在日ビルマ難民の民主化活動につきあっていると、必ずしも民主的とはいえない行為、考え、運動方法に出くわすことがある。
そういうおかしなことには黙っているのが、品のあるオトナの日本人のやり方だが、ぼくはどちらかというと品がないので、面と向かって批判してしまう。
その結果、批判された人から、スパイだといいふらされたり、民族の敵としてひどく憎まれることとなる。
権威に対する批判を許さない社会に育った人間のすることだから、まあしょうがない。それに、バカほど人の上に立ちたがるのは、日本もビルマも変わらない(いや、彼らとてすきこのんで人の上に立ちたいわけではない。ただ自然の摂理として、軽いものは自然と上方に押し上げられていくのである)。
ある在日カレン人のリーダー(より正確にはミスリーダー)が、ぼくのことをひどく中傷していたとき、ある別のカレン人がこう言ってぼくを弁護してくれたという。
「あの人は汚い服を着ているが、信頼できる人だ」
これを聞いて、ぼくは多少着るものに気を使うようになった。