2015/02/17

拷問者の影

品川の入管に収容されている人は、いつか茨城県牛久の東日本入国管理センターに移される。

収容されている人にとっては、これはあまりうれしくないことだ。というのも、牛久まではるばる面会に来てくれる人はとても少ないから。

また、牛久に移されるということは、当然、収容期間が延びるということだ。どんな人でも牛久に来てから出るまで最低でも半年はかかるようだ。たいていはもっと長い。

そんなわけで、仮放免で出るなら、なんとしても品川にいる間に出たい、とみんなが思うことになる。

これはわたしにしても同様で、どうせ仮放免の申請をするなら、品川で済ませてしまいたい。薄暮の中、人の気配のない牛久の住宅地を一人歩く心細さといったらない。まるで墓場だ。

そんなわけでわたしは友人たちが牛久に送られないようにせっせと仮放免申請に精を出す。品川で仮放免申請をしている間はどうやら牛久に移動させられることはないようなのだ。

この仮放免申請は滅多なことでは通らない。たいてい不許可だ。で、その通知が送られてきたら、すぐに書類を準備してまた申請する。

というのも、そのスキに牛久に送られちゃかなわないからだ。

入管収容所の移動というのは被収容者にとってあらかじめ告知があるようなものではなく、だいたいその日に知らされる。

だから、のんびりなんかしちゃいられない。入管を出し抜くのだ。「ああ、先を越された!」と入管を悔しがらせるのだ。俺の超素早い対応で入管の移送プランを超めっちゃくちゃにするのだ。連中は舌を巻く。なんというスピード! 恐るべき反射神経! もう噂で持ち切りだ、品川に仮放免のスピード・レーサーあらわる、と。

わたしは容赦しないぞ。執拗にコーナーを攻める! ぐいぐい入管を追いつめる! 連中が音を上げて、ついに仮放免許可という名のチェッカーフラッグを振り回すまで。おお、サーキットを制した優勝者が今、賞金30万円を仮放免保証金として銀行に納めにゆく……。

と、こういう確かな計画のもと、わたしは日々収容問題に対処しているわけだが、最近、こんな疑念が頭をもたげてきた。

品川の被収容者が必ず牛久に移されることが決まっているのなら、そして、牛久に移ってから半年程度で出ることが決まっているのなら、品川で仮放免申請を続けてそこでの収容を延ばすことは、全体として収容期間を延ばしているだけなのではないか。

つまり、品川で仮放免申請などせず、とっとと牛久に送られたほうが、早く出られるのではないか?

おお、収容されている人を苦しめているのは、もしかしたらこのわたしかもしれぬ。


***

All love that which they destroy. 
人はみな己の滅ぼすものを愛す。

Gene Wolfe, "The Shadow of The Torturer" ジーン・ウルフ『拷問者の影』

牛久入管の青空は何も語ってくれぬ