さて,バンカラ学生のことなどどうでもよいのだった。肝心なのはアシン・ソパカ師の講演だ。
講演の主催は早稲田大学平和学研究所で,平和研究の拠点たるべく創設された機関だ。平和以上に重要なものはなかなかないのでわたしは立派なことだと思うが,これは早稲田のバンカラ学生にはお気に召さぬはずだ。なにしろ連中,年がら年中早慶の闘争に明け暮れているから。
だからもうバンカラはいいって。
アシン・ソパカ師は,1977年生まれのビルマのお坊さんで,2007年のサフラン革命の中心人物の1人だ。
1999年頃からビルマ民衆のための地下活動をはじめ,しまいには2003年にドイツに亡命せざるをえなくなったのだが,国外からビルマへの支援活動や平和行進を行い,それがやがて国内の僧侶たちの動きと重なりあい2007年9月のサフラン革命へと流れ込んでいく。
国外からとはいえサフラン革命の当事者の1人なので,やはりその前後の話が非常に面白かった。
彼は自分の体験をエピソードとして語るすべを心得ている人で,それに宗教者として心の成長のドラマ,内面への眼差しが加わるから,非常に魅力的な講演者・活動家だといえる。
いっぽう,こうした実際的な考え方をする人によくあるように,事態の分析や解釈にはそれほど関心がないようで,この点ではわたしには物足りなかった。
例えば,講演の後の質疑応答で,ビルマの仏教は平和的なのに,どうしてその同じ仏教徒が兵士として残虐なことをするのか,という質問があり,これに対して彼は「兵はただ命令に従っているに過ぎない」と答えた。
しかし,これは答えになっていないばかりではなく(というのもその命令の残虐性の説明を与えないから),非ビルマ民族地域で行われている非ビルマ民族に対する人権侵害や不法行為を完全に説明しもしない。おそらく軍の命令に加えて,兵士の貧困と軍紀の乱れ,そして非ビルマ民族への蔑視を考慮に入れるべきであろう。
さらにいえば,この最後のものこそが,ビルマ軍の残虐さのひとつの源泉である。つまり,他民族,他文化,他宗教への蔑視であり,しばしば非ビルマ民族から「大ビルマ民族主義」と批判される態度である。そして,この極端な自民族中心主義はまた,昔から現在に至るまで日本人が発揮してきた他民族への残虐さ(あるいは思いやりのなさ)の源泉でもある。
アシン・ソパカ師は講演の最後に「日本とビルマとの間にはよくない歴史があったが,これからは将来のために過去は忘れて,過去は許してともに働きましょう」と語られたが,俗人であるわたしにはこれはいかにも優しすぎた。
むしろ過去は忘れずに,日本の統治期間に失われたものすべて,それこそ髪の毛一本に至るまで明らかにしようという決意とともに日本とビルマがともに働くことなしには,われわれは本当の意味で許されないであろう。
いや,許されることが本当の目的なのではない。われわれとしちゃ,いつまでも残虐さの根っこを抱えて生きていくわけにはいかないのだ。
講演の主催は早稲田大学平和学研究所で,平和研究の拠点たるべく創設された機関だ。平和以上に重要なものはなかなかないのでわたしは立派なことだと思うが,これは早稲田のバンカラ学生にはお気に召さぬはずだ。なにしろ連中,年がら年中早慶の闘争に明け暮れているから。
だからもうバンカラはいいって。
アシン・ソパカ師は,1977年生まれのビルマのお坊さんで,2007年のサフラン革命の中心人物の1人だ。
1999年頃からビルマ民衆のための地下活動をはじめ,しまいには2003年にドイツに亡命せざるをえなくなったのだが,国外からビルマへの支援活動や平和行進を行い,それがやがて国内の僧侶たちの動きと重なりあい2007年9月のサフラン革命へと流れ込んでいく。
国外からとはいえサフラン革命の当事者の1人なので,やはりその前後の話が非常に面白かった。
彼は自分の体験をエピソードとして語るすべを心得ている人で,それに宗教者として心の成長のドラマ,内面への眼差しが加わるから,非常に魅力的な講演者・活動家だといえる。
いっぽう,こうした実際的な考え方をする人によくあるように,事態の分析や解釈にはそれほど関心がないようで,この点ではわたしには物足りなかった。
例えば,講演の後の質疑応答で,ビルマの仏教は平和的なのに,どうしてその同じ仏教徒が兵士として残虐なことをするのか,という質問があり,これに対して彼は「兵はただ命令に従っているに過ぎない」と答えた。
しかし,これは答えになっていないばかりではなく(というのもその命令の残虐性の説明を与えないから),非ビルマ民族地域で行われている非ビルマ民族に対する人権侵害や不法行為を完全に説明しもしない。おそらく軍の命令に加えて,兵士の貧困と軍紀の乱れ,そして非ビルマ民族への蔑視を考慮に入れるべきであろう。
さらにいえば,この最後のものこそが,ビルマ軍の残虐さのひとつの源泉である。つまり,他民族,他文化,他宗教への蔑視であり,しばしば非ビルマ民族から「大ビルマ民族主義」と批判される態度である。そして,この極端な自民族中心主義はまた,昔から現在に至るまで日本人が発揮してきた他民族への残虐さ(あるいは思いやりのなさ)の源泉でもある。
アシン・ソパカ師は講演の最後に「日本とビルマとの間にはよくない歴史があったが,これからは将来のために過去は忘れて,過去は許してともに働きましょう」と語られたが,俗人であるわたしにはこれはいかにも優しすぎた。
むしろ過去は忘れずに,日本の統治期間に失われたものすべて,それこそ髪の毛一本に至るまで明らかにしようという決意とともに日本とビルマがともに働くことなしには,われわれは本当の意味で許されないであろう。
いや,許されることが本当の目的なのではない。われわれとしちゃ,いつまでも残虐さの根っこを抱えて生きていくわけにはいかないのだ。