2月9日、国連人権理事会ミャンマー特別報告者キンタナさんがヒューマンライツ・ナウ(HRN)事務局を訪問したのだが、HRNの方よりカチンの代表と会わせたいので紹介してほしいとの連絡があり、カチン民族機構(日本)議長のピーター・ブランセンさんを伴って、秋葉原の事務所に行った。
指定されたのは午後4時で、ピーターさんのほかに3人のビルマ活動家も同席した。
わたしは少々場違いなような気がしたが、HRNの方から居てもいいともいわれていたので、静かにこの珍しい機会を観察したのだった。
とはいえ、会合の詳しい内容はわたしが報告するべきことではないように思われるので特に触れない。ただ、キンタナさんが単に訴えを聞くというのではなく、「あなたはどう思うのか」「どのようなアイディアがあるのか」「わたしたちに何ができるのか」というような問いかけをよく発していたのが印象的だった。
さて、呼ばれたビルマ活動家の1人に在日ビルマ市民労働組合( FWUBC)のティンウィンさんがいた。
ティンウィンさんは日本のビルマ政治活動家を代表する1人で、ビルマの人のみならず多くの日本人もまた彼のことを尊敬している。
わたしもその1人であるのだが、普段はあまり接点がないのでこの日は彼の話をたくさん聞けて非常に有益であった。
ビルマのムスリムである彼はビルマ国内のムスリムへの差別と暴力についておもに訴えた。そして、それはこの会合の本筋であるので、やはりここではわたし触れない。
ただ、脇道の部分でわたしが感銘を受けた彼の言葉がいくつかあり、それをここに書き記しておく。
1)ロヒンギャについて、マンダレー出身のムスリムであるティンウィンさんが語るには、双方は同じムスリムであるが、宗教的態度は異なり、ロヒンギャのほうが厳しいのだと。つまり、ロヒンギャの中には、宗教的理由から女性を家から出さず、よその男性との接触を禁じる、という習慣を持つ者もいるが、ほかのビルマのムスリムではこれはありえぬことだという。
ビルマのムスリムといっても、いろいろいるというわけで、当たり前のことだが、面白いことだと思った。
2)ティンウィンさんは、ビルマのムスリムが過激なイスラム原理主義者などではなく、穏健なムスリムであることをたびたび強調されたが、それを「われわれはサラフィスト(イスラム過激派)ではなく、スーフィー・ムスリムだ」と表現したのが興味深かった。
イスラムについての一般的な知識からいうと、スーフィーとは穏健派というよりも、神秘主義者のことで、確かに武器を用いないという点では双方は共通しているかもしれないが、かといって完全に重なりあうわけではない。
しかしながら、ティンウィンさんの言葉遣いは、現代の一部のムスリムの間で、スーフィーの語が穏健派の代名詞として用いられうるということを示し、つまりそこに「神秘主義者」が過激派に対置されるに至る何らかの経路があるということになる。それはどんなものかは分からないが、ひとつ付け加えるならば、わたしが多少の事情を知っているチュニジアではそのような使用法はなかったように思う。
3)ティンウィンさんによれば、半世紀もの軍事政権の支配と差別によって無知となったビルマのムスリムにとって必要なのは教育であるということであり、「自分もこの日本に逃れてきてとても多くのことを学んだ。その点ではわたしは日本に感謝している」と話していた。
ティンウィンさんは、他の多くのビルマの人々と同じく、日本ではなみなみならぬ苦労をされたと思うのだが、そうした彼からそのような言葉を聞けたことはありがたいことだと思う。
指定されたのは午後4時で、ピーターさんのほかに3人のビルマ活動家も同席した。
わたしは少々場違いなような気がしたが、HRNの方から居てもいいともいわれていたので、静かにこの珍しい機会を観察したのだった。
とはいえ、会合の詳しい内容はわたしが報告するべきことではないように思われるので特に触れない。ただ、キンタナさんが単に訴えを聞くというのではなく、「あなたはどう思うのか」「どのようなアイディアがあるのか」「わたしたちに何ができるのか」というような問いかけをよく発していたのが印象的だった。
さて、呼ばれたビルマ活動家の1人に在日ビルマ市民労働組合( FWUBC)のティンウィンさんがいた。
ティンウィンさんは日本のビルマ政治活動家を代表する1人で、ビルマの人のみならず多くの日本人もまた彼のことを尊敬している。
わたしもその1人であるのだが、普段はあまり接点がないのでこの日は彼の話をたくさん聞けて非常に有益であった。
ビルマのムスリムである彼はビルマ国内のムスリムへの差別と暴力についておもに訴えた。そして、それはこの会合の本筋であるので、やはりここではわたし触れない。
ただ、脇道の部分でわたしが感銘を受けた彼の言葉がいくつかあり、それをここに書き記しておく。
1)ロヒンギャについて、マンダレー出身のムスリムであるティンウィンさんが語るには、双方は同じムスリムであるが、宗教的態度は異なり、ロヒンギャのほうが厳しいのだと。つまり、ロヒンギャの中には、宗教的理由から女性を家から出さず、よその男性との接触を禁じる、という習慣を持つ者もいるが、ほかのビルマのムスリムではこれはありえぬことだという。
ビルマのムスリムといっても、いろいろいるというわけで、当たり前のことだが、面白いことだと思った。
2)ティンウィンさんは、ビルマのムスリムが過激なイスラム原理主義者などではなく、穏健なムスリムであることをたびたび強調されたが、それを「われわれはサラフィスト(イスラム過激派)ではなく、スーフィー・ムスリムだ」と表現したのが興味深かった。
イスラムについての一般的な知識からいうと、スーフィーとは穏健派というよりも、神秘主義者のことで、確かに武器を用いないという点では双方は共通しているかもしれないが、かといって完全に重なりあうわけではない。
しかしながら、ティンウィンさんの言葉遣いは、現代の一部のムスリムの間で、スーフィーの語が穏健派の代名詞として用いられうるということを示し、つまりそこに「神秘主義者」が過激派に対置されるに至る何らかの経路があるということになる。それはどんなものかは分からないが、ひとつ付け加えるならば、わたしが多少の事情を知っているチュニジアではそのような使用法はなかったように思う。
3)ティンウィンさんによれば、半世紀もの軍事政権の支配と差別によって無知となったビルマのムスリムにとって必要なのは教育であるということであり、「自分もこの日本に逃れてきてとても多くのことを学んだ。その点ではわたしは日本に感謝している」と話していた。
ティンウィンさんは、他の多くのビルマの人々と同じく、日本ではなみなみならぬ苦労をされたと思うのだが、そうした彼からそのような言葉を聞けたことはありがたいことだと思う。