2010/03/13

チン民族の公正なる特産品(2)

当時タンさんは、少なくとも2つの領域で活動をしていたようだ。ひとつは在日ビルマ人の労働組合であり、もうひとつは少数民族の協力団体だった。最初のものはつぶれたが、後者は、その翌年の2004年に正式に結成され、今に至るまで続いている。在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan)である。

ぼくはこのAUN-Japanにその準備段階から会合に顔を出し、やがて、選挙委員(2005年、2006年)や会計委員(2006年)を務めさせてもらうなど深い関わりを持つようになった。2004年から数年の間、ぼくは言葉もわからないのに、毎月のように会議に顔を出していた。

AUN-Japanにぼくを導いてくれたのは、昔から付き合いのあったあるカレン人だった。1996年から日本に暮らすカレン人と親交のあったぼくは、タイ国境の難民キャンプに行ったり、カレン人の会議に参加したりなど、少しずつカレン人のことを学んでいた。また、2004年の初夏から在日カレン人とともにカレン情報スペース(KIS)という情報交換会を月一度開催するようになっていた。