2015/05/27

レッパダウン鉱山問題と村人の殺害 [11日目]

ネーミョージンさん逮捕までの流れをまとめてみよう。

ザガイン管区のレッパダウンで、ビルマ政府と中国企業が進める鉱山開発に伴う土地の強制収用、環境破壊に地元農民たちは長年反対してきた。抗議運動には僧侶や市民が加わり拡大していくが、2012年11月28日、これを政府は激しく制圧。その結果、多数の負傷者が出る。事件はビルマ国内だけでなく世界中に広く報じられる。

アウンサンスーチーを委員長とする調査委員会が組織され、2013年3月、委員会は開発の続行を結論づける。

委員会の決定に反対する地元農民たちはその後も抗議を続けるが、2014年12月22日、抗議活動の最中に、50代の女性の村人(キンウィン)が警官に射殺される。

当時のレッパダウンの抗議活動と警官隊の弾圧の様子は次のDVBのビデオに収められている。

2015/05/26

希望 [10日目]

BRSAの会員で品川に収容されている人がいて、ずいぶん前から仮放免申請を出してほしいと言ってきていたのになかなか行けなかった。

聞き覚えのない名前だったので知らない人かと思っていたのだが、今日面会してみるといつもミーティングに来る人だった。

彼は難民認定申請が不認定になって3月13日に収容された。それから1ヶ月後に再申請をし、ようやく今日仮放免申請というわけだ。

もっとも、1回では許可は出ないだろう。3回はしなくてはならないかもしれないし、もしかしたらその間に牛久に移されてしまうかもしれない。

とはいえ彼によれば、先日、1人のビルマ人が11ヶ月の収容の後に品川から釈放されたらしいから、希望はないわけではない。

わたし自身は希望とかそういったものにはあまり縁がないが、こうやって他人の希望に与ることができるというのはありがたいことだ。

あるいはこれがわたしが仮放免申請をする理由かもしれない。自分自身がどこかから仮放免されるのを待ち続けているのだろう。

ケシの花 [9日目]

パラウン民族(タアン民族ともいう)のマイチョーウーさんは、ファッションショーで見せる民族紹介ビデオに、タアン民族解放軍(TNLA)が麻薬の撲滅に力を入れているところを挿入したいと言っていた。

そのビデオはVOA(the Voice of America)の短いニュース(Poppies, Power and Politics in Myanmar’s Kokang Conflict)に含まれていて、白い花を咲かせたケシ畑を兵士たちが棒でなぎ倒している場面がそれだ(以下のビデオでは0:45から)。


さてその翌日、江戸川に行ったら河川敷にポピーの花畑ができていた。ビデオのタイトルが頭にあったので、混乱したわたしはすべてを蹴散らすところだったが、そんなことをしたら江戸川に投げ込まれてウナギの餌となっていたことだろう。


チャリティ・ファッションショー [8日目]

NPO法人のピースが今週末にチャリティ・ファッションショーを開催する。


その時に上映する非ビルマ民族の紹介ビデオの制作を手伝ってほしいと、アラカン民族のゾウミンカインさんとパラウン民族のマイチョーウーさんたちが事務所にやってきた。

先週の土曜日の夜のことだ。

「本当に次の日曜日に上映できるの?」ってぐらいやることがたくさんある。

わたしも役に立つかどうかわからない。しかし、ショーの券をもらったので宣伝しとく。


2015/05/23

牛久なる国境 [7日目]

現在品川に収容されている人々について話したが、牛久にも収容されているビルマ人難民が少なくとも3人いる。

3人とも男性で、わたしはそのうちの2人の身元保証人をしている。

そのうちの1人は、間違ったことがきらいな人だ。

彼は入管の職員が自分に正しくない扱いをしたと怒っている。

彼は自分を診察した医者が不正をしたと怒っている。

彼は外にいる自分の友人が当てにならないと怒っている。

面会の間中わたしが聞かされるのは、いかに彼が不公平な扱いを受けているかの話だが、そうした話にうんざりしないほどわたしは公平な人間ではない。

人間にとって正義なり公平が意味があるのは、他者の正義なり公平のために働いている時だけだ。ときには自分の正義のためだけに働いているように見える人がいるけど、そうした行為が意味を持つ場合はつねにその自分が同じような状況にある他者と繋がっている。

それは正義・公平という概念そのものに類的性質(集合性・複数性)が前提されているからで、それだからこそわれわれ人類は対話と対立を繰り返しながら正義という概念を発展・拡大させようと努力している(ただし安倍首相とその取り巻き連中とISは除外)。正義とはまだ見ぬ正義込みの正義というわけだ。

これに対して、そのような他者に繋がらない正義は、正義に見えるけれど、実は正義とはまったく関係のない現象、あるいはむしろ不正義といってもよい代物で、しばしば独善とも言われる。

わたしはおそらくさまざまに不公平な扱いを受けてきたに違いない彼のことを独善と責めるつもりはないが、ただそうした考え方では入管ではつらいよとだけ言いたい。

彼は不眠に苦しみ、じんましんに悩まされている。

自分が理不尽な使いを受けたことが悔しくて眠れないのだ。その怒りが赤いポツポツとなって体中に現れているのだ。

「自分が正しいことを考え過ぎるのがよくないかもしれないんですけど」

彼だって分かってるのだ。

自分のために怒るのではなく、他者のために怒るがよい。

そうすれば、他者のために何をすべきか考えるのに忙しくて怒ることも忘れてしまうだろうから。

そうはいっても、人間は自由がなくては
健全ではいられません。

国境の人々 [6日目]

さて、妻から離婚されそうになっている被収容者の男性だが、さいわいなことに仲直りしたようで、心配しないでくださいとの電話が入ってきた。なので、みなさんも心配しないでください。

現在、品川の入管にいるわたしの知り合いは7人の男たち(収容されている女性会員もいる)。家族の絆を取り戻したこの彼、そして眠れない彼と金を返せという彼。そのほかに、BRSAのメンバーがさらに2人、そしてビルマ人が1人に、カレン人が1人。

BRSAのメンバーの2人は、1人は来週あたりわたしが仮放免許可申請する予定で、もう1人は別の人の保証人で申請中だ。

もうひとりのビルマ人はよく知っている人ではないが、難民申請中に駅で警察に捕まって収容されてしまった。その罪状はよく分からないが本人の話から判断する限り痴漢らしい。しかも2度目の。

そのまま帰国するのかと思っていたら、この間電話がかかってきて、身元保証人を頼んできた。BRSAの役員に相談しなくちゃならない、と言ったら、断られた。

わたしが身元保証人を引き受けるのは、BRSAという会の活動の一環としてであり、役員会の承認がなくてはできない。ただし、非ビルマ民族の人々は例外で、これらの人々はBRSAよりも付き合いが長いので必要があればいつでも引き受ける。

そのひとりが今収容中のカレン人の男性で、彼は1991年に起きたボーガレー危機というビルマ政府によるカレン人大虐殺から逃れてきた人だ。この人を難民と認定せずして誰を難民認定するのかというほどの人だが、残念ながら収容されてしまった。

「偽装難民」について文句を言う前に入管の「偽装不認定」のほうをどうにかしてほしいものだ。

ネズミの肉をどうぞ。
(ボーガレー危機のあったエーヤーワディ・デルタではネズミをよく食べる)

2015/05/21

国境の生活 [5日目]

入管という名の地獄から電話を掛けてきた友人は不眠を訴えた。

「せいぜい長くて2時間寝れればいいほうで、2分ごとに目が覚めるんです……。入管の医者から睡眠薬もらってます」

今度「カウンセラー」と称する人物が会いにくることになっているが、彼はこいつが精神病の医者じゃないかと疑っていた。

彼は今回が3度目の収容で、前回仮放免された時も不眠で相当参っていた。釈放されたばかりのころ彼は時たまわたしに電話をかけてきてとりとめもない話をした。なかなか切らせてくれないので、しまいには電話に出るのがいやになった。もっとも、1年ほどすると、落ち着いたまともな人間になった。

この電話からしばらくして再び彼から電話がかかってきた。

「この前、言ってたカウンセラーが来たんです。しんりがくってどういう意味ですか」

「サイコロジーだね」

「何のために来たんですかね」

「不眠だって言うから、たぶん、心のケアか何かのためじゃないかな。それでなんて言ったの」

「眠れないこととか話しましたよ。45分間ぐらいだったかな」

「で、カウンセラーはなんて言ってた?」

「メリハリのある生活をしなさいって言ってました」

これにはわたしも彼も大爆笑だ。

収容生活にメリハリもクソもあるもんか。