2015/12/31

永住許可

在日カチン人難民の夫婦が永住許可申請を行い、半年ほどの審査の後、先日許可が下りた。申請のさいにわたしはその保証人を頼まれていた。

永住許可がどういうものなのかについては法務省の永住許可に関するガイドラインに記してある。

わかりやすく言うと、定住者には在留期間と就労制限があるが、永住者にはそのどちらもないということだ。

これは、定期的に入管に行って在留許可延長する手間から解放されるということだけを意味するのではない。

同時に、申請のさいに定住者が抱く「延長が認められずビルマに送還されるのではないか」という恐れから解放されることも意味する。

わたしが保証人をした人は本当にうれしそうに「永住許可」と記された在留カードを見せてくれたが、これはその人にとって一つの自由の証だからなのだ。

そして、ついでに言うならば、わたしもまた、自分が身元保証人をしたせいで申請がダメになったらどうしようという恐れから解放されたのであった。



在留資格
本邦において有する身分又は地位
該当例
在留期間
永住者
法務大臣が永住を認める者
法務大臣から永住の許可を受けた者(入管特例法の「特別永住者」を除く。)
無期限
日本人の配偶者等
日本人の配偶者若しくは特別養子又は日本人の子として出生した者
日本人の配偶者・子・特別養子
5年,3年,1年又は6月
永住者の配偶者等
永住者等の配偶者又は永住者等の子として本邦で出生しその後引き続き本邦に在留している者
永住者・特別永住者の配偶者及び本邦で出生し引き続き在留している子
5年,3年,1年又は6月
定住者
法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者
第三国定住難民,日系3世,中国残留邦人等
5年,3年,1年,6月又は法務大臣が個々に指定する期間(5年を超えない範囲)

焼き肉フジ

ザイダン・ヨウシンさんは在日カチン人難民で、カチン州出身だ。

日本にいるカチン人はシャン州北部の出身が多く、カチン州生まれの人は案外少ない。わたしも数人ほどしか知らない。

ずっと昔のことだが彼の難民申請関係の書類の作成を手伝ったことがあり、彼の経歴についても多少のことは知っている。

それは非常に厳しく辛いものだった。ビルマ軍がボーター狩りのために村にやってくるたびに、彼は山小屋に逃げ、その床下に何日間も飲まず食わずで身を潜めていなくてはならなかった。

難民申請の結果、彼は日本での在留を認められた。結婚をし、子どもをもうけた。4人もだ。そして、今月1日上野で焼き肉屋を開店した。昨日、カチン人の友人たちと行ってきた。

「焼き肉フジ」という店で上野の入谷口から歩いてすぐのところにある。

ホットペッパーの情報を見ていただけば分かるように、肉の分厚さが売りだ。昨日行った時もなんだかすごい大きな肉が出てきた。これもとても美味しかったが、牛肉と醤油ご飯を混ぜて食べる肉ごはんも気に入った。

わたしは彼に会うと、彼が厳しい人生を過ごしたカチン州の険しい山々に思いを馳せたものだったが、これからは分厚い肉と肉ごはんを思い出すことになるだろう。


肉ごはん




悲惨な戦い

難民認定申請者のうちには就労を禁じられている人もいる。しかし、難民認定審査のプロセスは何年もかかるから、その間、餓死しないために働く必要がある。

これは不法就労だが、日本の入管は黙認している。そしてこの黙認がいわゆる「偽装難民」増加の一因ともなっている。つまり「偽装難民」の問題は入管の無策によって生じているともいえるわけだが、それはさておき、この間、その「不法就労」をしている人が働いている居酒屋に飲みに行った。その人はBRSAの会員で、そこに勤めて長い。社長からの信頼も厚く、もうほとんど社長代理みたいに切り盛りしてる。独自に考案したメニューもある。

社長は相当年配の方だが、わたしがBRSAの会長であることを知っていて、どんなに店が忙しくても丁寧に挨拶してくれる。つまりそれくらいその会員は店にとって大切な人なのだ。

わたしたちが店に入った時は、いくつか空いた席があったが、焼き鳥、南蛮漬け、ほうれん草のピリ辛和えなどをビール、焼酎のお湯割によって次から次へと平らげている間に満席となっていた。もう誰もがやかましく酔いしれ、好き放題にサービス品やおすすめを注文している。にぎやかで居心地のいい店だ。

十分に飲み食いしたわたしたちは勘定を済ませ、席を立つ。店を出ようとするわたしに社長が頭を下げた。

「どうか」と件のBRSAの会員を指して「あの人が日本に居られるよう会で助けてやってください」

それは本当のところ簡単なことではないし、正直言って何をすれば良いのか見当もつかないことだが、重要なことだ。その会員にとっても、いや、そればかりではない、社長とその店にとってもだ。というのも、その会員を失うことは店の存続に関わる事柄だろうから。

わたしたちの会にはおそらくこうした人がたくさんいる。その貴重な働きによって、都内の居酒屋を支えている人々が。ならば、BRSAがそうした人々のために働くことは、これらの居酒屋のために働くことではないだろうか。さらに言えば、これらの居酒屋に集うすべての客のために働くことでもある。わたしたちの難民支援活動は酔客支援活動でもあるのだ。

吉田類やなぎら健壱はわれわれに一杯ぐらいおごってくれたっていいはずなのだ。

BRSAの会議では誰も飲まない。

2015/12/29

入管旅館

わたしは熱心に入管の問題に取り組んでいるわけではないが、入管の方が熱心に友人を収容するため、それなりに長い付き合いとなる。今でも仮放免手続きやらなんやらで少なくとも月に1回は行く。

わたしがかつて仮放免手続きをした人々は、そのかなりの数が日本で安定した暮らしを確立し、自立した生活をしている。

ところがわたしは未だにろくな収入もないまま難民問題の底辺を這いずり回っている。

わたしの友人たちは入管とは見事におさらばして人生の次のステージに進むことができたが、わたしは未だに入管から足を洗うことができない。

わたしは時々思う。

もしかしたら、収容されているのは友人ではなく、自分ではなかろうか、と。わたしが誰かのために出す仮放免申請はもしかしたら自分のためではないだろうか、と。

なるほどわたしは自由だ。入管に行ってもいつでも出ることができる。しかし、本当のところは決して離れることはできないのだ……

さあそれではここで聞いていただきましょう、イーグルス1977年の大ヒット曲「ホテル・カリフォルニア」!

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place, such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year, you can find it there…

Up ahead in the distance, I saw a shimmering light…

難民難民

テュアンシャンカイくんは関西学院大学で学ぶチン民族難民2世の若者で、さまざまな場所で難民についての講演会をしている。

彼が講演をする場に居合わせたことがある。それはある高校の国際協力関係の授業に彼が招かれた時のことで、その場には高校生たちと彼を招いた先生とクラス担任の先生とがいた。

難民についてほとんど知らない人ばかりなので、シャンくんは難民とは何かについて丁寧に説明する。よく聞く「就職難民」や「ネットカフェ難民」とは違うということが話の導入部であったように思う。

難民の話は、難民申請と難民認定数の少なさの話に結びつき、それはやがて外国人を受け入れない日本の社会へと向かっていく。

高校生には難しい内容かもしれないが、ほぼ同じ世代の難民が目の前で語るということはインパクトがあることだ。それなりの手応えはあったように思う。

授業の終わりに担任の先生がまとめの話をした。これからの日本の社会も難民ばかりでなく弱者に厳しい社会になっていくから、ちゃんと勉強しなくてはならない、という叱咤激励だ。

その先生の言葉遣いは少々乱暴であったが、生徒のことを真剣に考えているようで、わたしはなんとなくやさしい気持ちになった。

最後に、先生はこう語って授業を締めくくった。

「授業中ぼーっとしてると、お前らも就職難民になっちゃうぞ!」


2015/12/27

ビルマ語早口言葉

今日は早稲田に行き、カレン人の教会の礼拝に出席した。

礼拝の後にちょっとした用事があったからで、礼拝が終わったらすぐに帰る予定だったが、そういうわけにはいかなくなった。

というのもクリスマス礼拝だったからだ。

多くの教会では20日に済ましてしまうが、先週は本教会の合同クリスマス礼拝が行われたため、このカレンの教会では今日がその日なのだという。

なので、通常の礼拝に加えて、歌や踊り、ゲームなどの余興が加わっていつもより長めなのだった。

また通常よりも出席者も多い。普段は30人弱だが、今日は特別な日ということでいろいろなゲストがやってきている。別用でやってきたわたしだったが、そのゲストに含まれていた。

それはそれでいい。ただし残念なことに時間がなくて全部は楽しめなかった。

さて、余興の一つに早口言葉があった。前に呼び出された人々が1人づつ早口言葉を言っていく。

わたしはビルマ語の早口言葉を聞くのは初めてなので、もしかしたら有名なものかもしれないのだが、ここに記しておこう。

ミャウンミャ・ミョ・フマ・マウン・ミャッマウン

というもので、すべてmの音で始まる。フマというのは日本語の「〜で」に当たるもので、難しい言葉で言うと無声化した両唇鼻音、つまりこれもmの一種だ。ミャウンミャはエーヤーワディの町、ミョは町、マウンは若い男性につける冠称(英語のMisterのようなもの)、ミャッマウンは人名で、意味は「ミャウンミャ町のマウン・ミャッマウン」となる。

これはなかなか難しいらしく、みんなうまく言えないので、会場は大笑いだった。

2015/12/26

ビール・ワイマン

母音というのは「あいうえお」に当たるもので、これをさらに長くして「あー」とか「いー」とかにすることができる。

標準的な日本語ではこの母音の長さというものが重要で、「おじさん」と「おじーさん」では意味が違う。「腰」と「格子」でも違う。

これに対し、母音の長短が重要でない言語もある。中国語、韓国語、そしてビルマ語もそうだ。

そこで、これらの言語の話者は、日本語を学ぶ場合、しばしば長母音と短母音を取り違えることになる。

大げさに言えば「冷蔵庫」が「れぞこー」になったりする。

BRSAでは日本語教室を開催しているが、そこで学ぶ会員が日本語能力試験を受けることにした。

願書に名前や住所などの必要事項を記入して送ると、しばらくしてハガキで受験票が届く。

そのハガキは願書に記した住所で送られてくるが、会員に届いたハガキを見ていただきたい。


もちろんビールではなくビル。念を押すかのように「まんなかのビルです」と付け加えたのは、絶対に試験を受けたいという意志の強さか、ビルマの人らしい心遣いか。なんにせよ届いてよかった。

ちなみに「ん」も日本語話者以外にはなかなか難しい発音のようだ。