2012/02/21

第64回チン民族記念日式典

2月19日(日)、品川区中小企業センター(下神明)で第64回チン民族記念日式典が開催された。主催者は在日チン民族協会(CNC-Japan)。

この日は1948年にチン民族がそれまでの封建制を廃して民主制を採ることを決議した最初のチン民族会議を記念するもので、日本では13回目の開催。

在日チン民族やその他のビルマの諸民族、日本人が出席した。数は聞かなかったが、ま、100人は超えてた。

式典は2部からなり、第1部は、チン民族記念日に関する演説や、来賓挨拶。第2部は、チン民族の歌と踊り、ファッションショー。そりゃ、後のほうが、退屈しない。もっともわたしは用事があって、第2部途中で失礼。

CNC-Japan会長のチンラムルンさんが挨拶で「このような式典を開くことができるのは、チン民族だけの力ではなく、他の民族や日本の支援者の力があればこそ」と話されていたが、このような自覚、つまり「他の民族(文化、社会)に支えられてこそ自分たちの民族(文化、社会)がある」という認識こそ、ビルマ連邦の根本精神。

後でちょっと一言、と頼まれたときも、わたしはチンラムルンさんのこの言葉をもとに話を組み立てることができ、なんとか切り抜けた。

それはともかく、これからのビルマがうまく行くかどうかは、ビルマの国民たち、特に多数派のビルマ民族がどれだけこの自覚に徹することができるかにかかっている。 

プログラムの裏表紙。チン州の風物が並べられている。






2012/02/07

日本語=ビルマ語オンライン辞書

オンラインの日本語=ビルマ語辞書を教えてもらったので、リンクを。

MyOrdBok Japanese - Myanmar dictionary
http://www.myordbok.com/

日本にいるビルマ難民はたいてい日本語や英語がわかるので意思の疎通には困らないが、やや抽象的な事柄を伝えたいときには、役に立つかもしれない。

2012/02/05

No Visa No Life but...

先日、あるビルマ難民の家族が難民認定されて、2人の幼児がいて。

上が喘息持ち、下はよく知らないがなんかの病気で、難民申請中はもちろん国保なんか使えねえってわけで、医療費が半端なくかかる。てんで、難民事業本部(RHQ)の保護費の世話に。

これはありがたいことで、それで家族は何とか生き延びてたってわけだ(夫はオーバーステイの後に難民申請したんで、就労の許可はねえ)。

そこに、念願の難民認定ときたもんだ。

申請してから2年以上かかった。しかもその間、夫は妻子を残して入管へ収容されっちまってる。苦労の果てにようやく光明に辿り着いた……と思ったらそうは問屋が卸さんのですよ。

RHQは早速、保護費を打ち切った。そればかりじゃない、ひと月分として渡してある分のうち、難民認定された日以降の分を日割りでとく返せよ、と。

こりゃ、ま、仕方がないっちゃ仕方がない。他にも保護費が必要な難民申請者はごまんと。列なして。けど、じゃあ、お伺いしますが、難民認定された翌日から、仕事に就けるだなんていう、結構なことがありますか? いや、たとえその結構づくしにても、給料が入ってくるのは1ヶ月先(のことなり)。

それまでどうしたらいい? 家賃はどうする? 子どもの医療費は? いや、そもそも飯はどっから引っ張ってくる? No Food No Lifeだ!

しまいにゃ奥さんついに「難民認定なんかされなきゃよかった!」

言っちゃった(気持ちは分かるが、何度申請しても擦りもしない人だっているんだから)。

ま、そんなもんだ! 我が国で難民認定されるっつことは。

Yes Visa No Life.

2012/02/04

KNU声明文

カレン民族同盟(KNU)の中央委員会の緊急会議が1月23日から25日にかけてカレン州某所にて行われ、その声明文が26日に出されている。38名の代表が出席し、次の5条の決議がなされた(声明文の英語原文についてはここを参照)。

1)停戦に関するKNUとビルマ政府間の話し合いは継続する。

2)停戦に向けた信頼関係を作るために、KNU地域におけるビルマ政府部隊の縮小・撤退、またはその配置に関する対話と話し合いを開始する。

3)交渉を効果的に進めるために、KNUは専門家に助言を求める。

4)KNUはビルマ内外にいるカレン人からの忠告を必要とするとともに、交渉過程における女性のさらなる参画を促す。

5)民族の平等と、自決のため、KNUは政治的対話と交渉の場において他の非ビルマ民族勢力と協力する。

そして締めくくりには「KNUは永続的な平和の実現のために絶えず努力する」とある。

この声明では5つの決議しか挙げられていないが、実際には会議では13項目の決議がなされたということだ。とはいえ、残りの8つは公表されてはいない(在日カレン人の話による)。

保証人、拗ねる

あるカレン人の難民認定申請者の身元保証人をしていたのだが、その人が去年の12月27日に難民認定された。

ところがわたしがそれを聞いたのが、1月3日。しかも本人からではなかった。わたしはその人をとても信頼していたから、どうしてこんなに大切なことを直接言ってくれないのだろう、保証人に真っ先に伝えるべきではないか、と不愉快になった。

実は1月2日にその人から電話の着信があり、たまたま出られなかった。おそらくそのときに報告してくれるはずだったのだろう。しかし、12月27日にあってしかるべき連絡が6日後に来たって、ちっともうれしくはなかった。わたしはその人が難民認定されたことを本当に喜んでいたが、それでも、何となく冷めた感じになった。

さらに冷めたのが、それから数日後にその人から再び電話がかかってきたとき。仮放免のために入管に払った保証金30万円を受け取りたいので、入管に行く日を決めてほしいという。保証金を引き出すには、保証人が手続きしなくてはならないので、わたしが必要だ。直接報告もしてくれないくせにお金だけはちゃっかり催促するその人に、どこか虫のよさを感じて、わたしはさらに不愉快になった。

わたしは、いろいろなビルマ難民の保証人をしているが、確かにわたしをただ単に保証人として利用するだけという態度の人もいる。それはそれで別に良い。わたしもその人にそれ以上の付き合いを求めないだけの話だ。だが、件の人はわたしにとっては数年来の友人であり、そればかりでなく大事な仲間でもある。それだけに今回のその人の振る舞いを残念に感じていた。

さて、わたしたちは品川の入管に行き、それから田町の銀行で手続きを済ませた。昼にはまだ早かったが、駅の喫茶店でご飯を食べた。そのとき、わたしとその人と、もうひとり別のカレン人がいた。1月3日に電話をくれたのは彼だ。カレーを食べながら彼が言った。

「この人、12月27日に入管で難民認定された後、誰にも教えなかったんだ。1月1日に新年の礼拝をするために、みんな集まることになっていたから、そこで発表しようと思ってたんだって」 そして、そこにわたしも来るものとみんな思っていた、と彼は付け加えた。

これだ。これがカレン人のやり方だ。自分の喜びを仲間と分かち合うことを何よりも大切にし、みんなが楽しくなるように演出する、これぞ、カレン人の茶目っ気というやつだ。

われわれはカレン人よりもずっと個人主義なので、こうした演出はかえって面倒くさく感じられることもある。われわれとて他人の喜びを喜ぶことに変わりはないが、その喜びを個人を超えてあえて拡大することは、ある種の不遜、あるいは迷惑行為にもなりかねないとも感じている。

われわれの(つまり日本社会の)やり方とカレン人のやり方のどちらにも長所・短所があり、どちらが優れているとは一概に決められないものだが、それはさておき、わたしがその人に抱いていたわだかまりはすっかり解消されてしまったのであった。

2012/02/02

なれずし

1月29日のKNU記念日の後、例のごとく、友人のカレン人、ワワさんの家にお邪魔して小宴会という成り行きだったのだが、そのときに供されたのが、ビルマのなれ鮨。

生の小魚を米と瓶詰めにして発酵させたもので、ワワさんお手製。普通は川魚だが、日本じゃ手に入らないので、「ちす」とかいう魚を漬け込んだ(おそらくキスのことならん)。しかも1ヶ月の古漬けだという。

鮒のなれ鮨すら食べたことのないわたし、おそるおそる口に入れてみるが、スゲーうめ。発酵した魚と米に唐辛子(粗挽きの)、タマネギ、パクチー、サラダ油で和えてあるのが、ビルマらしい。辛くて堪らんが、箸が止まらん。

それにしても、自分で作っちゃうところがすごいよな。 


瓶に漬けてあるヤツと、和えたやつの写真っ。

しかし食ってばっかだな。

カレン民族同盟の日とカレン民族革命記念日

1月29日日曜日の夜、駒込で第65回カレン民族同盟の日と第63回カレン民族革命記念日が開催された。

カレン民族同盟の日は、カレン民族同盟(KNU)の創立記念日で、革命記念日のほうはビルマ政府に対してKNUが武力で抵抗を始めた日を記念するもの。主催は在日カレン人の政治団体KNU-Japan。

出席者は70名程度で、第3国定住プロジェクトで昨年日本にやってきたカレン人家族も来ていた。

式典は演説、KNUの声明の読み上げ、カレン民族の歌の披露、来賓団体のメッセージなど、ありふれたもので、6時から9時まで。特筆すべきものはない。

KNU-Japan代表のミョーカインシンさん(モウニーさん)の演説を少し紹介すれば、「日本は中国などと問題を抱えているが、それでも国際社会では協力する姿勢を保とうと努力している。私たちカレン人も日本にあっては日本人と、ビルマにあっては他の民族と協力して頑張らなくてはならない」という、カレン人が陥りがちな孤立主義を戒めるもの。

わたしもメッセージで「ビルマが変わりつつある今こそ、非ビルマ民族の蓄えてきた力が試される」 というようなことを、短く話した。

式典では軽食として春巻き3本入ったパックが配られた(ビルマの催し物ではよくあること)。腹が減ったので3本瞬く間に平らげると、友人のLさんが、くれるというので1パックもらう。

ぼーっとして椅子に座っていると、今度は余ったので、とKNU-Japanのメンバーがさらに2パックくれた。式が終わり、帰ろうとしていると、ほら、持ってけと、もう2パック渡される。

これじゃ春巻き貰いに行ったようなものだ。