2013/12/10

コオロギ

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)のメンバーに,ビルマのお土産は何が良いか聞いたら,ためらいがちにパイエジョーなるものが食べたいと言う。

何かと尋ねると「日本語は分からないがこれは虫を炒めたものでビルマ人みんな大好きだ」という。

わたしは虫と聞いただけで「この土産却下」と秘かに思い,日本を発ったのであった。

ビルマにいたのは2週間で,結局このパイエジョーについてはまったく思い出さなかった。だが,最後の日に「空港に行くまで数時間余裕があるのでなにかしたいことあるか?」とその日行動をともにした有名な社会活動家のネーミョージン(Nay Myo Zin)さんに聞かれたとき,そいつは再び頭をもたげてきたのだった。

しかし,彼は,パイエジョーを土産にしたいという希望を聞くと,今の時期は難しいかな,とありがたい指摘。

そのおかげで,わたしは虫の炒め物を日本に持ち帰るという任務から解放されたのであった。

ところが,この間の日曜日,カレン人の家でみんなが飲んでいるところにお邪魔すると,このパイエジョーなるものが出てきた。大きなイナゴような虫の炒め物だ。

「これは宝だよ! さ,どうぞ!」

みんなよだれ垂らしてる。ほんとに大好物なんだ。

そんなお宝を滅相もない……とわたしが断ろうとすると,「韓国で働いていたとき殺したばかりの牛のレバーをそのまま食べさせられた」というエピソードが出てきた。

「文化の違いはきっと乗り越えられる!」という励ましだ。エールだ。これはもう断れない……。

というわけでわたしは2匹ほど食べた。カリカリに揚げてあった。しょうがで味付けするのだと言う。ま,わたしは川海老の素揚げのほうがいいかな……。

パイエジョー,正確にはパイッ(ပုရစ်,コオロギ)・チョー(炒め物)というらしい。もともとはマンダレー辺りで食べられていたものがビルマの他の地域に広がったとのこと。

もっとも,ビルマだけでなく,ラオスやタイでも当たり前の食材というから,起源に関するこの説はさらに検討を要する。



ヤンゴンでたまたま撮影していたもの。ピンボケだが。

2013/12/05

特定秘密をお話しします

とある独裁国家で,反体制派が独裁者を「バカ!」と非難したら,秘密警察が現れてその男を逮捕した。

男が「何の罪で俺を逮捕するのだ!」というと,その秘密警察は答えて「国家秘密漏洩罪だ!」。

これはよく知られたジョークで,しかもどこの独裁国家にも当てはまる。

別のジョークに,レーニンの禿頭も「国家秘密だ!」としたソ連時代のものもあるが,この禿頭についていえば次のようなものもある。

「書記長! ソビエト連邦のポルノの解禁についてお伺いしたい」

書記長「確実に進んでいる! 同志レーニンは,すでに数回帽子をかぶらずに演説しているのだ」

これは『スターリン・ジョーク』(平井吉夫著)に出ている(ただしうろ覚え)。

それはさておき,わたしは特定秘密保護法は無駄な法律だと思っている。法律を作って,罰則を作ったからといって,秘密を守ることができるとは限らないからだ。

罰則を越える利益や,罰則を度外視させる義憤から「特定秘密」なるものを暴こうとする人はいくらでもいるだろうし,また不慮の事態というものもある。

しかもこの「特定秘密」そのものが何か分からないというのだから,そのうち「特定秘密」詐欺も横行するに違いない。

一人暮らしの老人の家に政府関係者と称する者から電話がかかってくる。

ニセ政府関係者「あなたの息子さんがはどうも特定秘密を漏洩しているようです」

ご老人「えっ,そんな! うちの子は間違っても安倍さんがバカとか言わないはずですじゃ!」

ニセ政府関係者「いえ,それは個人の秘密です(そっとしておいてあげましょう!)。息子さんが漏洩しているのは国家を危険に晒す特定秘密です」

ご老人「そんな秘密を息子が知るはずもありませんです。 そもそもどんな秘密を漏らしたというのでしょうか?」

ニセ政府関係者「それは言うことはできません! なにしろ特定なもので。とにかくこのままでは息子さんは刑務所行きです」

ご老人「おお! なんてこと! どうすればいいものやら!」

ニセ政府関係者「ご心配なされぬよう! 今ならまだ間に合います。チトお金がかかりますが!」

ご老人「いくらでも言ってくだされ! すぐに振込みますぞ!」

とこんな具合だ。しかも、国家そのものがこの「漏洩漏洩詐欺」を行う可能性だってあるのだから、とても安心してはいられない。

Facebookにわたしは先日冗談で「さてさて特定秘密でも暴露するか」と書いたところ、日本語のわかるビルマの人から「どんな特定秘密ですか?」とのコメントがあった。

わたしが「日本の安全を脅かすような特定秘密を話すと逮捕される法律が日本でできそうなのです」と説明すると、その人は「ビルマと同じだ」と返してくれたのだが、同じではやはり困るのである。

わたしは思うのだが、最高の秘密保護とは秘密を持たないこと以外にない。

そしてこの秘密という手段、古臭く剣呑な道具によらずしていかに国を発展させ平和を維持するか、頭を絞るのが、まともな政治というものだ。

いっぽう、特定秘密保護法はこうしたまともな政治とは真逆のもの、頭を絞らない怠け者の思いつきから生まれてきたものにすぎない。

そして、この法律が特定秘密として覆い隠してしまうのは、本当のところ、秘密なしでも安全は守れる方法はいくらでもある、という政治的真実なのだ。

2013/12/02

カーナビ

ヤンゴンにも街に対応したカーナビがあると言うけれど,普通はまず目にしない。まともな地図もないので,道が分からない時は,そこらを歩いている人に聞く。

「これがわれわれのGPSだっ」

と友人は言っていたが,ま,これがほんとは普通だろう。

ヤンゴンのインセインでフィットに乗せてもらったとき,日本のカーナビがそのまま搭載されていた。もちろん中古だ。

扱い方が分からないので,そのまま放ってあるとのことだった。

いったいどこの地点を指しているのかと気になってみてみたら,山陰本線の胡麻駅という駅だった。

おそらくとんでもない辺境なのだろう。胡麻の形の石が名物で……。

車が走り出した。

「目的地周辺です」

うるさいっ。

インセインとピーマン(4)

日本を去る年は大変だった。

働いてた店の日本人が金を貸してくれと言い出したのだ。36万。「子どもが交通事故で……」と! ついホロリと来てしまったというわけ。

ところが,いやはや,それっきり姿をくらました!

騙されたんだ。帰りの飛行機代もなくなった。それで2ヶ月ばかり働くはめに。

「そのことをあたしは(当時働いていた店の)部長に話したんだよ。そしたら部長が怒って『あなたバカね,なんでそんなヤツにお金貸したの?』って。そしてこうやって(自分の頭を指差して)『あなたの頭,ピィ〜マンね!』って言ったのよ! ああ,あたしはこの『ピィ〜マンね』が,もう絶対忘れられない!」

「なんだ,ピーマンって」と同行したカレン人。

「切ってごらん,空でしょ!」 大いに嘆きながら「ああ,ほんとに言ったのよ。『あなたの頭,ピィ〜〜マンね!』って!」

彼女は何度ものこの「ピィ〜マン」話を繰り返した。よっぽど悔しかったのだ。

大金を失ったこと,帰国が遅れたこと,長い労苦が悔しい出来事で締めくくられたこと,日本でのあらゆる思い出がこの「ピィ〜マン」にすべて凝縮されてしまった!

おそらく,わたしの顔もピーマンに見えたことだろう。

ピィ〜〜〜マン。

画像はインセインとは関係ありません。

インセインとピーマン(3)

さあ,夕食の始まりだ。

焼きそばに,豚肉のスープ。このスープがやたらと旨い。酸っぱくて辛くて。焼きそばも優しい味だ。おかわりに次ぐおかわり。わたしが成田空港で買ってきたお土産のウィスキーもみんな飲んじまった。

話といえば,ま,昔話だ。前世紀からの付き合いだからこりゃしょうがない。あいつはどうしてる,離婚した,病気した,野垂れ死んだ,飲んだくれてる,金の無心に来た,刑務所にいる,いい話はあまりない。それが人生だ,うわさ話というものだ。

で,「貴婦人」の日本での苦労話がはじまる。

「日本に来て,はじめて店で働いたとき,日本語なんてなんにも分からなかったから,大変だった。店長が『長ネギ!』っていうけど,全然分からない。でも,一緒にいたおばさんが親切だった。教えてくれた。長ネギを渡してこうやってとんとんと(輪切りに)切るんだと。わたしも一生懸命切る。すると次に店長が『タマネギ!』と叫ぶ。わたしはおばさんにこれが『タマネギ』だと教えてもらう。で,たくさんタマネギの皮を剥いて,芯をくり抜いて,下ごしらえする。そんな風に一日が終わって店長がやって来て言ったのは『このビルマ人,なかなかやるな!』」

毎年,日本でも行われているカレン新年祭の話も出てきた。1回目の時のだ(たぶん1999年)。

「あたしは徹夜でみんなの料理を準備したよ! 200人分のを,全部自腹で! それをなんだいあいつは(ある在日カレン人)! 『今からおばさんのところに料理を取りにいくから,タクシー代払って』だって。あたしは言ったよ! 『そんなんなら来ないでいい!』って」

2013/11/30

インセインとピーマン(2)

そのカレン人の女性は,1993年から2001年まで日本で働いていたのだ。その後,やはりカレン人の夫が働いているマレーシアに移り,2013年まで働いて,この8月にヤンゴン,インセインのこの家に戻ってきたというわけだ。

玄関を入ると客間があり,立派なソファーが置かれている。大きなクリスマスツリーも飾り付けられ,家の主がスイッチを入れると電飾が点滅を始めた。もうすぐSweet Decemberと呼ばれる12月がやってくるのだ。

白い毛をふさふささせた犬が走りよって来る。マレーシアから連れてきた愛犬! 運ぶのになんやかんやで10万円かかった。「離れてた間は毎日泣いてたよ」 大金も惜しくはない……

壁には作り付けの木の戸棚が並び,そのガラス扉の向こうで,上品な食器類やティーカップが静かに輝いている。

わたしがそれらを見つめていると,彼女は言う。「これはみーんな,日本で買ったものだよ。これもこれも」と,漆器や日本人形を指差した。

そればかりではない。彼女は家全体に手を広げて言った。「日本,ありがとうございま〜す」

ま,大笑いだ。

まったく結構づくめ! 20年以上,時には家族と離ればなれになりながら,異国の地で働き詰めに働いて,ようやく迎えた静かで落ち着いた老後。子どもたちも独立して,アメリカやマレーシアでなんとかやってる。

これぞ停戦交渉の効果! ビルマ政府とカレン人が二度と戦うことのないように! このインセインが,老夫婦の静かな住居が,砲撃されることのないように!


2013/11/29

インセインとピーマン(1)

ヤンゴンのインセインは刑務所でも有名だが,大きなカレン人居住地があることでも知られている。

ここは1949年にビルマ軍とカレン軍(カレン民族防衛機構)との間で非常に大きな戦闘が繰り広げられ,多くのカレン人が亡くなった場所でもある。

ビルマにいる間,そこに暮らすあるカレン人がわたしを家に招待してくれたので,久しぶりにインセインに行った。

雰囲気はヤンゴンの他の部分と少し違う。ひしめく家々の間を車一台通れる分の細い道があたかも敵の侵入を妨げるかのようにくねくねと蛇行分岐している。確かに防衛的な意図もあるにちがいない。しかし,戦争後インセインに住み着いた多くのカレン人が狭い土地に家を建てているうちにそんな町並みになったのかもしれない。

ただしインセインのカレン人居住地が他のところより貧しいとか,汚いとか言うことはできない。暮らしそのものは,ビルマの普通のものだ。ただし,仏教徒ではなくキリスト教徒のそれだが。

さて,わたしを招いてくれた女性の家は,素晴らしく立派なものだった。敷地に入るや否や,広く開け放たれた玄関とその両脇の神殿風の円柱が目に入った。

「さあ! この宮殿で貴婦人(レディ)がお待ちかねです!」 同行してくれたあるカレン人はそう告げる。

玄関前の車寄せに止められた車から出たわたしは,玄関ポーチの階段を1段,2段……まるで瀟洒なホテル!

そして,玄関口には,おお,レディが姿を現し,わたしを招じ入れながら喜びの声を上げる。

「あ〜,ぜんっぜん変わってないね〜! 別れた時と同じだよ〜!」

日本語だ。