友人である在日カチン人難民のお母さんがヤンゴンで85才で亡くなり,その追悼礼拝が1月26日の日曜日,早稲田の東京平和教会で行われた。
20年以上も会う機会がないまま,別れが訪れたのだ。
礼拝には多くのカチンの難民たちが集まり,すでに経験したか,これから経験するであろう悲しみをともにしていた。
礼拝では故人の経歴が語られ,それによると小学校の先生として精勤されたほか,カチン女性協会の重鎮として長年活動されたそうだ。
わたしが礼拝に出席したのは,もちろん「喪主」が親しい友人であるからだが,そのお母さんにも去年の2月にヤンゴンでお会いしている。
彼はビルマに発とうとするわたしにこう言ったものだった。
「ああ! お母さんに会ったら,わたしのかわりに抱きしめてあげてください……」
忘れがたい言葉だ。
わたしはサンチャウンの家に行き,お母さんとやはり高齢のお父さんに会ったが,どうしたらいいか分からなかったので,結局抱きしめなかった。
20年以上も会う機会がないまま,別れが訪れたのだ。
礼拝には多くのカチンの難民たちが集まり,すでに経験したか,これから経験するであろう悲しみをともにしていた。
礼拝では故人の経歴が語られ,それによると小学校の先生として精勤されたほか,カチン女性協会の重鎮として長年活動されたそうだ。
わたしが礼拝に出席したのは,もちろん「喪主」が親しい友人であるからだが,そのお母さんにも去年の2月にヤンゴンでお会いしている。
彼はビルマに発とうとするわたしにこう言ったものだった。
「ああ! お母さんに会ったら,わたしのかわりに抱きしめてあげてください……」
忘れがたい言葉だ。
わたしはサンチャウンの家に行き,お母さんとやはり高齢のお父さんに会ったが,どうしたらいいか分からなかったので,結局抱きしめなかった。
追悼礼拝の様子。
カチン語の賛美歌
礼拝後の食事。カチン料理。