2012/06/22

天国と地獄

友人のチン人の牧師が難民認定をめぐる裁判で勝って(これは新聞でも報じられた)、判決から2ヶ月してようやく正式に認定された。

彼はそのことを律儀にもわたしに電話で伝えてくれて、久しぶりに会って話でもしようか、ということになった。

チンといっても、その中にはいろいろな民族があり、互いに言葉も通じない。彼はハカー出身のチンで、同じハカー・チンのクリスチャンたちで教会を作った。

以前は確か西馬込にあったと思うが、6ヶ月前に大久保に移ったというので、その教会で会うことになった。

駅からさほど遠くないところにある古いビルの一室にその教会はあり、青い扉に金色の十字架が貼付けてある。


内部は狭くはない。少なくとも40人ぐらいは礼拝に出席できそうだ。礼拝堂としての設備も申し分ない。彼は「われわれには十分だ」と満足気にいう。

牛久の入管に9ヶ月と2週間収容されていた経験を持つ彼は、現在、牛久に収容されている難民(必ずしもビルマ出身者だけではない)に面会する活動を毎週続けている。わたしもある時期月一ぐらいで牛久に面会に行っていたことがあるが、東京から毎週というのは相当大変だ。金も時間もかかる。

それでも面会を続けるのは、やはり自分が収容されていたときにいろいろなことを感じ、考えたからだろう。わたしたちは牛久に収容されている難民の現状について話し合った。

外で人の話し声が聞こえ、扉が開いた。2人の男が礼拝堂に入ってきた。彼はわたしに紹介してくれる。ひとりはアフリカ、もうひとりはアジア出身の難民で、ともに牛久に収容されていた人たちだ。幸いにも仮放免されたものの、住む場所がないので教会を寝泊まりの場所としてしばらく提供しているのだという。

彼は2人にわたしを紹介した。すると、アフリカ人が英語でわたしに尋ねる。「君はクリスチャンかね」

わたしが「違う」というと、彼はいろいろな話をしてくれた。

「むかしコルネリウスと言う人がいた……ピーターがやってきて……ユダヤ人だけでなく……」おそらく使徒行伝の話だろう。わたしは分からないながらも話について行こうとする。たぶん、こんなことが言いたいんだ、どんなに立派なことをしたって、どんなに行いがキリスト教的だったとしても、イエスを信じなくては意味がない、と。「いつ死ぬか分からないのだから、君はイエスを今信じなくてはならない……天国がどんなところか分かるかね。それはそれは素晴らしいところだ。だが、どんなに良い行いをしても、イエスを信じていなければ、そこには行けないのだ。君が死ぬとしよう。君は裁かれる。君がたとえ難民のために何かよいことをしたとしても、君がイエスを信じていないというただそれだけのために、君は地獄に落とされる。炎で焼かれるのだ!……それに引き換え天国は! 光! 黄金が敷き詰められた道!」 彼は不意にわたしに尋ねた。「君、わたしの言っていることが分かるかね」

「は、はい!」 彼はわたしがおかしな顔つきをしているのに気がついたのだ。もう、笑いをこらえるのに必死で! せっかくわたしのためを思って話してくれているというに、せっかくわたしの行く末を心配してくれているというに……

YES! すみかぞかし。