言語の文字、さらには国際音声字母(IPA)も記すことができるので便利だ。
どうしたらきちんと表示できるのか。少し前は「脱獄」しなくてはできなかったというが、ビルマ人の友人が最新のiPhoneでビルマ語を表示しているのを見て、そうでないことを知った。
Black Keysというアプリを入れると表示できるのだそうだ。わたしはいわゆる情弱で、こんなことはもうみんな知っていることかもしれないが、一応書いておく。
このアプリを購入したら、まず開いて「Welcome to Black Keys」という画面の「Install missing fonts」を開く。すると、いくつかのフォントが並んでいるが、そのうちビルマ語に関係しているのは「Myanmar Zawgyil」と「Myanmar Unicode」の2つだ。これをタッチしていけば、フォントをインストールすることができる。
さて次にBlack Keysを閉じて「設定」を開く。「一般」に進み、「キーボード」を開く。するとその一番上にまた「キーボード」があり、これを開くと現在使えるキーボードが並んでいる。ここで「新しいキーボードを追加」に進み、さらに他社製キーボードの「Black Keys」で「Burmese-Zawgyi」か「Burmese-Unicode」を選択すれば、ビルマ文字の表示と入力が可能になる。
ただしわたしには「Burmese-Zawgyi」と「Burmese-Unicode」の違いもわからないし、そもそもビルマ語を使うのには他にもっと良い方法があるかもしれない。
それはともかくこのBlack Keysは、ビルマ語だけではなくアムハラ語とかシリア語とかのいろんな言語の文字、さらには国際音声字母(IPA)も記すことができるので便利だ。
(熊切拓 Mac&iPhone使いのIT系ライター。ネットに浮遊するライフハッキングな旬ネタをコレクトして各メディアに提供中!というのはデタラメだがネット関係の記事の末尾っぽくしてみた)
2016/02/16
元キリンジ
わたしは彼にはそうとう世話になったので、彼の難民性に関して自分がこれまで集めた資料を報告書にまとめ、裁判のために使ってもらった。
そしたらその弁護士から電話がかかってきて裁判所が「こんなどこの馬の骨が書いたものから分からない資料など信用できるかッ」と怒り狂っているから反論してほしいと頼まれた。
確かにその報告書には書き手であるわたしのことについては何も書いていなかった。弁護士のところで裁判所の審査結果を見せてもらうと「個人が書いたたわごとなど信頼できない」と不認定処分だ。
そこで弁護士と陳述書を作ったが、わたしの経歴を記したところでどこの馬の骨であることには代わりはないし、わたしは個人としてしかなにも書かないので、信頼できないことには代わりはない。そんなわけで無駄なことだと思った。
だが、しばらく考えているうちに、立派で地位のある学識経験者や、国連のようなこれを信頼せずしてどこを信頼せよというのかというくらいの組織の出した文書すら、裁判所や政府や入管は自分に都合が悪ければまったく相手にしないのだから、誰が何を出そうと関係ないのだということに気がついた。
国家にとってはしょせん外の人間などみな馬の骨なのだ。ということで聞いていただきましょう、「馬の骨」のファースト・アルバムから「Red light, Blue light, Yellow light」。
遠く
手の鳴るほうへ
あの闇夜の向こうへ
心の声がドアをこじ開ける
ブルースのように
在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の新しいHP
在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)はわたしが今のところもっとも関係している団体だが、その日本語ブログをわたしは設立当時から運営していた。
しかし、これはあくまでもブログであるし、またわたしも熱心に更新していたわけではなかった。
ではなぜわたしがやらねばならなかったのか。
それは会に日本語が十分に読み書きでき、最低限のインターネットの知識を持った人間がほかにいなかったからだ。
ところが、最近(といっても2年ぐらい前から)、BRSAの会員の努力の結果、日本人の会員も徐々にであるが増えてきた。
その中に、国際政治学を研究している峯田史郎さんがおり、彼がBRSAのホームページを作ることを提案してくださり、現在は忙しい中その担当をしてくださっている。
ビルマの政治運動に焦点を当てた日本のNGOは、今はビルマ人の団体を除けばおそらくBRSAだけだと思うので、そのあたりの情報も充実させていきたい。機会があったらぜひごらんください。いや、いますぐに。
しかし、これはあくまでもブログであるし、またわたしも熱心に更新していたわけではなかった。
ではなぜわたしがやらねばならなかったのか。
それは会に日本語が十分に読み書きでき、最低限のインターネットの知識を持った人間がほかにいなかったからだ。
ところが、最近(といっても2年ぐらい前から)、BRSAの会員の努力の結果、日本人の会員も徐々にであるが増えてきた。
その中に、国際政治学を研究している峯田史郎さんがおり、彼がBRSAのホームページを作ることを提案してくださり、現在は忙しい中その担当をしてくださっている。
ビルマの政治運動に焦点を当てた日本のNGOは、今はビルマ人の団体を除けばおそらくBRSAだけだと思うので、そのあたりの情報も充実させていきたい。機会があったらぜひごらんください。いや、いますぐに。
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(19)
このような批判的な見解を持つカレン人は決して少数派ではない。
2008年に暗殺されたKNUの指導者マンシャの2人の娘でイギリス在住のゾヤパンさんとブエブエパンさんは、カレン人社会の中で非常に大きな影響力を持つが、2人はかねてからKNUの停戦交渉に関して批判的な発言を行ってきた。
また、NCAを受けて国外のカレン人政治団体は、これに反対を表明する共同声明も出している。その中には日本のカレン人団体も含まれている。
日本国内のカレン人を見ても、現行のKNU執行部に対して批判的あるいは不信を表明する人も多い。日本にはKNUの日本代表と支部が存在するが、その代表を務めるミョーカインシンさんすら、ムートゥーセーポーさんが議長となったKNU総会の時から、現行の執行部に対する懸念をたびたび公にしてきた。
さらに、NCAに対するカウンター・ムーブメントとして国外のカレン人諸団体を糾合する動きもあるようだ。2ヶ月ほど前には、ビルマ国外(確かオーストラリア)在住のカレン人活動家が日本や韓国を訪問し、カレン人の現状についての説明や意見交換を行ったということだが、これもその一環だろう(ただし、わたしは行けなかったが)。
2008年に暗殺されたKNUの指導者マンシャの2人の娘でイギリス在住のゾヤパンさんとブエブエパンさんは、カレン人社会の中で非常に大きな影響力を持つが、2人はかねてからKNUの停戦交渉に関して批判的な発言を行ってきた。
また、NCAを受けて国外のカレン人政治団体は、これに反対を表明する共同声明も出している。その中には日本のカレン人団体も含まれている。
日本国内のカレン人を見ても、現行のKNU執行部に対して批判的あるいは不信を表明する人も多い。日本にはKNUの日本代表と支部が存在するが、その代表を務めるミョーカインシンさんすら、ムートゥーセーポーさんが議長となったKNU総会の時から、現行の執行部に対する懸念をたびたび公にしてきた。
さらに、NCAに対するカウンター・ムーブメントとして国外のカレン人諸団体を糾合する動きもあるようだ。2ヶ月ほど前には、ビルマ国外(確かオーストラリア)在住のカレン人活動家が日本や韓国を訪問し、カレン人の現状についての説明や意見交換を行ったということだが、これもその一環だろう(ただし、わたしは行けなかったが)。
2016/02/14
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(18)
こうした批判は、とくにカレン人において顕著に見られる。
カレン民族同盟(KNU)の議長を含む最高委員会は4年ごとに改選される。現議長はカレン軍出身のムートゥーセーポーさんであるが、KNU内の和平派である彼は対立する強硬派、特に次期議長との声望が高かったデヴィッド・ターカーボーさんに勝利して、主導権を握った。それは国外に暮らす多くの強硬派支援者の失望を引き起こしたが、同時に聞こえてきたのは、ムートゥーセーポーさん一派が選挙において不正を行ったという噂であった。
このためNCAに反対する多くのカレン人は、現在のKNUの指導者たちがその地位を不正に手にしたと考えている。
もっとも、すべての指導者がそうみなされているわけではない。副議長のノウ・セポラセインさんはかねてから強硬派として知られ、たいていの国外のカレン人は彼女には信頼を表明している。そして、その彼女がNCA式典に出席しなかったこともまた重要な事実として受け取られている。つまり無言の抗議というわけで、これをもって、KNU内部の不一致を協調する報道もある。
このように代表としての合法性に疑念が呈されてきたが、そのいっぽう、代表としての資質にも懸念の声がたびたび表明されてきた。ムートゥーセーポーさん一派は、カレン人のために働くという責務を忘れ、ビルマ軍人と組んで経済的利益を得るのに汲々としており、NCAもそのための口実に過ぎないというのである。この疑念は、メディアを通じて報道されるKNU幹部とビルマ政府要人との癒着的関係によっても強められている。
カレン民族同盟(KNU)の議長を含む最高委員会は4年ごとに改選される。現議長はカレン軍出身のムートゥーセーポーさんであるが、KNU内の和平派である彼は対立する強硬派、特に次期議長との声望が高かったデヴィッド・ターカーボーさんに勝利して、主導権を握った。それは国外に暮らす多くの強硬派支援者の失望を引き起こしたが、同時に聞こえてきたのは、ムートゥーセーポーさん一派が選挙において不正を行ったという噂であった。
このためNCAに反対する多くのカレン人は、現在のKNUの指導者たちがその地位を不正に手にしたと考えている。
もっとも、すべての指導者がそうみなされているわけではない。副議長のノウ・セポラセインさんはかねてから強硬派として知られ、たいていの国外のカレン人は彼女には信頼を表明している。そして、その彼女がNCA式典に出席しなかったこともまた重要な事実として受け取られている。つまり無言の抗議というわけで、これをもって、KNU内部の不一致を協調する報道もある。
このように代表としての合法性に疑念が呈されてきたが、そのいっぽう、代表としての資質にも懸念の声がたびたび表明されてきた。ムートゥーセーポーさん一派は、カレン人のために働くという責務を忘れ、ビルマ軍人と組んで経済的利益を得るのに汲々としており、NCAもそのための口実に過ぎないというのである。この疑念は、メディアを通じて報道されるKNU幹部とビルマ政府要人との癒着的関係によっても強められている。
2016/02/13
友情
仮放免申請書は、入管に収容されている人を外に出すための申請書で、専用の用紙にいろいろ記入しなくてはならない。その項目の中に、被収容者と身元保証人(もしくは申請人)との関係を記すものがある。
関係を記せというのは、例えば被収容者の配偶者であったり、親族であったりする場合のことをもともとは意図していると思われるが、実際にはそうした関係のない人も身元保証人や申請人を務めることも多いし、わたしもそのひとりだ。
では、親族ではない人はいったいそこになんと書いているのか。わたしは他の人の申請を見たことがないのでわからない。「支援者」と書く人もいるかもしれない。
わたしの場合をいえば「友人」と書く。実際そうだからだが、これには不都合もある。
すなわち、今まで一度も会ったことのない人の仮放免申請をする場合がそれだ。具体的にいうと、その被収容者が収容されてから在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)に入会した場合で、わたしがその人を収容以前から知っているとは限らないし、また時間の関係で面会の前に申請せざるをえないこともある。
会の活動として、つまり役員会の合意を経て仮放免申請するわけだから、別に会っていなくても構わないとは思う。しかし、そうした人との関係を「友人」と書くのは適当なことだろうか。
しかし「BRSAの会長と会員」などと書くのもおかしい。その人が仮放免された後もわたしが会長だとは限らないからだ。だが、友人であり続けることはできるだろう。
それにそもそも、わたしのような人間と友達になってくれるのは、収容されている人以外にはあまりいない。そう考えると、収容されている人は誰であろうとみなわたしの友人のような気がしてくる。
だから、わたしは「友人」と書く。
誰がなんと言おうとだ。
そう、わたしもまた「友達で押し通す予定!」なのだ。
関係を記せというのは、例えば被収容者の配偶者であったり、親族であったりする場合のことをもともとは意図していると思われるが、実際にはそうした関係のない人も身元保証人や申請人を務めることも多いし、わたしもそのひとりだ。
では、親族ではない人はいったいそこになんと書いているのか。わたしは他の人の申請を見たことがないのでわからない。「支援者」と書く人もいるかもしれない。
すなわち、今まで一度も会ったことのない人の仮放免申請をする場合がそれだ。具体的にいうと、その被収容者が収容されてから在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)に入会した場合で、わたしがその人を収容以前から知っているとは限らないし、また時間の関係で面会の前に申請せざるをえないこともある。
会の活動として、つまり役員会の合意を経て仮放免申請するわけだから、別に会っていなくても構わないとは思う。しかし、そうした人との関係を「友人」と書くのは適当なことだろうか。
しかし「BRSAの会長と会員」などと書くのもおかしい。その人が仮放免された後もわたしが会長だとは限らないからだ。だが、友人であり続けることはできるだろう。
それにそもそも、わたしのような人間と友達になってくれるのは、収容されている人以外にはあまりいない。そう考えると、収容されている人は誰であろうとみなわたしの友人のような気がしてくる。
だから、わたしは「友人」と書く。
誰がなんと言おうとだ。
そう、わたしもまた「友達で押し通す予定!」なのだ。
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(17)
非ビルマ民族はビルマ民族とビルマ政府にかなりの不信感を抱いているため、NCAそのものについても疑っているということを記したが、3つ目の否定的見解では、この不信がいわば逆向きになっている。
すなわち、非ビルマ民族の中には、今回の署名に参加した自分たちの代表についても批判し、不信の念を表明している人々がいるのである。
これらの人々の見解によれば、代表となった人々は自分たちの意見を反映したものではなく、それゆえ、停戦合意そのものが無意味であるというのだ。
この見解によれば2つの点で代表たちは非難されている。ひとつは代表としての選出が民主的ではなかったという点、もうひとつは、これらの代表が、民族すべての利益というよりももっぱら私利私欲のために働いているという点である。
このような合法性の点で疑いのある人々によって署名された合意はやはり非合法的であり、そのような不適格な人々が先頭に立って行う非ビルマ民族地域の復興は、どう考えてもそこに住む人々のためにならないことは明らかであろう。
すなわち、非ビルマ民族の中には、今回の署名に参加した自分たちの代表についても批判し、不信の念を表明している人々がいるのである。
これらの人々の見解によれば、代表となった人々は自分たちの意見を反映したものではなく、それゆえ、停戦合意そのものが無意味であるというのだ。
この見解によれば2つの点で代表たちは非難されている。ひとつは代表としての選出が民主的ではなかったという点、もうひとつは、これらの代表が、民族すべての利益というよりももっぱら私利私欲のために働いているという点である。
このような合法性の点で疑いのある人々によって署名された合意はやはり非合法的であり、そのような不適格な人々が先頭に立って行う非ビルマ民族地域の復興は、どう考えてもそこに住む人々のためにならないことは明らかであろう。
2016/02/12
「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(16)
いずれにせよ、NCAに対する最初の否定的見解のうち、取り上げるべきはそれが「全土」でないということただひとつであり、「多数か少数か」であるかという問題は重要ではないということになる。
さて、NCAに対する否定的見解の2番目は、合意には実効性がないというものだ。つまり、NCAとはビルマ政府が国際社会の目を欺くために行う茶番であり、政府にはこれを実現しようという意図はないのだ、いやそれどころか、このNCAを通じて非ビルマ民族地域に対する更なる侵略と弾圧をたくらんでいるのだ、という見解である。
過去の経験に照らし合わせてみればこれは実際に間違っていない。
これまでのビルマ軍事政権の停戦協定は一方的なものであり、実現の保証のないものばかりであった。カチン独立機構(KIO)は1992年の停戦によって、政治的対話が始まり、カチン人の生活が向上すると期待したが、それらはまったく裏切られた。
カチン政府とビルマ政府との停戦は、カチン州に対するビルマ軍事政権の軍事的支配と経済的支配をかえって強めるばかりであった。そして17年の停戦の後に残されたのはカチン州と民族の荒廃だったのである。
となると、もはやビルマ政府との停戦交渉など信じることはできない。
いや、そもそもビルマ人がどれだけ非ビルマ民族を欺いてきたことか。ビルマ民族に対する積年の恨みと不信感は、お互いの簡単な約束すら成立させぬほど増大してしまっている(もっとも、ビルマ人はほとんど気がついてはいないが)。いわんや協定をや、というわけだ。
さて、NCAに対する否定的見解の2番目は、合意には実効性がないというものだ。つまり、NCAとはビルマ政府が国際社会の目を欺くために行う茶番であり、政府にはこれを実現しようという意図はないのだ、いやそれどころか、このNCAを通じて非ビルマ民族地域に対する更なる侵略と弾圧をたくらんでいるのだ、という見解である。
過去の経験に照らし合わせてみればこれは実際に間違っていない。
これまでのビルマ軍事政権の停戦協定は一方的なものであり、実現の保証のないものばかりであった。カチン独立機構(KIO)は1992年の停戦によって、政治的対話が始まり、カチン人の生活が向上すると期待したが、それらはまったく裏切られた。
カチン政府とビルマ政府との停戦は、カチン州に対するビルマ軍事政権の軍事的支配と経済的支配をかえって強めるばかりであった。そして17年の停戦の後に残されたのはカチン州と民族の荒廃だったのである。
となると、もはやビルマ政府との停戦交渉など信じることはできない。
いや、そもそもビルマ人がどれだけ非ビルマ民族を欺いてきたことか。ビルマ民族に対する積年の恨みと不信感は、お互いの簡単な約束すら成立させぬほど増大してしまっている(もっとも、ビルマ人はほとんど気がついてはいないが)。いわんや協定をや、というわけだ。
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