2013/08/15

カレン殉難者の日式典ビデオ・プログラム

カレン殉難者の日式典には在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN-Japan)のゾウミンカインさんとマイチョーウ—さんも来てくださった。

それぞれアラカン民族とパラウン民族である2人は,日本だけではなく国際的に有名な政治活動家であり,7月末にタイのチェンマイで開催された非ビルマ民族の政治的会合にも参加している(急な参加だったためタイのビザを取るのに苦労され,結局ラオスからタイに入ったとのこと)。

式典のはじまる前に,お二人と話をしたのだが,その時,日本の非ビルマ民族の活動の現状について意見を聞くことができた。

この2人の政治活動家が見るところ,現在の日本の非ビルマ民族の活動は,ビルマ国内への支援,特に日本政府やJICAや日本財団の支援をどう非ビルマ民族の生活のために役立てるか,ということに関心が向けられすぎているという。

これは確かに重要なことで,人々の生活を向上させる働きに異論はないが,しかしそれだけではダメだ,とマイチョーウーさんは言う。

ビルマ政府はまだ本当に変わったとは言い切れず,非ビルマ民族の権利を守るための政治的な活動がまだまだ必要だというのである。

つまり,ビルマが一見変わったから,あるいは日本政府が(物欲しげに)すり寄ってきたからといって,それに浮かれるなかれ,非ビルマ民族の運動の根本である政治的目標をユメ忘るるな,というわけだ。

わたしはどちらかというと政治重視派だが,近頃は猫も杓子も支援支援で,わたしも若干支援活動には関係しているので,「政治的目標」に拘るのはひょっとしたら時代遅れなんじゃあ……との疑念が生じていたが,この2人はまさに破邪顕正の剣でもって,我が痴愚なる思いなしをば粉砕したのであった(というほどのことではないが)。

政治活動というのは,支援活動のように目に見える成果が上がることはないし,派手でもない。アウンサンスーチーさんを見て政治活動を判断してはいけない。その背後にいる膨大な人々の目に見えない努力と命の,行方も知れぬ垂れ流しがあっての彼女の輝きなのである。そして,その垂れ流しは何かの秤で量れるようなものではないのだ。

そんな得体の知れぬ努力をするくらいなら,金を出して(あるいは出してもらって),学校や井戸や何か役に立つものを作ったほうがずっとましだ。何しろ目に見える。計画もたつ。クリスマスまでに3,000人と来た……

そりゃ結構。

しかし,そうした支援を可能にしたのも政治的変化であり,より効果的な支援を行うためには政治的な自由が必要なのは言うまでもない(というほどのことでもないが,ここでは詳しく論じない。ところで,国際支援活動家のなかには,自分たちのしていることは政治とは関わりない,と信じている人がいることには驚かされる)。

それはともかく,2人に政治の重要性をあらためて教えられたわたしは,支援・支援と言われた分だけ政治・政治と言い返してやろうと固く心に誓ったのであった。そして,それがいまビルマで飛んでいるあの鳥が「セイジセイジ」と鳴く理由なのです……いや,そういう話じゃない。

さて,カレン殉難者の日式典のビデオ・プログラムを担当したのは今年もわたしとKNU-Japanのモーミントゥさんで,モーミントゥさんはカレン殉難者の日の由来となったカレン人指導者のソウ・バウジーを取り上げた映像作品と,国境地帯のカレン人の様子を映した映像作品を担当した。

後者は,昨年10月にOKO-Japanの事務局長のダニエルさんがタイを訪問したさいに撮影した映像をモーミントゥさんが編集したもので,なかなかよくできている。

わたしが作成したのは18分の映像作品で,今年の2月にBRSAの支援プロジェクトでビルマを訪問したさいにカレン州の州都パアンで撮影した映像を編集したものだ。

といっても,ほとんどがインタビューで,その相手はキリスト教聖公会パアン教区のビショップだ。

内容についてはいずれ詳しく報告したいが,現在の政治的変化,KNUの状況,和平交渉の実態などについて非常に率直な意見を語ってくれており,わたしとしては有意義な内容だと思われ,また主催者側も勧めてくれたので,この日に上映することにした。

インタビュー中心なのでもしかしたら退屈かもしれないと思いつつみんなに見てもらったが,終わるや否や,マイチョーウ—さんが「素晴らしい!」と言ってくれたので「でしょ〜」と密かに思ったのであった。