2012/02/04

保証人、拗ねる

あるカレン人の難民認定申請者の身元保証人をしていたのだが、その人が去年の12月27日に難民認定された。

ところがわたしがそれを聞いたのが、1月3日。しかも本人からではなかった。わたしはその人をとても信頼していたから、どうしてこんなに大切なことを直接言ってくれないのだろう、保証人に真っ先に伝えるべきではないか、と不愉快になった。

実は1月2日にその人から電話の着信があり、たまたま出られなかった。おそらくそのときに報告してくれるはずだったのだろう。しかし、12月27日にあってしかるべき連絡が6日後に来たって、ちっともうれしくはなかった。わたしはその人が難民認定されたことを本当に喜んでいたが、それでも、何となく冷めた感じになった。

さらに冷めたのが、それから数日後にその人から再び電話がかかってきたとき。仮放免のために入管に払った保証金30万円を受け取りたいので、入管に行く日を決めてほしいという。保証金を引き出すには、保証人が手続きしなくてはならないので、わたしが必要だ。直接報告もしてくれないくせにお金だけはちゃっかり催促するその人に、どこか虫のよさを感じて、わたしはさらに不愉快になった。

わたしは、いろいろなビルマ難民の保証人をしているが、確かにわたしをただ単に保証人として利用するだけという態度の人もいる。それはそれで別に良い。わたしもその人にそれ以上の付き合いを求めないだけの話だ。だが、件の人はわたしにとっては数年来の友人であり、そればかりでなく大事な仲間でもある。それだけに今回のその人の振る舞いを残念に感じていた。

さて、わたしたちは品川の入管に行き、それから田町の銀行で手続きを済ませた。昼にはまだ早かったが、駅の喫茶店でご飯を食べた。そのとき、わたしとその人と、もうひとり別のカレン人がいた。1月3日に電話をくれたのは彼だ。カレーを食べながら彼が言った。

「この人、12月27日に入管で難民認定された後、誰にも教えなかったんだ。1月1日に新年の礼拝をするために、みんな集まることになっていたから、そこで発表しようと思ってたんだって」 そして、そこにわたしも来るものとみんな思っていた、と彼は付け加えた。

これだ。これがカレン人のやり方だ。自分の喜びを仲間と分かち合うことを何よりも大切にし、みんなが楽しくなるように演出する、これぞ、カレン人の茶目っ気というやつだ。

われわれはカレン人よりもずっと個人主義なので、こうした演出はかえって面倒くさく感じられることもある。われわれとて他人の喜びを喜ぶことに変わりはないが、その喜びを個人を超えてあえて拡大することは、ある種の不遜、あるいは迷惑行為にもなりかねないとも感じている。

われわれの(つまり日本社会の)やり方とカレン人のやり方のどちらにも長所・短所があり、どちらが優れているとは一概に決められないものだが、それはさておき、わたしがその人に抱いていたわだかまりはすっかり解消されてしまったのであった。