2013/12/14

トラック一台分

カチン民族のお金持ちについて書いたが,富が徳を乗り越えることがあるのはどこでも同じで,正式な妻以外の女性を幾人も「所有」する人もいるとのこと。

とくにそうした癖の著しい金持ちがいて,その人についてはこんなことが言われている。

「トラックで町を回ってあの男が生ませた子どもを乗せたら満杯になるよ!」

2013/12/13

ネーミョージン(Nay Myo Zin)の逮捕

ネーミョージン(Nay Myo Zin)さんというのは,ビルマの社会活動家で,いまもっとも注目されているビルマ人の1人でもある。

12月12日,パンタノウ裁判所で警察官に連行されるネーミョージンさん。
(支援者が撮影)

彼は元軍人だが,軍事政権の腐敗を憎んで軍を辞め,政治活動に身を投じた。2011年に彼は政治的な理由から投獄されるが,2012年にほかの政治囚とともに釈放された。

彼は直ちに社会的活動を開始し,政治的な活動と,主にエーヤワディ管区の貧しい農村へ支援活動を積極的に行っている。これらの農村は,飲み水,電力,教育の点でさまざまな問題を抱えている。

在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は,以前から彼の活動を支援していて,わたしは今年の2月,11月にビルマを訪問した際,彼と彼の支援者(ミャンマー社会発展ネットワークMSDNなど)とかなりの時間行動をともにした。

彼は警察を批判したことにより警察に訴えられており,今年の6月に1度逮捕されて,2週間ほど投獄されている。その問題は今も続き,現在は政府の批判を禁止する別の法律により裁判所への出頭命令が出されている。

この出頭命令を彼は無視していたのだが,そのためとうとう11月13日,エーヤワディ管区で彼は現地の警察に拘束された。そして,裁判所に送られ,出頭命令に応じるという署名をした後,釈放された。わたしはそのとき彼と一緒にいて,その一部始終をビデオに収めた。

11月13日に警察に拘束された時のネーミョージンさん。

パンタノウ裁判所(11月13日)。右がネーミョージンさん。
左はやはり同じ罪で起訴されている農民指導者のウ・テインウィンさん。

その後,彼は再び,裁判所に呼び出された。この12月12日である。今回は彼は出頭命令に応じると言う誓約書に署名を拒んだ。そのため,現在,エーヤワディ管区パンタノウ郡の留置所で拘束されているという。

なぜ彼が署名を拒んだかというと,2つの理由がある。ひとつは,彼は自分は警察が賄賂を取ることを批判したのであり,処罰に価するような間違ったことを言ってはいない,という信念によるものだ。

もうひとつは,ビルマ国内で注目されている自分が拘束されることにより,ビルマの言論の自由を禁ずる法律の問題により多くの関心を集め,法改正へと事態を動かそうという戦略的な意図からだ。

彼は月曜日に再び法廷に立たされるという。そこでこれからどうなるか,そのまま釈放されるのか,さらに拘束が続き,政治犯として投獄されるのか,ある程度分かるに違いない。

翡翠と傲慢

カチン州は森林資源,翡翠・金・宝石などの地下資源に恵まれているため,とてつもないお金持ちのカチン人もいる。

日本の入国管理局は在日ビルマ人をまずはたいてい貧乏国からやって来た出稼ぎとして扱うが,あるカチン人にはこれがカチンと来た。

「わたしの家はお前ら入管職員の誰よりも大きいんだ。バカにするな」

しかし,そうした立派な家も迫害のために捨てて逃げて来ざるをえないのが政治的亡命のつらいところ。挙げ句の果てには,軍に奪われてしまったりしている。

今年の2月にヤンゴンを訪問した際,あるカチン人がわたしを夕食に招待してくれた。その人はカチン難民の支援活動をしていて,衣服や医薬品を集めてカチン州のキャンプに届けたりしていた。

その人は夕食の前にちょっと寄るところがある,と言って車をとある閑静な住宅街に止めた。白い塀で囲まれた豪邸が建ち並んでいる。

そのひとつに暮らす裕福なカチン人に支援金のお願いをしに行ったのである。

わたしは後をついていったが,庭先にいくつも転がる巨大な翡翠の原石に驚いた。この岩ひとつでいくらするのか。

使用人らしき女性が出てきて,主人は不在だと告げる。引き下がるほかはない。わたしは門を出ると「この岩,ひとつぐらい持っていってもいいんじゃないでしょうか」と言った。

別のカチン人だが,有名な金持ちで,その人の20代の娘が日本に来た。わたしは彼女を招へいする際の身元保証人として協力したのだが,彼女はわたしに礼ひとついわない。それどころか追っ払おうとする。

わたしは悔し涙を飲みながら,「尊大な人間に近づくのはその人の葬式のときだけ!」と心に誓ったのであった。




不愉快な思いをしたのはわたしばかりでない。今年の11月のマナウ祭でも別の日本人が彼女を招へいしたのだが,いろいろ無理なことをしてその日本人を困らせたと聞いた。

金を持ちすぎると,人を人とも思わなくなるもののようで,もしかしたら,2月も居留守を使われたのでは,とわたしは邪推している。

とはいえ,大多数のカチン人は貧しく,そして,つましい暮らしを喜ぶ人々だということを,最後に一応強調しておきたい。

2013/12/11

漢字

エーヤワディ管区の町,ピンユワで見かけた映画のポスター。漢字に見えるビルマ文字のデザインがかっこいい。

セボレイッ(2)

このセボレイッは,日本のビルマの店でも手に入る。

わたしは以前はこの葉巻をよく吸っていた。今は子どもがいるので喫煙の習慣はきっぱりと,微塵の未練もなく捨て去ったが,ビルマに行くと吸いたくなる。

わたしが日本で買っていた頃は10本の包みで300〜400円していたように記憶するが,ビルマ国内では4本100チャットぐらい,つまり1本2.5円ほどだ。

2月にビルマに行ったとき,このセボレイッが無くなったのでホテルを出て,どこの街角にもあるタバコなどを扱う露店に買いにいった。

こうした店ではタバコでもセボレイッでもバラで売るのが基本で,わたしが見つけたその店でも数本のセボレイッが瓶に入れられていた。

わたしは店の人に指で1本くれと示し,1,000チャット札を出した。

店の男性が何か言ってくる。釣りがないというのだ。

あいにく1,000チャット札しかない。わたしが諦めて立ち去ろうとすると,彼は「持ってけ」と1本差し出したのである。

些細な出来事だが,笑わずにはいられない。しかし,これは普通のビルマの人々の姿でもある。

日本に帰ってきて,このことをBRSAの会員に話したら,けっこう気に入ってくれたようだった。

セボレィッ(1)

ビルマには普通の紙巻きタバコのほかに,セボレィッと呼ばれる独特な葉巻がある。長さは10センチほどで,紙巻きタバコと同じくらい愛好されている。

セボレイッをまれにチェルーと呼ぶ人がいて,わたしは別名かと思っていたが,これは英語のcheroot《両切り葉巻》であるようで,もしかしたらわたしに英語で言い換えてくれていたのかもしれない(ただし,英語の発音はシェルート)。

cherootというのは英語らしくない単語で,語源を調べてみたら,南インドのタミール語の《(タバコの)一巻き》に由来するという。

確かに,インドのタミール州でわたしはセボレイッよりも細く短いが似たような葉巻を見たことがある。

ビルマの文化はインド文化にいろいろな影響を受けているから,2つのcherootの間には単なる単語上の繋がりを越えた実質的なものもあるかもしれない。

2012年6月のライザで。

アラカン民族の踊り

11月8〜9日に芝公園でカチン民族の伝統的祭事マナウが行われたが,9日の午後には他の民族の歌や踊りもステージで披露された。

アラカン民族は,政治活動家のゾウミンカインさんがその伝統舞踊をステージで英語で紹介したのだが,その通訳を急に頼まれた。

もっとも彼は話す内容を印刷していて,わたしはそれを参照することができたので,それほど大変ではなかったが。

その紹介によれば,この場で披露されるアラカン民族の伝統舞踊とは,ロウソクを両の手の平に持って優雅に女性が踊るもので,ブッダへの崇敬の念を表すものだという。

また,踊り手である女性の身につけている衣装もアラカン民族伝統のもので,黒いショールや髪飾りの花も特徴的なのだそうだ。

短いビデオを撮影したので,どのようなものか分かるかと思う。

(分からないと思うが,踊りの音楽がちょっとだけThe Kinksの名曲"Muswell Hillbilly"を想起させる……わたしはこうやってわたしなりにThe Kinksを宣伝して,活動を再開させようとしている。)