2011/06/30

イミグラフィティ(2011/06/27)

日時:2011年6月27日。

入管:東日本入国管理センター(牛久)。

面会室:第4号 。

落書き場所:面会室の被収容者側(つまり内側)、面会者から見て左側の壁、カウンター上部あたり。

落書きの手段:ボールペン(細字)。

落書きをした人:被収容者男性。ZALEMという名前から推定すれば出身はイラン、トルコ、パキスタンなどの非アラブ系イスラム文化圏。

落書き時期:不明

落書き内容:

ZALEM-ETSUKO-HARUKA
FAMILY FOREVER

分類:家族愛

(イミグラフィティ【IMMIGRAFFITI】とは入国管理局施設内における落書きの総称であり、提唱者であるビルマ国境ニュースはその保存・記録に努めています。来世紀中の世界遺産登録を目指します)

そゆ国じゃない

ビルマ・コンサーン事務所に行くと、見慣れぬプラスチックの箱が置いてある。

引き出しに「サプリBOX」と印刷されていて、開けてみると栄養ドリンクが並んでいる。

富山の置き薬のようなヤツだ。飲んだ本数だけ付属の小箱に料金を入れておいて、後で業者が回収する仕組み。

タンさんに聞くと、昨日営業の人が来て置いていったのだという。

わたしは文句をいう。「こんな不特定多数の人が来るところじゃ、誰が飲んだかわからなくなる。しかもビルマの人はこのシステムを知ってるかどうかわからないから、タダだと思って飲んでしまうかもしれない」

これに対してタンさんはこう答えた。

「何の連絡もなく不意にやってきたから、政府のスパイじゃないかと疑ったのだ。我々がアヤしい活動をしていないと証明するため、あえて好きなように置かせたのだ」

だから、そゆ国じゃない。

2011/06/29

説大量送還不可能(3)

もちろん、行くわけなんかありません。これはみなさんにとって困ったことですが、仕方のないことです。ですが、こうなるともっと困ってしまう人々がいます。それは入国管理局です。

みなさんが入管に来なくなるということは、入国管理局がみなさんを管理できなくなるということです。つまり、入管の業務が混乱してしまうのです。このような混乱を招く決定を入国管理局がするはずがありません。

さらに、もしこのような大量の強制送還がはじまれば、難民たちと難民支援関係者が黙っているわけはありません。UNHCRだって、国際的な人権団体だって抗議の声を上げるでしょう。

入国管理局がこれらの人々の意見を気にするかどうかはわかりませんが、少なくとも入管にとっては自分がそのような形で社会の注目を浴びることは決して好ましいことではありません(これはどのような役所でもそうです)。したがって、そのような可能性のある決定を入管がするとはさらに考えにくいのです。

結局、入国管理局にとっては、いつものやり方がベストということになります。つまり、一度に大量に強制送還するのではなく、目立たないようにひとりひと り捕まえて収容して「帰れ帰れ」と言い続けることです。そして、このやり方に関しては、もっとも有効な反撃の仕方をみなさんはもうすでにご存じです。それはつまり、「帰れません」と何度でも言い返すことなのです。(おしまい)

2011/06/28

説大量送還不可能(2)

現在難民認定申請中か、在留特別許可をもらったビルマ難民が何人いるかは正確にはわかりませんが、仮に3000人としておきましょう。

とすると、まずこれらの人々を一度に送還するのは不可能だ、ということがすぐにわかります。いったい3000人もの人々を一度にビルマに運ぶことができるでしょうか。そんな飛行機も船もありません。

いやそもそも、3000人の難民を一度に捕まえて、同時に収容すること自体が不可能です。

少しずつ送還するという手もあります。ですがこれも不可能です。

入管が一日に何人ビルマに強制送還できるのかはわかりませんが、日本・バンコク・ヤンゴンの便数から考えて、それほど多くではないでしょう。仮に50人としておきましょう。すると、3000人を送還するのに、少なくとも60日かかることになります。入管が開いているのは月曜から金曜日までの5日間ですから、12週間、3ヶ月はかかるわけです。

みなさん、入管が大量に強制送還をはじめたと聞いて、この3ヶ月間何をしますか?  難民認定申請のため、あるいはビザの延長のため、みなさんは入国管理局に行かなくてはなりませんが、自分が捕まって送還される、つまりビルマに送り帰されて政府に殺されるとわかっていて、誰がわざわざ入管に行くでしょうか?

2011/06/27

説大量送還不可能(1)

「説大量送還不可能」は「入管はビルマ難民をまとめて強制送還できません」というタイトルで在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の機関誌「セタナー」第3号(2011年5月29日発行)に書いたもの。MYO SHI THU OHNさんによってビルマ語に翻訳され同号に掲載。

2010年には総選挙があり、スーチーさんも釈放されました。そして、その後、今年の4月には「民主主義的」政府が新装開店しました(ただし店のオーナーはご存じの通り、軍人たちです)。こうした流れを受けて、多くのビルマ難民、特に難民認定申請中の人と、難民申請の後に難民とは認められなかったが在留特別許可を得た人の間で、ある心配が広がっています。つまり、入国管理局がビルマが民主主義国家になったといって、ビルマに自分たち全員を強制送還するのではないか、というのです。

みなさんは入管に不信感を持っていらっしゃるのでそのような怖れを抱くのも当然です。しかし、わたしはこれは入管にとって不可能なことで、少なくともみなさんが心配する必要はないと考えています。

とはいっても、わたしになにか特別な情報源があるわけではありません。ある人によれば、入国管理局のトップが「そんなことはありえない」と、大量強制送還を否定したそうです。ですが、そうした情報がなくても、理屈で考えれば、そんなことはありえないということがわかります。

要約

ある難民関係の団体のリーダーのやり方が独りよがりで権威主義的なのに不満を感じていたビルマの人がいたので、次のようにわたしの考えを述べた。

「非公式な場で意見をいっても、まともに取り合ってくれないだろうから、公式な場できちんと非難すべきところは非難したほうがよい。それでも相手が理解してくれないようならば、そこではじめて進退問題を議論すべきだ」

すると、その人が実に適切な表現で要約してくれた。

「苦い薬を飲ませて効き目がなければ、病院に連れて行くということだね」

2011/06/24

カレン・ユニティ・セミナー参加の記録

5月22日(日)
DL283にて18:35に成田を発ち、23:25にバンコク到着。バンコク泊。

5月23日(月)
バンコクから飛行機でチェンマイに移動。チェンマイからバスでメサリアンに移動。

Karen Teachers Working Group (KTWG) のスタッフの青年と夕食。難民キャンプの現状などについて話を聞く。

メサリアン泊。

5月24日(火)
朝、メサリアンから車とボートでビルマ側のセミナー会場に移動。昼頃到着。

午後からカレン・ユニティ・セミナー(Karen Unity Seminar)に参加。カレン・ユニティ・セミナーとはビルマ国内、KNU解放区、国外のカレン人の政治団体、市民団体の代表が一堂に会し、カレン人の将来についてともに議論する場であり、今回で第8回を迎える。わたしは在日カレン民族同盟(KNL-Japan)の代表のひとりとして第3回、海外カレン機構(日本)(OKO-Japan)の代表のひとりとして第5回、そしてOKO-Japanの代表として今回、と3度目の参加となる。

セミナーの午後のプログラムでは自己紹介ののち、OKO-Japanからのビルマ語のメッセージを朗読してもらう。また、日本のカレン人の状況などを報告。

この日のセミナーでは、カレン人の教育と発展のための資金集めの課題が議論された。また、オーストラリア、カナダ、アメリカ、マレーシア(今回は不参加)からのカレン人団体、カレン民族同盟(KNU)、カレン難民委員会(KRC)など参加団体の活動報告や声明読み上げが行われた。

夕食後はカレン人若者主催による歌の集い。

セミナー会場泊。

5月25日(水)
終日セミナーに参加。

朝に集合写真の撮影。

午前中の議題はカレン人のユニティ(団結)をいかに作っていくかについて。KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏よりユニティに関する基調講演。トゥートゥーレイ氏によるユニティーに関するスライドを用いた解説。昼食後、午前中の議論を踏まえて質疑応答。さらに、現在カレン人が直面している問題についての分団協議。のちに各分団からの報告。

夕食後はビルマの連邦制に関する討論が行われた。しかし、わたしはそれには参加せず、ビルマ国内からこっそりやってきたカレン人参加者にインタビュー。

セミナー会場泊。

5月26日(木)
終日セミナーに参加。

セミナー開始前にオーストラリアからの代表の一人にインタビュー。

午前中は各団体の活動報告。オーストラリア、イギリスとヨーロッパ、アメリカのカレン人団体のスライドを用いた活動報告。カレン青年機構(KYO)などの国境で活動する団体の活動報告。午後の議題は環境問題。より望ましい開発のあり方が議論される。さらに分団に分かれて、どのような市民活動が必要かについて議論される。

セミナーの合間を縫って、KNU副議長デヴィッド・ターカボー氏、KNU事務総長シポラセイン氏から日本のビルマコミュニティへのメッセージを収録。また前KNU事務総長のパドー・マンシャ氏の娘でイギリス代表のナン・ブワブワパン氏へのインタビュー等も撮影。

午後のセッションの終了後、イギリスとシンガポールの代表、ビルマ国内の代表とともにセミナー会場から徒歩とボートで1時間ほどのところにあるKNUの医療スタッフ訓練所を訪問。ほとんどが10代の生徒たちの勉強風景を見学した後、各々自己紹介と質問タイム。少年から地震と原発事故についての質問が出る。夕食後はイギリス、シンガポールの代表とロウソクの灯のなか雑談。

訓練所泊。

5月27日(金)
早朝からはじまる生徒たちの朝のエクササイズを見物。何人かの少年少女に取材。

朝食後、再びセミナー会場に戻る。荷物を整理して会場を後にする。セミナーは27日いっぱい続くが、日程の関係上、最後までいることはできなかった。しかし、途中で帰らなければならない参加者も多い。

ボートと車を乗り継いでメサリアンに到着。その後、メサリアンから乗り合いバスでメソットに向かう。途中豪雨でバスが立ち往生する。メソットから60キロ手前にあるメラ難民キャンプでバスを降りる。以前日本に暮らし、ヤンゴンに戻り、その後、メラキャンプに逃げてきたカレン人友人に再会し、日本から頼まれてきた寄付金などを渡す。その後、メソットに。メソット泊。

5月28日(土)
メソットからバスでバンコクへ。夕方着。バンコク泊。

5月29日(日)
DL284にて05:55にバンコクを発ち、14:00に成田到着。そのまま在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の総会に出席(17:30-21:30)。