2016/01/30

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(5)

2.2. 全土停戦コーディネーション・チーム(NCCT)

以下は全土停戦コーディネーション・チーム(NCCT)を構成する16の組織であり、このうち*印を付した6組織が今回の合意に参加した。

アラカン解放党(Arakan Liberation Party)*
アラカン民族評議会(Arakan National Council)
アラカン軍(Arakan Army)
チン民族戦線(Chin National Front)*
民主カレン寛容軍(Democratic Karen Benevolent Army)*
カレンニー民族進歩党(Karenni National Progressive Party)
カレン民族同盟(Karen National Union)*
KNU/KNLA平和評議会(KNU/KNLA Peace Council)*
ラフ民主同盟(Lahu Democratic Union)
ミャンマー国民民主同盟軍(Myanmar National Democratic Alliance Army)
新モン州党(New Mon State Party)
パオ民族解放機構(Pa-Oh National Liberation Organization)*
パラウン州解放戦線(Palaung State Liberation Front)
シャン州進歩党(Shan State Progress Party)
ワ民族機構(Wa National Organiztion)
カチン独立機構(Kachin Independence Organization)


2016/01/29

地獄の施設(Une Maison en Enfer)

『シーズンズ 2万年の地球旅行』を見にいった。これはフランスの映画で、原題は”Les Saisons”だ。

狼やら熊やらバイソンやらを撮影したドキュメンタリーで、その映像には驚かされたが、それはともかくある場面で「昔は人間は自然とともに暮らしていた」というようなナレーションが入った。

それは現在のような人工的生活環境との対比での言葉だが、人間も自然の一部なのだから、人工的といえども人間が作ったものであるかぎり、自然であるのは言うまでもない。蟻塚や蜂の巣が自然の一部であるのと同じだ。

映画は野生の動物を扱ったものであるが、野生というのが家畜化されていないことや、動物園の檻の中で飼育されていないということを意味するのであるならば、われわれもやはり野生である。

ということは人間のあらゆる文化は野生であり、わたしがやむなく関わりを持っている入管の収容もやはり野生の事柄である。

だが、そこに収容されている人々はどうだろうか?

檻の中に閉じ込められているこれらの人々は、野生ではなく、ゆえに自然でもない。非自然的存在だ。となると被収容者はわれわれ野放しの野良動物とは異なることとなる。

おそらく入管に収容されている人々の目には、外にいるわれわれが野蛮に映っていることだろう。

そんなことを考えていたら昔のフランスの作家バルベー・ドールヴィイの言葉を思い出した。

「思うに、地獄は、地下室の窓から覗き見たときのほうが、地獄全体を上空から一望したときより、はるかに恐ろしいすがたをあらわすことでしょう。」
「ホイスト勝負の札の裏側」より(中条省平訳)

タイトルは駄洒落。

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(4)

2. 全土停戦合意に至るまで
2.1. 停戦交渉の過程

ビルマ政府の非ビルマ民族に対する抑圧的政策、迫害は、チン民族のみならず多くの非ビルマ民族の反発と不信を生み、1949年のカレン民族による武装蜂起以降、多くの非ビルマ民族がビルマ政府・軍に対する「防衛戦争」に突入していった。停戦の試みは幾度かなされたが、相互不信により実現せず、実現した場合でも非ビルマ民族全体ではなく単独の民族との協定であること、そしてビルマ政府が協定を不履行・破棄した結果、永続的なものでも、また全国的なものでもなかった。

しかし、2011年3月に成立したテインセイン大統領政府は、ビルマ国内の平和を課題の一つとして掲げ、各民族政治組織・軍事組織との停戦交渉を進めることになった。ただしシャン州北部とカチン州では戦争が続いている。

CNFは2011年11月にビルマ政府との交渉を開始。2012年にかけて2度の交渉が行われ、停戦合意の前段階となる合意が結ばれた。一方、交戦中の非ビルマ民族政治組織からなる全土停戦コーディネーション・チーム(NCCT)とビルマ政府による包括的な交渉も2013年以降、たびたび行われてきた。


2016/01/28

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(3)

1.2. 在日チン民族協会とタン・ナンリヤンタン氏

日本にチン民族難民がやってきたのは1990年代始め。教会を中心に徐々にコミュニティを形成し、政治活動を含む支援活動を行う。在日チン民族協会(Chin National Community in Japan, CNC-Japan)という政治団体として公式に活動を始めたのは2001年から。2004年に公式に結成される在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan)の創立団体の一つとなる。現在は100人以上のチン人会員が所属している。

CNC-Japanの初代会長を務めたのがタン・ナンリヤンタン氏(Thang Nang Lian Thang、以下タンさん)。彼は1988年の民主化活動においてチン民族の政治的リーダーとして活動し、その後、来日。日本においては、在日チン・コミュニティの指導者として活動し、非常に早い段階から、非ビルマ民族の政治活動と難民認定申請の重要性を認識し、チン民族の政治活動・難民申請支援を行う。

さらに、AUN-Japanの創立者の一人として、日本における非ビルマ民族政治運動を牽引する。また、認定難民の一人として、UNHCRなどと協力して難民委員会を運営。のちにアメリカに移り、難民認定後、市民権を得る。現在はアメリカ、タイ、ビルマ国内でチン民族のための政治活動を行っている。現CNFの議長である。


2016/01/27

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(2)

このようなチン民族の状況は、2つの帰結を引き起こした。ひとつは1988年のチン民族戦線(Chin National Front, CNF)の結成である。1988年8月の大規模な民主化要求運動のきっかけとなった学生デモの直後3月20日に結成されたこの政治・軍事組織は、チン民族の自己決定権の獲得とビルマの民主主義と連邦制の確立を目的として掲げ、チン民族としては初めてビルマ政府に対する組織的武装抵抗を行った。CNFは現在、チン民族を代表する政治組織としてビルマ政府との交渉に当たっている。

もうひとつの帰結は、ビルマ国外へのチン民族の難民の流出である。チン州と国境を接するインドばかりでなく、マレーシア、シンガポール、タイ、オーストラリア、欧米諸国、そして日本にチン難民のコミュニティが存在する。これらの亡命チン民族は、それぞれの居住国でチン民族のための政治活動や人権支援活動を行っており、その影響力は非常に大きい。

今回、停戦合意式典に出席したチン民族代表でも、国外で政治活動を続けてきた人々が重要な役割を果たしている。

例えば、サライ・リヤンムンサコン博士(Dr. Salai Lian Hmung Sakhong)はチン民族随一の政治学者であり、またヴィクター・ビヤックリアン氏(Victor Biak Lian)さんは、国際的なNGOであるチン人権機構(CHRO)のディレクターである。

そして、今回の式典でCNFを議長として率いるタン・ナンリヤンタンさんは、日本で難民として認定され、また日本の非ビルマ民族運動を作った一人ともいえる政治活動家である。


2016/01/26

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」(1)

1. チン民族の政治運動
1.1. チン民族とチン民族戦線
ビルマ西部のチン州、北東インド(ミゾラム州など)を中心に居住する民族グループ。多様な民族集団に分かれ、同系の言語を話すものの「村が違えば通じない」と言われるほど異なっている。キリスト教徒がほとんどだが、仏教徒もいる。

チン民族は1947年2月にビルマ民族、カチン民族、シャン民族などとともにピンロン協定に署名し、ビルマ連邦の一部としてイギリス領からの独立を果たした。しかし、ビルマ連邦政府においては、ピンロン協定で保障されたチン民族としての自己決定権は否定され、実質的には中央ビルマ政府の「植民地」となり、チン民族は他の非ビルマ民族と同じく、ビルマ政府、そしてその後の軍事政権からのさまざまな差別や迫害に苦しむこととなった。チン州内においては駐留するビルマ軍による人権侵害や女性に対する性暴力などが報告されている。

チン州はカチン州などに比べて資源に乏しく、非常に貧しい。また、長年にわたって政府からないがしろにされてきたため、教育やインフラの点でもっとも開発が進んでいない州とみなされている。

式典の会場

2016/01/25

「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」報告

在日チン民族協会(CNC-Japan)主催で、わたしが報告者を務める報告会「我らが勝利の日:チン民族と全土停戦合意(NCA)」が2016年1月17日の夜、品川区きゅりあんの会議室で開催された。

日本人の方は5人来てくださった。最初はチンの人も少なく、若干悲しい気持ちになったが、始まってしばらくすると、たくさん来てくれた。教会のほうで会議があったとのことだった。

プログラムは会長のニンザルンさんの挨拶と、わたしの報告のふたつだけで、2時間半のうち、ほとんどを報告に当てることができた。署名式典に先立ってヤンゴンでチン民族を対象としたワークショップが行われたが、そこでのタンさんの演説を全部上映できたのも良かった。みんな久しぶりに見るタンさん節に懐かしそうでもあった。

わたしがこうした報告をできるのもCNC-Japanのみなさんのおかげなので、多少の恩返しできたかと思う。ところがだ。会の終わりにニンザルンさんが感謝の気持ちということで、1万円の謝礼の入った封筒をくれた。

これでまた借りができてしまったというわけで、CNC-Japanのみなさんとまたよい活動ができたらと思う。

タンさんの演説


CNC-Japanメンバーと参加者の意見交換