東日本入国管理センターは茨城県牛久にある。西日本入国管理センターは、大阪府茨木。
2つとも「いばらき」というのは、いろいろと連想させられる。
「いばら」というのは、もちろん棘の多い植物のこと。「き」については2つの考えがある。ひとつは「木」とするもの。もうひとつは多賀城や磐舟柵の「き」。古代の防備施設である城柵だ。
古代の城柵は蝦夷や熊襲などの異民族から大和民族を守るために設けられたのだという。
現代の入国管理局も、やはり異民族からの防波堤として機能しているのが面白い。
むろんのこと、古代の「き」として登録されているもののうち、「いばらき」なるものはないし、また、大阪の場合、あんな朝廷の近くに城柵などあろうはずもないから「茨木」の「き」は、漢字の通り「木」なのかもしれない。
しかし、人間というものは、無意識の世界ではたいてい駄洒落で動いている。
これらの入国管理センターがどうしてその場所に建設されたか、その理由についてはいろいろもっともらしいこともいえるのであろう。「空港に近い、つまり空港に収容者をむりやり運びやすい」というのもある。もっとも、それはどうも疑わしいが。
むしろ、大和民族が異民族をどのように処遇してきたかというその無意識の積み重ねが、「いばらき」という美しい大和言葉に結節し、現代に甦ったのではないかという気もしないではない。
もうひとつの収容センターである長崎の大村入国管理センターに行けば誰もが「これは現代の出島だな」と思わずにはいられない。これは少なくとも理があることである(つまり、大村の入管を見てカステラを連想するのに比べれば)。
その程度の理において、現代の2つの入国管理センターに、古代の異民族防止装置の反響を聞き取るのはそうおかしなことではあるまい。
それに、現状において入国管理センターは収容者にとってまさに「イバラの城塞」なのだ。